見出し画像

私へ「真実の愛」を

人は「愛とは何か」という課題を、生まれてから色んな角度で学んでいるのかもしれません。
音楽や映画、アニメなどでも、
愛とは何かを問うたり、愛を知っていく・気付いていくストーリーや歌詞などが沢山あります。

愛にも色んな愛のかたちがありますが、1番にまず愛さないといけないのは「自分」。
自分を愛する大切さをわかっていても、私は本当の意味でできていませんでした。

「真実の愛」は恐れや不安、要求などの要素はなく、ただ無条件にありのまま。
そしてそこには純粋さがあります。

その真実の愛を、まずは自分に向けられているかどうか。
自分のことが大好き!大切にできている!と思っていても、その裏に隠れているものがあるかもしれません。
私がまさにその一人でした。

Beauty & the Beastの絵

自分を愛することは
「自分を大切にする」
「自分の機嫌を自分でとる」
「自分の気持ちを優先すること」だと思っていました。
もちろん、これらのことも大切なこと。
ただただ純粋に思えていたらよかったのですが、

その裏には
「こんな自分でないと好きになれない」
「これを持ってないと自分に自信が出ない」
「(人に対して)こうしてほしい!」
などの自我・エゴの思いが潜んでいました。


一つずつ紐解いていくと、
「こんな自分でないと好きになれない」は、恐れが隠れています。
こうなりたいと目標を掲げて何かを学んだり、身につけたり、自分を磨くことは必要なこと。
自分を高めていくことで、自信をつけることにも繋がります。
でも自分に対して「こんな自分でないと」という条件があると、その条件に自分が合わなくなったり、状況が変化したときには、その自信は脆くも崩れてしまいます。
根本的に自分を認められていません。
欠けてるところがある自分も無条件に愛し、その上で自分を磨いていくことで、強固な自信となります。

「これを持ってないと自分に自信がない」には、不安が潜んでいます。
何かを持っていないと、自分には何もないんじゃないかと思ってしまう。
地位や名誉、肩書きのあるものが良しとされ称賛される現実世界がまだまだあるので、無意識にそこに目を向けてしまいますが、「何かを持っていないと」はありのままの自分を愛せていません。
(私の場合、以前書いたカルマからの考え方でもあります)


「(人に対して)こうしてほしい!」は要求
です。
自分の感情を大切にしたり、気持ちを口にすることはとても大切なこと。
でもそれが、人に対して要求になっていることがありました。
自分の気持ちを大切にすることと、
人に要求することは全く別物であり、
人に何かを要求している時は、大体インナーチャイルドや内側に原因があります。
自我・エゴの思いであり、それは愛ではありません。

こういった自我やエゴが、自分を愛している裏に潜んでいるときは、愛してるフリをしている状態。
愛してるフリをしてる人のことを信用できないように、自分のことが信じられていません。
自分が信じられない状態で、本当の自分の想い(真我の想い)を叶えようと前に進んでも、アクセルとブレーキを同時に押しているようなものなのだと思います。
それは、幸せになりたい自分と幸せになることを拒絶している自分が、同居している状態でもあります。



自信は自分を信じることで生まれてきますが、自分に「真実の愛」を向けることができると、自然とその自信はついてくるんだなぁと最近よく感じます。
そして愛から生まれた自信は簡単に崩れることはありません。

自分に真実の愛を贈れるようになると、周りに対しても贈れるようになるのはもちろん、受け取ることもできるようになります。
この与えることと受け取ることの愛の循環が、全て完璧な流れを作っていく
のだと思います。

まだまだ愛の深さは計り知れないんだろうと思いますが、私は少し前にこの気付きをギフトとして受け取ったことで、自分の愛の度数が大きく上がったように感じています。
冬至前は1番自分の見たくない部分や暗い部分、闇が特に出てきやすい時期ですが、楽しいことが多い時期でもあるので、見たくないものに蓋をするには絶好の機会。
その反対に、蓋をせず、光に反転できるチャンスでもあります。
一人一人が自分に真実の愛を贈り、全体の愛の度数が上がっていくといいなぁと感じる今日この頃です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?