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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第2章 ブラー、板わさ、レディオヘッド_5

 野球部の部室は、校庭を挟み、ラグビー部とは反対側にある。校庭では、キン!と金属バットの澄んだ音が響き、既に新体制となった後輩達が元気に声を上げている。ノックもせず開けた部室のドアから中を見渡す。夕日は校舎に遮られ、部屋内は薄暗い。後輩達の汗臭い制服と野球用具が乱雑に置かれているばかりで誰の姿も見えなかった。

「山内は引退したんだから部室にいる訳ないだろ」僕は片隅に転がっていた野球ボールを拾いながら橋本に言った。
「おかしいなぁ居ると思ったんだけどな」
橋本は首を傾げているが、人のいる気配は一切ない。
「まぁあの負け方は壮絶だったからなぁ流石に山内も部室には寄り付かないか」
「そんなに酷かったのか」
「いや酷いのなんのって。メッタ打ちだからね」

 エースでキャプテンである山内率いるわが校の野球部は、先日の地区予選一回戦でコールド負けを喫し、甲子園の夢が早くも絶たれていた。橋本はいつのまにか用具箱に入っていたキャッチャーミット取り出し、構えだした。「山内そんとき号泣したらしいじゃないか」
橋本の構えるミットに軽く投げ込みながら僕は聞いた。
「そりゃ泣き崩れるわな、エースでキャプテンが五回コールドだぞ。」
と言いながら橋本がボールを投げ返す。
「初回で何点取られたんだっけ?」と言いながら僕がまた投げたボールは、スパン!と小気味よい音で橋本が構えるミットに吸い込まれた。
「んー確か六点?それであっという間に二年のピッチャーに交代だもんな。あの時スタンドを覆った絶望的な空気を表す言葉を俺は持たない」

 その後二年のピッチャーもメッタ打ちにされ、五回コールドで試合は終了したらしい。山内は泣き崩れて挨拶もままならず、チームメイトに抱きかかえながら球場を後にしたと言う。現在は辛うじて登校はしているものの、快活だった彼とは別人のような脱け殻となってしまった。
 今では、腑抜けた事を言ったり、ボーッとしている奴に向けて「お前大会後の山内かよ!」と言う突っ込みが校内で流行りだす程である。

「よし、次本気で行くぞ」
僕はセットポジションから走者を確認し
「松沼兄!」と叫びながらアンダースローで橋本へ向けて投げ込んだ。

「西武の兄やん!いつの話だよ!」
これは昭和の野球好きである橋本には大いに受けた。
「ははは!どうだ燃えプロの投球フォームを忠実に再現した俺のサブマリンは!」
「燃えプロな!バースのバントホームランな!」

「五点だ」

「ぎゃあぁぁぁ!」
誰もいないはずの部屋の奥から突如声が聞こえ、僕らは感電したように痙攣し、文字通り飛び上がった。

「山内…お前いつからいたんだ」

優勝したバッテリーよろしく僕と抱き合ったまま、橋本が恐怖に震えた声を絞り出した。

「ずっとだよ。最初から。」

山内は扉が半分開いたロッカーの中から感情の無い声で返し
「初回六点じゃない、五点だ。」と再度念を押す様に静かに付け加えた。


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