雪をただ美しいと思えることの幸せ
私は冬が嫌いだ。
寒さよりも何よりも、雪がとにかく嫌いだ。
雪国出身の私は、生まれた時から雪とともに生きてきた。
そりやスキー、雪合戦にかまくらづくり。子供の頃が一番、親雪(雪に親しむこと。雪を使って楽しむこと)出来ていたと思う。
今でこそ都心に出てきているので雪に触ることはほぼ無くなったが、雪の“楽しさ”の裏側にある“厳しさ”もよく知っている。
通常の雨のように溜まることなく消えるものならばまだしも、雪はどんどんと降り積もり、やがて何十センチという障害物となる。雪国において雪は片づけない限り、冬の間に自然に消えることはほぼ無い。
夜の間に音もたてず静かに積もり積もって、翌朝その量を見てうんざりする。それがほぼ毎日。片づけないと学校へも会社へも行けない、休日も同様だ。
車が通れる分をササっと片づけるだけだと思われるかもしれないが、油断をすると実はとても危険な作業だったりする。
雪国の人間にとって、雪片付けは生死に関わるのだ。
* * *
この冬も、雪による死亡事故が後を絶たない。
今年の積雪量は、北海道と東北の日本海側や北陸で、平年の200%前後に上る。秋田県横手市では観測史上最大積雪を記録、新潟県上越市などでも72時間の降雪量の観測史上最大積雪を記録した。
雪が多ければその分事故も増える。
国交省が平成20年に発表した『雪害による犠牲者発生の要因等総合調査』によると、雪による死者・重症者の原因は以下のようになっている。
上記からわかるように、死亡・重傷となる原因はほぼ「屋根からの転落」となっている。
屋根の雪片付けは本当に危険で、毎年のように死亡事故が相次ぐ。特に65歳以上の高齢者の死亡の割合は全年齢比で6割を超える。その危険さは「屋根の雪下ろしは必ず一人ではやらないこと」と注意喚起されるほどだ。
しかし、屋根の雪の放置は住宅の倒壊、近所トラブルの要因(自然に落雪して他人の敷地に雪が入ってしまう)につながるため、どうしても避けられない作業なのだ。
「高齢者のみの住宅は雪下ろしを自治体に頼めばいい」という意見もあるだろうが、圧倒的に人手とお金が足りないのですぐには無理だ。
雪下ろしの必要のない住宅も存在するが、補助無しで全員が建て直せることはほぼ無いだろう。
* * *
私は冬が嫌いだ。
どんよりとした昼間の空を見ていると、暗い気持ちになる。
灰色の重たい空がずっしりと頭にのしかかる。そして突き刺すように冷たい風。おまけに毎日の雪片付け。憂鬱だ。
それでも、冬を、雪を美しいと思うときはある。
束の間の晴れ間に見える、真っ白な山々と足跡の無い雪原。
民家の明かりや街頭でキラキラと輝き、音が吸い込まれたように静かな明るい夜。
雪をまとったどこまでも続く街路樹。
確かに美しかった。
* * *
雪と生きていくことはとても厳しいことだ。しかし、雪が降るこの厳しい故郷でも、やはり愛してやまないのだ。
雪の無い場所で暮らす方が、冬は何倍も楽だろう。それでも故郷を愛する気持ちは、その厳しさを超えるほど強いものなのだ。
雪とともに生きることを選んだ人々は、こうして今日も厳しい冬を乗り越えていく。
誰も危険の無い安全な雪害対策が取られること、いつも雪を美しいと感じながら生きられるようになることを、切に願うばかりだ。
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