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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第3章 ウェイストランドボーイズVS小太りズ_1

「バンド名どうすんだよ」
ドラムのスツールに踏ん反り返って座りながら、高田が腕組みをしている。まだドラムを始めて二カ月も経っていないのに、既に雰囲気だけは重鎮の様だ。
「バンド名とか言ってる場合じゃねぇだろ。お前本当に練習して来たのか?」
素人揃いのメンバーの中でも、この男が一番不安だった。
「したよ。家でジャンプとマガジン叩いて。もう完璧だよ」
そう言い切ると高田はドカドカとドラムを乱雑に叩いて見せた。音だけは圧倒的にでかい。
「うるさいよいきなり叩くな。そんなんでリズムキープできんのかよ。この曲のBPM分かってんのか」
「何だよBPMって」
僕は高田の発言に唖然として言葉を失った。

「まぁとりあえず合わせてみようよ」
不穏な空気を察して青山が割って入り
「BPMって曲の速さの事だよ」と高田に諭すように優しく教える。
「じゃあ速さって言えよ。何がビーピーエムだ馬鹿。わざわざもったいぶった言い方してんじゃねぇよ」
基礎的な事も知らない癖に、学ぶ姿勢も無いこの態度。僕は怒りを抑えきれない。
「BPMはビートパーミニッツだよ。一分間に何回拍を打つかだろ。おまえそんな事も知らないでドラムやってんのか。この曲は大体八十から九十だろ。今お前が叩いてた速さは百二十位あったぞ。原曲ちゃんと聴いてんのか。耳腐ってんじゃねぇのかお前」
「百二十ってったって…そんなん誰が決めんだよ」
「お前だろ!おまえがこのバンドのドラムだろうが!」
「なんだ俺が決めんのか。」

暫しの黙考のあと高田は真顔で僕に言った。
「どうやって?」
僕は帰りたくなった。
「お前がカウント出すんだろうが!」
「あぁワンツースリーフォーってやつ?あれで決まんのか。じゃあ早くていいんじゃないか。あんまりダラダラやってもしょうがねぇだろ」
「あんまり早くしたらおれソロ弾けないと思うんだけど…」
山内が自信無さそうな面持ちで口を挟むと、またチューニングをし出した。  もう三回目だ。スタジオに入ってからろくにギターも弾かず、ひたすらチューニングばかりしている。
 頼りないメンバーの姿を目の当たりにして、不安を覚えた僕は、助けを求めるように橋本を見た。しかし橋本は満面の笑みを湛えたまま、何も言わず成り行きを見守っている。
「おかしいなぁ六弦の音程がすぐズレるんだよなぁ」
山内は首を傾げながらチューナーを覗き込んでいる。
「いや、別に適当でいいだろうチューニングなんて」と高田。
適当で良くは無いがこれでは一度も合わせないままスタジオが終わってしまう。

「まぁ一回やろうよ。とりあえず」
焦る僕を尻目に青山はマイペースを崩さない。気持ちのベクトルが見事にバラバラのメンバーに曲の説明を行う。

「じゃあアンダートーンズのティーンエイジキックスからやろう。BPMは九十位な。コード進行も難しくないし、速くも無いから、初めてやるには丁度いいと思う。途中簡単なソロがあるけど、その間俺はバッキングするから山内がソロな。パンクなんだしちょっと位間違えても気にするな。ただ勢いが大事だから入りのタイミングに気をつけよう」

「で、バンド名どうすんだよ」
「いいから黙って叩けデブ!」

 激昂した高田のカウントは先程よりも更に速度を増して繰り出された。唐突に始まったビートに僕と青山と山内がやや遅れて必死に続いた。
 速い。明らかに速い。統率の一切取れていない不安定な演奏は時に高田のドラムすら追い越し、その度に演奏は加速して行く。
 一度音が鳴ればその流れは止まらない。追い立てられるようなビートに煽られ、まともに音程を取って歌ってなどいられない。
 ぼくはギターを掻き毟り「ティーンエイジキックスアンドスルーザナイト!」と半ば叫ぶようにがなり立てた。
 それに呼応するかの様に高田は原曲を無視して叩きまくった。
 クラッシュ、ライド、キック、スネア、ハイハット、フロアタム、キック、スネア、クラッシュクラッシュクラッシュ…鼓膜を引き裂く様な音の濁流。マイクを通しても自分の歌声が聞こえない。
 六畳程のスタジオにドラムセットとアンプが三台。あとは簡素なミキサーで部屋は一杯だった。僕らは額を付き合わすように向き合い音を鳴らした。  
 ピックで引っ掻き回した弦の振動をピックアップが拾い、電気信号となり光の速さでシールドを伝う。アンプで増幅されスピーカーから放たれた空気の揺れは空間を乱反射して混ざり合い、一塊のノイズとなって吸音材が剥がれかけた壁をブルブルと震わせた。
 きっとだれも僕の歌を聞いていない。僕も他のメンバーの音を聴く余裕はない。叫んでも叫んでもノイズの沼へ吸い込まれて行くなか、僕はギターを手放しマイクにすがるようにしがみつき声の限り叫んだ。
 自分の声が聴こえているのか、自分の姿がどう他人に映っているのか、そんな事を考えている場合ではなかった。ともすれば爆音に飲まれ消え去ってしまいそうな自分の存在を、誇示する為に叫び声をあげた。

 最後に高田がクラッシュを出鱈目に叩き曲が終わった。肩で息をしながら皆暫く無言だった。

「いやぁいいよ!いいよお前ら!」
橋本が手を叩き沈黙を破った。
「俺の目に狂いは無かった」と言われて。まだ呆然としている僕らは互いに顔を見合わせる。いいのか。悪いのか。そんな事はわかる訳が無い。何せ自分自身の出す音すら聴こえなかったのだから。
 だが今も残るこの身体の震えはなんだろう。快楽物質が一気に分泌したような、脳の痺れが残っていた。頭の中の今まで使った事のない部分が発熱している気がした。

「で、バンド名どうすんだよ」
高田だけは大した感慨もなかったのか、初演奏の余韻を躊躇なく破った。「いやちょっとは浸らせろよ。今このバンドの初演奏が終わったんだぞ」「浸る?別にこんなもんだろ。素人が集まってせーのでやれば」と言いながら腹の汗を首に掛けていたタオルで拭う。
「なんかみんなで合わせるとやっぱり迫力が違うね。速すぎてついて行くの大変だったけど」
ベースは弦が太い分握力と手首の力を使う。青山は手首を痛そうに回しながら苦笑いした。
 頼まれたからやる。と言うスタンスを貫き、そこ迄やる気に見えなかった青山だったが、少し頬を紅潮させて興奮気味に語るのが僕は嬉しかった。

「やっぱ気づいたよな」
バツの悪そうに山内が俯いて消え入りそうな声呟いた。
「ソロの四小節目と七小節目のケツのとこ…」
山内は拳を掌に打ち付けながら、悔しさを剥き出しにしている
「いや、まぁそんなに気になんなかったけど…」
「それとやっぱり六弦のチューニングがな…」
山内はまたそそくさとチューナーを接続し、調弦を始めた。
 はっきり言って轟音の中で他人の音など全く聴こえていない。パンクなんて適当なほうが格好いいのだ。
 などと言ったら真面目な山内は益々混乱してしまうだろう。山内は、まだギターもスポーツと同種と考えている。元となる譜面=ルールがあり、それを逸脱しなければ勝ち、ミスをしたら負けと捉えているのかもしれない。

「そうだな山内はもっと頑張れよ。あと青山はもう少し筋力付けろ。二人がこのバンドの肝なんだからな」
何故か高田が腕を組み頷きながら講評を加えた。
「そうだねもうちょっと家でも練習して来るよ。ドラムに追いつけるように」と青山。
「ソロもそうなんだけどコードの切り替えがなもっとスムーズにできないとな」山内まで真面目腐って高田に返す。
「そこだよな。良く気づいた。山内お前結構耳がいいよ」
そうかなと高田に褒められて山内がはにかむ様な笑顔を見せた。
二人が素直に高田の言う事を聞いている事に違和感しか沸いてこない。

「高田お前テンポ早過ぎなんだよ、原曲無視かよ。しかも最後の方は息切れしてどんどんテンポ落ちてんじゃねぇかよ」
僕だけが高田のドラムに納得がいかない。
「いや、あれはワザと。二人が付いて来られないみたいだから」
そうだよなごめんと謝る二人。どれだけ真面目で人がいいメンバー達なんだ。
「嘘つけ馬鹿。腹にそんだけ汗かいてゼェゼェ言っときながら」
「いやこれはスタジオが暑いから。そうだ佐山暖房ちょっと下げてくれ。」「入った時から冷房十八度だよ!風邪ひくわ」

「いやテンポは下げなくてもいいと思うぞ」
橋本が急に割って入って来た。
「今の演奏には本気で感動した。まさかこんな音が聞けるなんて」

こと音楽に関してはお世辞などとは無縁な橋本の言葉に嘘は無いと思う。しかしあんな酷い演奏が?と疑念も拭い去れない。

「そんなに良い演奏だったかな」
山内も不思議そうに首を傾げる。
「いや素晴らしかったよ。本当に。性急で前のめりで下手くそで汚くて、ボーカルはみっともなくて、七十年代パンクそのものだった。マジで震える程感動したよ」
そこまで一息に語った橋本は
「ただ…」と言って暫く沈黙した。みんな次の言葉を待った。
「ただ…それが今だけのものかもしれないけどな」
「今のド下手な演奏が俺たちのピークって事かよ」と僕は苦笑したが、橋本の言う事が少しわかるような気がした。
「なんだもう下り坂かよ」
高田も自嘲気味に笑った。
「いやそれはわからない。でもそう言う美しさが今の音にはあったよ」


何の経験も無いお前に何がわかるのだと反発する事もできるだろう。でもみんな素直に橋本の言葉に耳を傾けていた。
 橋本には何と言うかそう言う魅力がある。訳のわからない事でも一度真剣に語り始めると何故か聞き入ってしまう喋り方をした。

「でも今みたいな演奏がやりたくて俺と佐山はこのバンドを集めたんだ。だよな佐山」
「ん?うんまぁそうだな」

 言われるがまま集めたこのメンバーだったが、確かにこの四人には何かマジックがあるのかもしれない。橋本の言葉に乗せられてそんな風に思い始めていた。

「まぁ俺達には特別な才能があるって事だろ。」
「そうだよ高田。俺の目に狂いは無かった」
橋本は笑って目尻にシワを作った。

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