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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第2章 ブラー、板わさ、レディオヘッド_3

 橋本が向かった先は校庭を取り囲むように並ぶ運動部の部室棟。その一角にあるラグビー部の部室だった。
 様々な部活のジャージやTシャツが所々に干され、それが砂埃にまみれている。乱雑とした劣悪な環境と、それをものともしない生命力。まるでどこかの国のスラム街の様だ。
 落書きと傷だらけの薄汚いドアを開けると、目当ての高田が折良くソファに座り踏ん反り返っていた。

「なんだお前ら、何しに来た。」
百キロに近いと思われる巨漢をどこかから拾って来た汚いソファに深く埋め、高田は漫画雑誌を読み耽っていた。奥目がちな目を細めて眉間に鋭い皺を寄せている。僕らが入って来ても全く意に介さない。
「お前何してんの。もう引退したんだっけ」
他の部員達が練習に勤しんでいる中一人で部室にいるのを不思議に思い僕は言った。
「あ?バレー部と一緒にすんな。まだ引退してねぇよ、怪我だよ。」
高田は漫画雑誌から目を離さず面倒くさそうに左足を上げて見せた。なるほどハーフパンツから覗く毛むくじゃらの太腿には包帯が巻かれていた。
「じゃあ最後の大会は無理だな。やっぱり引退じゃねぇか」
「試合迄まだ一週間ある。それまでに治すよ。俺がいなかったら本当に一回戦負けだからな。バレー部と一緒で。」

 いちいちバレー部バレー部と引き合いに出す所が憎たらしい。よっぽど漫画雑誌が面白いのか知らんが、まだ一度も目線すらあげない。人としての何かが決定的に欠けている、不愉快極まりない態度である。僕はこんなやつとバンドをやりたいとは微塵も思わなかった。ニヤニヤしながら入り口で腕組みしている橋本に目で合図を送り、出て行こうと促した。橋本はそんな僕の目線を無視して
「高田、お前ドラムやらないか」と唐突に語りかけた。

「あ?」
さすがに漫画雑誌から目線を上げた高田は、呆けた様に口を開けたまま橋本を見た。
「ドラムだよ。佐山がバンド組みたいんだって。だからお前ドラムやってくれよ。お前ら小学生からの付き合いだろ?」
「佐山とバンド…」
一瞬何かを考える様に高田は沈黙したが
「アホか、なんで俺がドラムやんだよ。冗談は顔だけにしてくれ」と吐き捨てると、また漫画雑誌に目を落とした。構わず橋本は続ける。
「お前最近どんな音楽聴いてんの?」
「あ?音楽なんて大して聴いてねぇよ」
「そうか?お前良く登下校中にウォークマン聴いてるじゃん。何聴いてんだよ」
「別に、お前らみたいなイギリスだ何だって洋楽なんか聴いてねぇよ」

 橋本が高田なんぞの登下校中の姿をいちいち記憶している事も意外だが、高田が、僕と橋本の音楽的嗜好を僅かながらも把握している事にも少し驚いた。
「ちょっとウォークマン貸してくれよ。何聴いてるか知りたいんだ」
高田の答えも待たずに橋本はソファの脇にある高田のリュックを漁り出した。
「何なんだよお前はーやめろよ面倒くせえなぁー」
漫画雑誌を放り投げると高田は慌てて橋本を止めに入った。

「佐山コイツを抑えろ」

 え?出来るわけないだろ。と思いながら命令されるがまま高田にしがみつこうとしたが、突き飛ばされて反対側の壁まで吹っ飛ばされた。
 しかし僕の尊い犠牲により時間が稼げたので橋本は目当てのウォークマンをリュックから見つけ出す事に成功した。素早く入り口まで戻り距離を取れば怪我をしてる高田は追いつけない。
「何なんだよお前ら…」
 中腰でソファから立とうとしていた高田であったが、観念したのか再びソファに座りなおし舌打ちをした。橋本は暫く無言で高田のウォークマンを聴いていたが、ニヤリと笑い僕にイヤホンごと手渡した。この期に及んでも僕には何の事だか分からない。渡されるままにイヤホンを耳に押し込むと、意外な音楽が流れて来た。レディオヘッドのファーストだった。
「お前.…こんなの聴いてんの?」
「別にいいだろ俺が何聴こうが」
 そんなに恥ずかしがる事も無いと思うのだが、高田は日に焼けたドス黒い顔を赤黒くしながら大量の汗をかいている。

「佐山、これが何を意味するかわかるか」

 橋本は探偵がトリックを暴くときの様に。部室内を歩き回りながら語り出した。

 橋本は先日廊下で吉川弘美と高田が話しているところを目撃した。高田は今よりもさらに赤黒く変色した顔で、それは幸せそうに吉川と談笑していたそうだ。性格も良く男子からの人気も高い吉川と、ラグビー一筋それを取ったら何の取り柄もないただのデブである高田。珍しい取り合わせに興味を惹かれた橋本は、その様子を物陰から見守る事にした。そこで吉川から手渡された可愛らしい小さな紙袋を、高田は後生大事に抱えて幸せそうに歩いて行ったそうだ。

 橋本の説明を聞いて僕にもなんとなく話が見えた。吉川は誰とでも分け隔てなく付き合える性格の良い子だ。「高田君イギリスの音楽に興味あるんだ。それなら最初はやっぱりレディオヘッドとかいいと思うよ!」てな事を言われ、その気になった高田。その日以来馬鹿のひとつ覚えで、吉川から薦められたレディオヘッドを聴き続けているのだろう。

「つまり高田は洋楽に興味がある振りを装い、吉川に近づこうとしてるんだな」
橋本探偵が結論を出した。
「吉川が貸してくれるって言うからどんなもんか聴いてみただけだ」
 消え入りそうな声で弁明しながらも、高田は橋本の一方的な推測を否定はしなかった。
 僕はこの巨漢がCDコンポの前に座り、屁をするのも忘れてレディオヘッドを一心不乱にダビングしている姿を想像した。強がる高田がなんだか急に不憫に思え僕は同情を禁じ得なかった。
「佐山、吉川の好きなミュージシャン教えてあげればいいじゃん」
橋本に促されそういえば、と先程の会話を思い出した。

「そうだ、吉川はデーモンが好きなんだよ」

「…閣下?」

「な訳ねぇだろ。お前も蝋人形にしてやろうか」

「デビルマンの方か?」

「それ音楽関係無ぇだろ」
 僕らの不毛なやり取りを聞きながら橋本は腹を抱えて笑っている。

「デーモン・アルバーンはブラーっていうイギリスのバンドのヴォーカルだよ。だからブラーを聴いてみてその話をきっかけに吉川と仲良くなればデブのお前にも一発逆転があるかもしれないぞ」

涙を拭きながら橋本は高田を諭す様に優しく語りかけた。

「ブラー…デーモン…ブラー…デーモン…」

巨体を震わせながらその二言を何度もつぶやいている様は、黒魔術によって産み出されたゴーレムを想起させた。

「だから佐山とバンドをやろうぜ。俺はお前が吉川と急激に近づく唯一にして最大のチャンスはこれしかないと思う」
針にかかった。とばかりに橋本は畳み掛ける
「…デーモンもやんのか」
「いや、だからデーモンはボーカルな。ブラーな。ブラーも一曲くらいやるか。吉川絶対喜ぶぞ」
「ブラー…デーモン…」
言葉巧みに誘導され、ゴーレム高田はすっかり橋本の黒魔術の意のままとなっていた。

しばしの黙考の後、高田は口を開いた。
「わかった。ドラムやってやるよ。ただ引退迄は待て。もし勝ち進んで文化祭までの練習期間が無いようならその時は勘弁してくれ」

「どうせ次で負けんだろ」と言う僕を制して橋本が
「わかってる。その代わり引退が決まったらすぐに猛練習を開始してくれよ。デビューは文化祭だからな」と言って高田の肩に手を回した。そして耳元で「これで吉川はお前のものだな」と囁いた。そんな訳ないだろと思うのだが、高田はもう既にやる気になっている様だった。何という単純さだろうか。

「俺が本気出せば一ヶ月でデーモンより上手くなってやるよ」

「高田…だからデーモンはドラムじゃないよ…」
僕は頭を抱えたくなった。


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