追い風にブレーキをかけない

■2017年10月30日 休日

市内を縦断するように流れる川。いつも南風に撫でられているから水面だけが上流に向かって薄い波を立てている。でも今日は違った。台風の大雨の影響で濁った川は、力強く確実に、下流に向かってぐんぐんと流れていた。

随分と水位が高くなっている。いつもは両岸に釣り人たちがぽつぽつと見えるのだけど、今日は一人も居なかった。彼らのお手製の桟橋もほとんど水没していた。でもそれらは決して壊れたりはしていなかった。釣り人たちの情熱は静かだが何者にも屈しないのだ。

いつものように上流に向かって走る。2kmくらい走ったところでふくらはぎが悲鳴を上げ始めた。なんて弱気な。そんなことでフルマラソンを走れようか。叱咤しつつ進もうとするが痛みが強くて足が出ない。仕方なく歩く。

膝の故障のことが脳裏をよぎる。今度は肉離れを起こした、とか笑えない。しかし故障を恐れてナイーブになりすぎても力はつかない。その瀬戸際をしっかりと見極めつつ、ぎりぎりのところで調整する。これがランニングのスリルというか、醍醐味というか、恐ろしくも面白い側面なのだと思う。

ママチャリに乗ったおっちゃんがすれ違う。

「よぉ、にいちゃん、がんばりぃや。やりゃあできるんじゃけえ。実力はあるんじゃけえの」

なんてことは決して言わなかったんだけど、おっちゃんはそういうことを言いながら僕にエールを送ってくれた、と僕は勝手に妄想した。どうということのない無害な妄想だ。しかし僕はその小さな妄想のたねを風船くらいに膨らませることによって勝手に少しだけ、励まされていた。

人はこのようにして、時に他人を利用して自らの利を得ようとする。

まさか僕とすれ違ったおっちゃんも、こんな風に僕の妄想に付き合わされていることなんて知りもしないだろう。いや、もしかしたらおっちゃんの方でも、同じようにすれ違いざまの僕を勝手に登場人物にして何らかの妄想に利用していたのかもしれないけど。

いつものコースの途中に、富士見橋という小さな橋がある。緩やかにこんもりとしたアーチのその一番高いところからきっと、昔は富士山が見えたのだろう。これまでずっと僕はそこから西のかなたを眺めているのだけど、一度だって富士山は見えなかった。

ところが今日は、台風一過のおかげで空気が澄んでいたのかもしれない。はるかかなたにそれらしきフォルムが見えたのだ。それは僕の勘違いなのかもしれないけど、しかしやっぱりなんとなく、富士山らしきものが見えたという事実はある程度僕のことを元気づけてくれた。

残りはゆっくりでいいから歩かずに走ろう。

農業交流センターの橋で反対岸に渡り、折り返して下流の方向へと走る。力強い追い風が僕の体に圧力をかける。おっとと、とバランスを崩さぬように注意しながら走る。その時、ふと気づいたことがあった。

後ろから追い立てられるように結構な強さで風が吹いている。それを受けている僕は、まるでブレーキをかけるかのごとく、自分の足取りを自動的に、微妙に調整していたのだ。

追い風を受けてびゅんと進めばいいものを。

なぜだろう、と走りながら考えた。きっと、怖いのだろう。風を受けてスピードを上げて跳ねるように飛ぶように走ることを僕はまだ知らない。だから不安なのだろう。

坂道を猛スピードで下る自転車ならまだしも。

僕が風に乗ってスピードを出すことに、一体どんなリスクがあるだろうか。落ち着いて考えると、あほらしい。僕は風に身をあずけてみた。両脚は水面に小さな波紋をつけるぐらいのイメージで、腰から上はひたすら風に流される。

すると僕の体は気持ちよく前へ前へと進んでいった。うまい具合いに流れに乗ったボートのように、漕がなくてもすーっと進んでいく。そんな感じだった。

川を離れて公園を抜けて自宅へと向かう途中、大きな木々から黄色い葉っぱがひらひらと、まるで僕を賞賛するかのごとく舞い落ちてきた。後ろからは波打ち際の白潮のように、イチョウの葉たちが楽しそうに絡みついてきた。

そのような偶発的な、瞬間の美学とも呼べるような、自然の美しさに巡り会うことができるのも、僕がランニングを続け(られ)るひとつの理由なのかもしれない。


■体重:69.9kg 走行距離:12km

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?