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夜勤明けの21km (下)

4kmほど走ったころ、前方にタモリさんが見えた。

いや、タモリさんなワケないのだが、そっくりなオジさんが歩いていた。あのサングラス、あの髪型、あの眉毛。少し本物より背が小さいような気がしたけど、そもそも僕は実物のタモリさんを見たことがないので不確かな評価だ。少なくとも、今までそれなりにこの川沿いを走ってきたけど、初めて見るオジさんだった。

それから少しして、今度は2台のロードバイクとすれ違った。男性と女性。おそらく夫婦だろう。その女性が、ダイアモンド☆ユカイさんにそっくりだった。

軽い調子で走っていて、まだまだ走れそうな感じがした。今日はどのくらい走ろうか。10km以上は走れそうな気がする。

遠くの空にもこもことした雲が鎮座していて、その隙間から黄金の光の直線が大地を刺していた。今にもケフカ(FF6参照)が降臨してきそうな、神々しい雰囲気の空だった。

イヤホンから「モアナと伝説の海」のサントラ曲が流れる。曲名は「モアナ」。モアナのおばあちゃん(声優は夏木マリさん)が優しく語りかけるように歌い、それからモアナ(屋比久知奈さん)が力強く答える曲だ。

フィナーレの「私はモアナ」というフレーズの時に僕は、もう完全にモアナになりきっていた。足取りは軽く、体は大地から浮き上がり、眼前の波のような雲に昇り、駆けていった。夢とか希望とか、そんなものを全部乗せた船でぐんぐんと突き進む、そんなイメージ。

今日は結構、走れそうだ。・・・ハーフ、いってみようか。

7km。

川沿いには釣り人たちの車が止まっている。マツダのプレマシーが見えた。黒いプレマシーはぴかぴかに磨かれていて、雑草の生い茂った道端に不釣り合いな感じがした。ああ、お前は愛されているんだなあ。いいご主人に出会ったね。

10km。

心肺機能的にはまったく不安がなかった。これならフルも大丈夫じゃないか。そう思い始めたころ、ふくらはぎがパンクしそうに張ってきた。硬いバットを下腿(ダジャレではない)の中心に突っ込まれたような痛み。きつい。

13km。

たまらずベンチに腰をおろし、急いでふくらはぎを揉む。痛い。ぐっぐっとストレッチをする。もう少しだ、がんばれ。

15km。

夢か幻か。タモリさんと再開した。いや、それはもう他人行儀な「タモリさん」ではなく、親愛なる「タモさん」だった。さっき見かけた時には見なかった、肩に「プロデューサー」掛けされたニット。あまりにもそれは「タモさん」すぎて、僕は吹き出しそうになった。

ブラタモリの収録でもしているのか。こんな中途半端なベッドタウンで。いや、そんな街だからこそ? ・・・きっとこのあたりから僕は、いわゆる「ランナーズハイ」状態だったのだと思う。なんだか嬉しくなって、疲れも痛みもどこか違う場所にあるもののような感覚になっていた。

もはや「タモさん」が本物かどうかは大した問題ではなかった(少なくとも僕にとっては)。妙な多幸感に背中を押され、うふふ、ぐへへと気持ち悪い笑みを浮かべながら走っていた。不気味なランナーだったと思う。

苦痛の向こう側が見えた。

痛みを伴っているはずなのに、それがさして気にならない。根拠もないが、どこまでも走れそうな自信。つらいのに楽しい。苦しいのに嬉しい。

「バッファロー'66」のラスト。

売店でハート形のクッキーを買い、居合わせた客に同じものをおごり、店員にはチップを出し、感謝の言葉を残し去っていくビリー・ブラウン。ランナーズハイとはきっと、あの時のビリーのような気持ちだと僕はこの時思った。

18km、僕は風になっていた。

時速10km/hくらいの速度なんてはたから見たら風でもなんでもないけど、確かに僕は風になっていた。イヤホンから流れる「Apocalypsis Noctis」は完全に僕をその気にさせていた(FF15参照)。音楽は偉大だ。

20km。

落ち葉の絨毯はまるで勝者へ用意されたレッドカーペットみたいだった。フィニッシュはドリカムの「何度でも」、そしてSuperflyの「Beautiful」とあまりにも出来すぎた流れだった。

タイムは2時間2分。

軽く流すつもりだったのに、2月に印西のスマイルマラソンで走った記録を抜いていた。しかも、余力を残した状態で(2月の時は、走り終わった後、泥みたいに死にかけていた)。

これまで頑張って走ってきた分の実力は確実についているんだな。自信がついた。そしてランナーズハイという不思議な感覚も体験できた。そんな今回の21kmを一言で表現するならそれはもう、間違いなく「タモさん」だ。

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