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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第2章 ブラー、板わさ、レディオヘッド_1

「何だお前その背中の」
ギターを背負い廊下を歩く僕に山岸先生が声をかけて来た。
「ギターです」
 見りゃわかるだろうとばかりに僕は背中に背負ったフェンダーのギターケースを見せた。橋本とバンドを結成する事を決め、全貯金とおばあちゃんに少し出資してもらい、このフェンダーのジャズマスターを買ったのはもう一年前位になる。
「じゃ、先生さようなら」
面倒な事を言われたく無い僕は早々に立ち去ろうとしたが
「お前バンドでもするのか」
何故かしつこく先生が食い下がって来た。余計なお世話である。
「まぁこれからやろうかと思ってます」
「じゃあお前あれだ。電研と一緒にやればいいだろ」
山岸先生はバレー部の他に電子音楽研究会の顧問もしていた。
「嫌ですよ。奴らフュージョンかプログレでしょ」
 電研なんて冗談じゃない。僕がやりたい音楽を共有できる奴は電研なんぞには一人もいなかった。
「じゃあお前は何やるんだよ。シャ乱Qか」
何故シャ乱Qなのか。
「違います。ブリティッシュビートとかロンドンパンクとかです。イギリスです。JPOPじゃありません。」
最大限に噛み砕いて伝えたが、このおっさんに伝わるとは微塵も思えなかった。
「ふうん…」
先生は青々としたあご髭の剃り跡を撫でながらしばらく何かに想いを馳せていたが
「ブリティッシュって面か。たいがいにして勉強もしろよ。アホのお前も一応進学するんだろうが。」と最後は珍しく先生らしい事を付け加え、何故か僕の頭をはたいて去って行った。
 まぁ山岸先生には理解出来ないだろう。最初からコミュニケーションを遮断している僕は、はーいと生返事で答えてひらひらと手を振った。

 僕が高校に入った1994年にオアシスの1stが誕生した。カートコバーンの死によって失速した米国のグランジに取って変わるブリットポップの幕開けだ。
 失業者の代名詞だったアディダスのジャージやウィンドブレーカーがクールなアイコンに変わり、チンピラみたいなフーリガンの兄ちゃんが、一夜にしてロックンロールスターに変わる。
 オアシスのギャラガー兄弟もブラーのグレアムも、プライマルスクリームのボビーギレスビーもストーンローゼスのイアンブラウンも、皆んなダルそうなのが良かった。それが程良く僕の気分にマッチした。
 僕は誰に教わるでも無く、細々と雑誌などで音楽の知識を深めて行った。その後橋本と出会い、バンドを作る事を決めた。そしてギターを練習したり、同じバレー部の青山をベースに誘ったりコソコソと準備して来た。
先日晴れて部活も引退し、遂に本格的に始動する時がやって来たのだ。
 授業を終えた僕は真っ先に橋本の元に向かった。三組の教室へ向かう廊下に差し掛かると、重そうなメッセンジャーバッグを肩にかけ、さも億劫そうに歩く猫背が見えた。後ろ姿でもガリガリに痩せているのがわかる。橋本元。みんなはハシゲンと呼ぶが、僕は敢えて橋本と呼ぶ。狩り場での出会い以来、僕と橋本はただの友達ではなかった。言わば同志、共犯関係にあるのだ。
「橋本!」と痩せた背中に声をかけると、振り返り僕の背中に背負われたギター見て口の端を曲げて笑った。普段は表情に乏しい橋本だが、今日はいつもより高揚している様に感じられる。
「ドラムとギターの目星はついたか?」
橋本が開口一番に触れたのはまだ決まっていないメンバーのことだった。
「それなんだけどやっぱりお前がドラムやればいいじゃないか」
僕がそう言うと、橋本はもう何度も繰り返されて来たやり取りに顔をしかめた。
「ドラムだぞ、キースムーンだぞ。お前が一番好きなポジションじゃないか」
何とか翻意させるべく僕は必死に訴えた。
「いや、佐山俺は…」
橋本の言葉を遮り僕は続ける
「別にドラムじゃなくていいよ。ギターでも。なんならボーカルでもいいんだ」
「じゃあお前は何やんだよ」
しつこい僕に苦笑しつつ、橋本は頑なだった。痩せこけて面長な橋本が笑うと柔和な皺が目尻にできた。
「俺は別にボーカルがやりたい訳じゃない。どうせ誰も遠慮してやらないからやろうかと思ってるだけだよ」
「いや、おれは参謀でいい、メンバーにはならない」
確かに橋本が参謀になるなら心強い。ただ、時に僕以上に音楽に対して愛情を見せるこの男が何故バンドをやらないのか不思議でならなかった。
「橋本、バンドはボーカルとその他大勢じゃダメなんだ、それぞれのメンバーの個性が交錯して散らす一瞬の火花こそが美しいんだよ、ザフーだって…」
「そうだ、ドラムなんだけどな、高田はどうだ」
 橋本は話を逸らすように話題を変え、意外な人選を口にした。
ラグビー部の高田?よりによって高田なんて…、と反論しようとした時、後方から「佐山くん」と呼びかけられ僕は口を開きかけたまま一瞬にして固まった。目で確かめる迄も無く、声の主が誰なのかはわかった。恐る恐る振り返ると、僕を恐怖で凍りつかせるあの笑顔があった。加えて控えめに軽く僕らに向けて手を振ってさえいた。

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