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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第2章 ブラー、板わさ、レディオヘッド_6

「山内お前何にも頼まないのか?」
話をしようと誘い、学校の近くの馴染みの蕎麦屋「ほりやま」に入ったが、山内はメニューを見ようともしないでぼんやりと厨房を見つめている。
「元気出せよほら、なんでも好きなもの食べろ。佐山の奢りだってよ」
「阿呆か、俺八百円しか持ってないぞ」
そんな定番のやり取りを見て山内は、ハハっと乾いた愛想笑いを浮かべたあと俯いて
「俺、板わさで。」
と蚊の鳴くような声で言った。

何という事だろうか。野球部のエースにして学年一の熱血漢。フェアでクリーンでナイスガイ。溢れんばかりの若さで溌剌と青春を謳歌していたあの山内が、蕎麦屋で事もあろうか板わさを頼んでいる。
 僕は愕然とした。お爺ちゃんだ。引退試合でメッタ打ちにされ、山内はお爺ちゃんになってしまった。

「あらいらっしゃい何にする?」と蕎麦屋のおばちゃんが注文を取りに来て、僕は開化丼、橋本は盛りそば大盛りを頼んだ。
 山内は予告通り、「板わさで。」とおばちゃんに告げた。
「学生さんで板わさなんて渋いねぇ」とおばちゃんは感心しながら去って行って、「開化、もり、板わさ!」と奥の厨房に威勢よく叫んだ。

「お前あんなとこで何してたんだ」
橋本がそば茶をボットから注ぎ、湯飲みを山内の前に置いた。勝手に部室に侵入してキャッチボールではしゃいでいた自分達の事は完全に棚に上げている。そば茶にも手をつけず沈黙を続ける山内。僕らはそば茶をすすりながら、辛抱強く返答を待った。
 二分ほどの沈黙の後山内は語り出した。
「足が自然と部室に向いてしまうんだ…もうする事もないのはわかってるんだけど…」
僕らは何も言えず更に続きを待つ。
「俺は小中高とずっと野球をやってきた。そりゃ甲子園なんか出られる訳はない事は分かってたよ。だけど、せめて最期の大会だけは全力を出し切って燃え尽きたかったんだ」
「わかるよ。頑張ってたもんな」
消え入りそうに絞り出した山内の言葉には同情を禁じ得ない。
 山内の運動神経は勿論悪くなかったが、飛び抜けた身体能力があった訳でもない。それでも努力と根性で野球部のエースを務めた立派なキャプテンであった。つまりは僕とは正反対な男だ。

 以前に、僕は仮病を使って学校を早退した事があった。レコード屋を周り横浜の街をぶらぶらしているとすっかり夜になり、帰ろうとしたら部活を終えた山内にばったりあった。
「疲れたから仮病で部活をサボったんだ」
僕が笑いながらそう言うと、なんと山内は烈火のごとく怒り出したのだった。
 部活をサボるなんてそんな卑怯な事するな。努力すればレギュラーはきっと取り返せる。お前ならきっとできる。だけどそうやって自分に妥協してる間にレギュラーは遠のいて行くんだぞ。
 年寄りのような大上段の正論を、真面目な顔してまくし立てる山内を見ながら、僕は恥ずかしいとか反省より先に、驚いた。確かに正論だ。だが努力とか卑怯とかいう言葉をギミックなしに吐ける奴はこの歳ではあまりいない。
 少なくとも僕は他人がどんなに怠惰な人生を送ろうが別にどうでもよかった。それだけに山内の言葉は心に響かないものの、衝撃だった。
 クリーンで熱くて、ミスター正論。野球をやめる前の山内はそう言う男だった。そして僕は自分とはまったく違う山内にその時好感を持った。

「俺は小学生から始めた野球をこれで終わらせるつもりだった。だけどあんな結果じゃ終われないだろ」
「終われないってったって…」
気持ちはわかるがもうどうしようもないだろう。いくら僕らが若いからと言っても、やり直せない事ある。
「それで毎日部室に入り浸ってたのか」
橋本が先に到着したざる蕎麦をいち早く啜りながら聞いた。
「あぁ放課後になると足がどうしても向いてしまってな。最初は後輩の練習を手伝ったりしてた。だけどそのうち後輩達も気を使い出した。いつまでも引退した先輩がいてもやり辛いだろ」
「そりゃ確かにそうだ」
後輩達の気持ちも容易に想像できる。
「だから後輩がいる時は部室に行くのはやめてたんだ。」

 後輩がグラウンドに出たのを見計らって部室に忍び込んだところ、僕らが入って来て咄嗟にロッカーに隠れたのだと山内は先ほどの経緯を語った。
「でも野球もしないで部室で何してたんだよ」と橋本が尋ねた。僕もそれが不思議でならなかったのだが、
「匂いを嗅いでた。」
と言う予想の遥か上を行く山内の答えには橋本も僕も凍りつき、返す言葉を失ってしまった。

 山内は板わさに手を付けずにうつむいたまま続ける
「匂いって別に後輩のスパイクとかユニフォームを嗅ぐわけじゃないぞ。あの部室の匂いだよ。グローブとバットと汗と埃と…それが混じり合ったあの空気を吸っていると安心するんだ」
「野球の何がそんなに楽しかったんだ」
いち早く蕎麦を啜り終え、蕎麦湯を頼んだあと橋本が静かに聞いた。
「なにって…考えた事も無いよ。俺が物心ついた時から野球は俺のやるべき事だったんだ。最初はプロ野球選手になる事だけを目指してた。だけどそれが無理なのは高学年でわかる。チームで一番でも大会に出れば俺よりも凄い奴がゴロゴロいる。その到底かなわないって奴もリトルリーグで補欠だったりするんだ。さらにその上がいてそいつらにも上がいる。そうやって何重にも折り重なったピラミッドの頂点に立つ奴が甲子園に行くけど、それでもドラフトに引っかかる奴はその中の一握りだ」
「お前はそのピラミッドの頂点には立てない事がわかってながら、野球に何を求めてたんだよ」
容赦ない橋本の言葉に、山内の顔色を伺ったが、気を悪くする様子はなく「わからない、考えた事も無い」とだけ答えて力無く笑った。

「山内、バンドやらないか」
僕は思わず声をかけていた。
「バンド?」
あまりの話の飛躍ぶりに怪訝そうな顔で問い返す山内に構わず僕は続けた
「クリープって曲知ってるか?レディオヘッドの」
山内と話している途中から、先程高田のウォークマンで聴いた旋律が僕の中で鳴りつづけていた。
「知らない」
だろうな。山内がイギリスの音楽に興味があるなんて聞いたことは無かった。
「その曲って酷い曲なんだよ。君はスペシャル、特別な存在。だけど僕はクリープ。ウジ虫。ゴミクズだっていう事を陰鬱な声で延々と歌い続ける。」
「何処がいいんだそんな曲」
「どこかに救いがあると思うだろ?それが無いんだよ。ゴミはゴミのままで終わる」
「はぁ」
明らかに食いついて来ない山内。
「それがなんだって言うんだよ。それが俺だって言いたいのか」
「そうだよ。それはお前でもあるし、俺たちでもある。」
橋本が口を挟んだ。話の終着点を橋本は理解できているはずだ。
「でもな、一つだけその曲にフックがあるんだ。」
僕は開化丼を食べる手を止めて山内に箸を向けた。
「フック?」
山内は箸の先をぼんやりと見つめる
「引っかかるとこ。途中でガガッ、ガガッてカッティングが入った後、爆音でギターが鳴らされるんだ」
「…」
「曲を書いたトムヨークって奴のいじけた被害妄想に怒ったメンバーが、轟音のギターを曲の途中から突っ込んだんだと」
「勝手にそんな事していいのか」
「知らん。その逸話は嘘かもしれない」
「嘘かよ」
「嘘か本当かなんてどうでもいいんだよ。ファンタジーかもしれない。そうじゃないかもしれない。大事なのはその音楽を聴いてお前が何を感じるのか、だ」
橋本が再び割って入った。その言葉を受けてぼくは続ける。
「それによってクリープはただの負け犬のいじけた独白から、イギリスの若者のアンセムになった」
音楽は山内のような奴の為にあるんだ。負けた奴、駄目な奴、どうしようもない奴、クズな奴。そんなネガをポジに一瞬で反転させるマジックを求める奴らに。
「この先の人生ウジ虫のままで終わるか、開き直ってウジ虫なりに轟音のギターを掻き鳴らすか」
「どっちにしろウジ虫なんだろ。掻き鳴らすだけ疲れるよ…」
「とりあえず聴いてみてくれ」

 僕はCDウォークマンにレディオヘッドのベンズを入れて山内にイヤホンを渡した。いくら言葉を尽くしても伝わらない。感じるか、感じないかだ。それで駄目なら仕方ないと思った。でも僕はこの男はバンドをやるべきだと思った。渋々と言った様子でイヤホンを耳に突っ込んだ山内は、俯いたままCDに暫く耳を傾けていた。

 蕎麦屋で、レディオヘッドを聴く、坊主の元高校球児。板わさの前で。余りにシュールなその光景。時が止まった様に沈黙が流れる。

ぽたり。
と年季の入った木目のテーブルに一粒の涙が落ちた。そして山内も落ちた。これでバンドのメンバーは揃った。

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