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しっくりこないアドバイスは、そっと受け流していい理由

もしも納得できなかったり、しっくりこなかったりするアドバイスを受けたときは、「受け流す」という選択肢を持ってみてください。

受け流せるようになるだけで、心はずいぶんとラクになります。

以前の私は、仮に助言がしっくりこないときでも、自分の気持ちを押し殺していました。
自信が持てず、自分の意見や気持ちに自信が持てなかったのです。
モヤモヤを抱えながらも、相手の意見にピッタリ沿うように生きてきました。

ときには、相手の助言どおりに動けないときもありました。
そんなとき、私はいつもビクビクしていました。

「相手になんて言い訳しよう……」「助言に沿えない自分は嫌われるのではないか……」など、息をそっと潜めながら、びくびくして息詰まる生き方をしていたのです。


あるとき、私はそんな自分がイヤになりました。
自分の気持ちをしっかり伝えようと思ったのです。

慣れていないので、出てくる言葉はしどろもどろでした。
もちろん、その言葉の裏側にある気持ちを、汲んでくれる優しい人もたくさんいました。
けれども、なかには「いえ、あなたは、こうこうこういう理由で、間違っている。もっとこうすべきだ」という人もいました。

私はそのたびに深く傷つきました。
本音を言うということは、無防備になるということです。
胸襟を開いたところに、心ない言葉をグサッと浴びせられると、私は立ち直ることができませんでした。


もし当時の自分に言葉をかけることができるなら、「全てにそんなに真剣に向き合わなくてもいいよ」と伝えたいです。
表面上は「わかった」と言っておいて、大事な心だけをそっと自由な場所に逃がしていいよ、と伝えたいのです。

下町ロケットのモデルとなった植松努さんは、「受け流す能力」について次のように言います。

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たとえば、親に「普通はみんな大学くらい行く。将来のことを考えて、できるだけ高い目標を持ちなさい」と言われたら、「わかった」と答えておく。

でも、「わかった」というのは嘘でもいいのです。
別に「普通=大学」と思わなくてもいいし、「高い目標=偏差値アップ」と思わなくていいのです。

(中略)

真正面からぶつかって「それは違う!」と戦うより、とりあえず言うことを聞いているふりをして受け流したほうが、自分の思いどおりにやれることはたくさんあります。

(中略)

君に「目標」や「普通」をおしつける人たち。点数や勝利やほめ言葉を、まるで目の前にニンジンをぶらさげるようにちらつかせて、君を動かそうとする人たち。

こういう人たちと真正面からぶつかって納得させる必要はありません。
大切なエネルギーは、そういう面倒くさいことではなく、本当に自分が好きなことをするために使いましょう。

『「どうせ無理」と思っている君へ』(植松努著)P73~75から引用
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植松さんのお話に、私はとても共感します。

相手をわざわざ否定する必要はないし、同時に、相手に服従する必要も全くないのです。


「それって、相手に失礼なのでは……」
「相手の言っていることのほうが、正しいし……」
「わたしは考えが甘いから、言われて当然……」


優しいあなたは、そう思うかもしれません。

それでもなお、私は「受け流すこと」は大切なのだと思います。
なぜなら、相手と自分にとっての答えは違うからです。


たとえば、ある人は、人生において「安定こそが大事」と思うかもしれません。
一流大学や一流企業にいけば、給料が高水準、福利厚生が充実、キャリアプランが豊富。だから安定した人生を歩むべき……
もっともらしい理由もたくさんありますよね。

そんな正論で詰め寄られると、違和感を感じる自分のほうがおかしいのだ、と思ってしまうかもしれません。

けれども、あなたがもしそこに違和感を感じるのなら、その道は、あなたにとっては正解ではないのです。


違和感って、大抵の場合、もわっとしています。
明確な理由であったり、論理的に説明するのも、むずかしいものです。
だから、正論をぶつけられたり、「その考えは甘いんじゃない?」ってぐっと詰め寄られると、自分が何も考えていないようで恥ずかしくなって、気持ちを押し隠したくなることもあるかもしれません。

けれども、直感や違和感って、もっと大事にしてもいいのだと私は思います。
なぜなら、その感覚こそが、自分らしさだからです。

自分の価値観や性格、家庭、経験、背景、ライフスタイル、トラウマなどなど……
さまざまなものがギュッと凝縮されて、直感や感性が働きます。
私達は、自分の感性をもっと信じていいのです。


そしてその感性は、相手に理解されなくてもいいのだと思います。
自分にも感性があるように、相手にも感性があります。
もちろん分かりあえると嬉しいけれど、どうしても分かりあえないときだってあります。
そんなときは、「あなたはそう考えるんだね」と受け流して、自分の感性をそっと守ってもいいのだと思うのです。

なぜなら、一番大切なのは、あなたがあなたらしく生きることだからです。


植松努さんは、次のようにいいます。

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誰かがおしつけてくる人生から逃げ出しましょう。
君の人生は君のものです。
そして自分の好きなことをやれば、君の自信は修復され、ぐんぐん回復していくはずです。

『「どうせ無理」と思っている君へ』(植松努著)P75から引用
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自分の感性を守っていくと、自信が修復されていきます。
「あっ、あの人はああ言ってたけど、やっぱりこっちのほうが私はいいんだ」という実感を得ることができるからです。
その感覚は、常識とか理屈とか正論なんかよりも、遥かに尊い財産になるのだと思うのです。

そんな自分の中に息づく確かな実感を積み重ねた先に、自分らしい生き方があるのではないでしょうか。


その尊い実感は、誰にも理解されないかもしれません。
けれども、少なくとも自分だけは、その心に芽吹いた感覚を、そっと護ってほしいなぁと思うのです。

その芽を大切に育てていけば、地面にしっかりと根を張った、たくましく、自分らしい花が咲くのだと、私は思います。


もしあなたが「しっくりこない」ことに服従しそうになったり、わかりあえないことにツラさを感じたりすることがあれば、ぜひ「受け流す」という選択肢を持ってみてください。

あなたが、自分のなかにぽっと芽ぶいた尊い感覚を、そっと護ることができますように。


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