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子育てはそんなに価値の低い仕事なのか?

公園で子供を遊ばせていると「この子の親はどこに?」という状況にしばしば遭遇します。近くにはいるけど、スマホをいじっていて子供は放置状態。ま、いろいろ事情はあるでしょうから、たまたまその瞬間がそうだっただけかもしれないし。

でもそういう子供は大抵、誰にでもよく話しかけてきます。唐突に自分の話を始める感じ。「〇〇ねー、これ好きなの。これ、〇〇のだからねっ」といった具合。ん?なにかな?
人懐っこいのも、誰でも話しかけられる社交性も大事です、確かに。ただ、こういう状態だと連れ去られちゃったりしないかなとも思う。
まぁ、周りの親が気をつけていれば悪意のある人は近づけないとは思いますが、なんとなく危ないなと。

放置している親は自分もそんな風に育っただけの話で、なにも違和感がないのかもしれないし。鶏が先か卵が先かわかりません。ただ、自分としては「子育てはそんなに価値の低い仕事なのか?」と疑問を抱かずにはいられないと思うのです。

「専業主婦だと見下される」の詳細

ちょっと前に目にした記事です。専業主婦といってもひとくくりにできないし、人の生き方にあれこれ外野がうるさいことを言うべきではありません。書いたご本人もあくまで個人的な見解でと、断ってはあるけど周囲の価値観に影響されすぎないほうがいいと思います。

専業主婦は「見下されている」のか?共働き増加で肩身狭く、「多様な生き方を尊重してほしい」と当事者

ざっくりまとめると、
・ 専業主婦はスキルも能力もないと思われている
・ 家の中のことしか興味がなく難しいことはわからない
・ 昔に比べれば家事労働の負担は軽減されているのに外で働かないのは怠慢
・ 専業主婦自身もコンプレックスを持っている

ということです。
ただ、なんだかものすごく違和感を感じます。
自分自身は会社に通ってフルタイムで働いているので、いろんな人を見かけます。

会社でもスキルも能力も足りない人もいるし、自分の担当業務にしか興味がない(ように見える)人もいる。便利なITを使いこなさないで昔のやり方に固執する人もいるし、コンプレックスに至っては博物館に展示したいぐらい、さまざまな種類が存在します。そういう、自分だって、能力や知識が不足していてイマイチ相手の期待に沿えないことは数知れず、です。

誰かが別の立場の誰かを見下すって、専業主婦に限らず
・ フリーランスがサラリーマンを見下す(その逆も)
・ 大企業の会社員が中小企業の会社員を見下す(その逆も)
・ 専門資格を持った仕事の人がそうではない人を見下す(その逆も)
・ お金持ちが庶民を見下す(その逆も)

まぁ、あげたらキリがないほどあります。
仮に本当に見下される人がいるとしたら、実は立場や職業の問題ではないのでは?
で、そういう相対的なものではなく、専業主婦が子育てをしているとすると、ただ1つだけ、子育ては何か別格の経験や価値観の学習に繋がる珍しいアクティビティではないかと思うのです。

幼児教育の価値の高さ

シカゴ大学のジェームズ・J・ヘックマン教授がノーベル経済学賞を受賞したのは2000年の話。その頃生まれた子供はもうそろそろ成人です。
しかし、その研究の40年に及ぶ追跡調査の成果がなかなか生かされていのが現実です。東洋経済の記事(これは2015年)を紹介します。

「幼児教育」が人生を変える、これだけの証拠

こっちの記事にも

「幼児教育」がもたらす驚くべき経済効果

要点としては、就学前の時期に十分な接触機会や学習があった子供は、そうではない子供に比べて経済的に豊かな人生を歩む確率が高い。それは、成人に対する教育コストに比べてはるかに投資効率が高い。ということです。

子供自身についても投資効果が高い上に、自分自身の経験でいうと、子供を教育するというのは、むしろ親が学ぶことの方が多いのでは?という気もしするのです。

・ 認知が発達していく過程の現物をみたことがある人がどれだけいるだろうか?
・ 言語を獲得していく過程は?
・ お絵かきを通してグラフィックを学ぶ過程は?
・ 歩行からジャンプ、走る、ボールを投げる動作の獲得は?

観察していると本当に学びになることが多く、出来るだけ長い時間みていたいと思うのです。自分の場合は若干職業病なところがあるのですが…

保育無料の「カラクリ」

「女性の社会進出を」ということで、子育て支援予算で児童手当だったり保育の無料化など、ま、お金をもらえるのはありがたいことですが、いろいろ疑問が湧いてきます。
そもそも子育ては母親(がメインにならざるを得ないのは仕方がないとしても)の仕事という前提なのか?お金をもらえるとしても預ける先がない問題はどう解決するの?とか。

どのニュースだったか記憶ないので引用できませんが、保育の無料化に伴い値上げに踏み切る園もあったりして、結果的に負担額が増えちゃう家庭もあるとのこと。
ただ「けしからん保育園だ!」という単純な話ではなく、事情は複雑です。

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これまでギリリギの経営で、保育士の給与も何年も上げられないまま、設備の老朽化にもだましだまし運営してきた園としては、やむにやまれずということで値上げに踏み切ったそうです。

ストレートに聞いていると「なるほどそうなのね」という感想しかないかもしれないけれど、実はこれ、よく考えるとおかしな話です。

待機児童・保育士の給与水準の低さ・少子化といった問題は、もう何年も社会問題の基調を構成していて、そのメカニズムの根本に予算を割くべきなのでは?

幼稚園や保育園に助成金を出して、設備を直し働き手の待遇改善を行い、働き手を増やして保育の質をあげて…そりゃ時間はかかるかもしれないけど、それが真っ当な手順ではないかと。

でもそれでは、票の獲得には繋がらないんですね。
まるで社会問題を題材に朝三暮四のペテンで選挙の道具にしているみたい。

みずから学ばない=投資効果の低い親にお金をばらまいて、票を獲得して政権を安定させる。愚民化が進むから社会は衰退に向かうけど、このマッチポンプシステムは有効に機能し続ける。いったい誰が得するというのでしょう?

おっと、誰か来たようなんでこの辺で…

ゆりかごを揺らす手は

そんなタイトルのサイコ・スリラー映画がありましたが、その一節はWilliam Ross Wallaceの詩で母親の偉大さを讃えるフレーズです。

「ゆりかごを揺らす手は世を支配する手なり」。
"The Hand That Rocks The Cradle Is The Hand That Rules The World”

子育て=母の負担が重くなるのは、まぁ現実的にはしょうがないとは思います。見渡す限り明らかに父より母のほうが子育てに関する能力が高いし、子供はそれを知っているし。特に子供の意図(泣いてる時、不満な時、要求がある時などを声や表情から)を汲み取る能力が段違いに高いです。これは、女性の方が表情に現れるわずかな差を見極める能力が高いということで科学的に証明されていることです。

でも、そこんところは能力が低いかもしれないけど、夫にもできることがあります。妻の肩を揉んだり、風呂掃除をしたり、時にはストレス解消の八つ当たりサンドバッグになったり。あるいは、子供とフィジカルな遊びをするのは男親のほうが向いてます。とにかく、子供が小さいうちは男親も仕事より優先して時間と意識を割くべきと思います。それで所得が減ったとしても。

ほんの10年先ですら、

「仕事のために家庭を顧みずにすべてを捧げてきた人」

よりも、

「子育ての時期には仕事をセーブしてたけど、手が離れて第一線に戻ってきた人」

の方が組織の中で重宝される時代がくると思います。
前者は封建的・体育会系的・達成型の社会において重宝される人で、10年後にもまだその価値観で運営できている組織があるとしたら、まともな商売ではないかもしれない、と、個人的な予想ですが。

どっちに賭ける?

いずれにせよ、子育てはその機会に恵まれた人にとっては絶好のチャンスで、唯一無二の価値ある仕事ができる可能性があるのです。

もし、共働きで妻に負担がかかりがちで、

「申し訳ないと思いつつも、ここで社内の競争に遅れをとると生涯に稼げる賃金に大きな誤算が生じるので、いまはこのまま頑張るしかないのだ」

と思っている男性の会社員の方がいるとしたら、どうか一度立ち止まって、冷静になってほしいと思います。きっと、そんなことないはず。

上のテーゼを裏から見ると、

「家庭を犠牲にして頑張ったら確実に生涯収入は安泰である」

と言えるでしょうか?可能性が高い(ように見える)としても、そこに100%賭けるべきでしょうか?そもそも収入があれば安泰なのでしょうか?
どんな投資も博打も、有り金全部賭けるという手法は必ず失敗するんですけど。。。

どっちに賭けるか?
人によって状況はさまざまなので正解もそれぞれでしょう。ただ読み違いをする人が減るといいなと思うのです。

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