母と私とデリバリー妖怪「えんこう」
各家庭に必ずと言ってよいほど置かれていた固定電話。今ではスマホにとって代わられてしまったのか、目にする機会はめっきり減ってしまった。
今どきの親たちは、やはりスマートフォンでサンタさんと通話してみせるのだろうか?なまはげさんへの我が子の悪事報告も、LINEで済ませてしまったり…?色々と小芝居も打ちやすくなってはいるのだろうが、どうも自分には味気なく感じてしまう。
そんなことを考えているとふと思い出すのが、幼少期、当時やんちゃだった私がよく母から与えられていた恐怖の一言。
「えんこう呼ぶぞね!」
えんこう(猿猴)というのは、要は河童のことである。
なら素直に河童と言えという話もあるが、高知では河童のことを猿猴と呼ぶらしい。我が家では日常的に呼ぶだの呼ばないだのと気軽に扱われていたデリバリー妖怪であるが、改めてWikiを覗いてみると中々に妖怪らしい妖怪である。
【猿猴の特徴】
手足は長く爪があり、伸縮自在。身体はナマズのようにぬめっている。
泳いでいる人間を襲い、肛門から生き胆を抜き取り、馬の脚を引っ張り、時には人間の女を犯す。
(wiki参照)
もちろん当時の私がそんな空恐ろしい猿猴の生態を把握しているはずもないが、「大人がこれほどに仰々しく呼ぶのだから、きっと想像もつかないほどの強大なバケモノなのであろう」という推測だけでも、手足を投げ出し泣き叫ぶほどの恐怖心が膨らむには十分であったように思う。子どもの想像力というのは無限大である。
「えんこう呼ぶぞね!」の前段階?に、「えんこうの家の子になるかね!」も存在したのだが、この妖怪に我が子を預けたところでまず矯正はしてくれないだろうなぁ…と。これが鬼子母神あたりなら(やべぇ…真面目人間にされてしまう…)と別ベクトルの恐怖もあったかもしれない。
ちなみに、一度だけ本当にえんこうを呼ばれたことがある。母がダイヤルを回す間、あの重い沈黙に包まれた地獄の十数秒は、今でも夢に出る。
「えんこうさんですか?はい…息子が粗相をしまして…ええ…迎えに来てもらっても…はい、お願いします」
恐ろしい話だ。実に恐ろしい。
母が電話をかけている間中、私は泣き叫びながら母の脚にしがみついていた。お願いします、ボクが悪かったです、呼ばないでください…。
必死の懇願も虚しく、母はそのまま受話器を置き、私に一言。
「えんこうさん、すぐ来ると。玄関で待つぞね」
実質の死刑宣告。絶望に染まった私の瞳から、またひとつ大粒の涙がこぼれ落ちる。
逃げればいいものを、私はそのまま母の脚にくっついて玄関へ向かった。いくらなんでも素直すぎないか、自分。
扉の前で一分、二分。私にとっては数年数十年にも感じるほどの長い時間であった。
えぐえぐと泣き続ける私に、母が問いかける。
「反省した?」
もちろんである。
ごめんなさい、と。心の底の底から零れ出た謝罪の一言を受け取った母親は、固定電話の前に戻り、デリバリーキャンセルの連絡を入れるのだった。
「あ、えんこうさんですか?…ええ、先ほどの●●です。息子は反省したようなので、やっぱり来なくて大丈夫です」
冒頭では冗談めかして書いたものの。「なまはげ」に代表されるような、子供が恐れ大人しくなるような“こわいもの”というのは、いまや次々と姿を消している。
鬼に、天狗に、河童に…。今の子供のうち、「キツネ」と聞いて妖怪を連想するような層はいったい如何ほどであろうか。下手するとゼロかもしれない。いまの「キツネ」はコロコロふわふわしていて、時々キュンキュンと鳴くものでしかないのだ。霞を喰らって生きる類いのゆるふわ小動物である。
「なまはげ」と検索して並ぶワードが「児童虐待」であるようなこのご時世、私たちが知っているような“こわいもの”たちはこのまま緩やかに消滅してゆくのだろう。「伝統だから皆で協力して残すべきだ!」などと言うつもりはない。…ないが、なんだか物悲しい気持ちにはなる。
恐らく自身を重ねてしまうのだろう。
自身の死後、時間が経つにつれて私の存在を知る者は徐々に減り、私のことが口の端に上ることもなくなり、やがて“私”は、存在していたという証すらなく消滅する…。そんなことを、消えつつある「こわいもの」を見ていると想像してしまう。
もはや私の地元では、「えんこう」を知る子どもは居ないだろう。なにせ同年代においてすら、その存在を知る人に出会ったためしがない。ほぼ消えかけの存在となった妖怪「えんこう」。名前を呼ばれることもなくなった今も、高知の山中でひっそりと佇んでいるのだろうか。
十数年前の夜、確かに「えんこう」はデリバリー営業に駆けていた。