もやし

未来視の経済学と、日替わりもやし定食


 金がない。とにかくない。

 年末が近づくにつれ、夕食にもやしが並ぶ頻度がどんどんと増えていってる気がします。今日の日替わりもやし定食はコチュジャンを使ったピリ辛風炒め。やったね!

 日毎にこけてゆく頬、痩せ細る体躯。大学生というイキモノは、得てして金がないものなのです。

 んで。

 金が無くなってくると脳裏をよぎり始めるのが「節約」の二文字。金が無くなってから節約し始めても何の意味もないんですが・・・まあいいや。

 ともかく。

 節約してぇなー・・・なんてぼんやりと考えながら適当なブログをポチポチと漁る今日この頃、ちょくちょく目に留まるのが「行動経済学」を用いての節約術を謳った記事。

 ああいったブログではあるあるなのでしょうが・・・あれ、それっぽいことを並べたてているだけだったり拡大解釈しまくられていたりと、とにかく酷いもんです。


 「行動経済学」とは何ぞや?という方へ軽く説明をば。

 行動経済学とは、経済学分野において近年にわかに台頭し始めた新ジャンル。これまでの「めっちゃ合理的で自身に利益の出る行動しか取らないヒト(=ホモ・エコノミカス)」を前提として進められていた経済学から一歩外れ、心理学脳科学分野の知見を取り込み「リアルな」人々の経済行動を理論・モデル化せんとする学問のことです。

 従来の経済学を演繹型とひとくくりに纏めるならば、この行動経済学は帰納型であると言えましょう。

 すなわち、仮定と推論を駆使して生み出された数理的な理論・モデルを基に、現実世界の事象への考察や政策への提言を行うのが従来の経済学。逆に、個々の具体的な事象を集計し、考察を行うことで、そこに一定の法則を見出そうというのが行動経済学なのです。・・・たぶん


 こんな感じ。

 あくまで大体のイメージなんで・・・細部を詰めていくとこれに当てはまらないものはもう、フルグラの乾燥フルーツくらいゴロゴロと出てくると思います。フルグラおいしいですよね。スナック代わりによく食ってます。

 とにかく。

 何が言いたいかというと、行動経済学は数々の実験・観察を経て人間の経済行動に現実味のある法則性・理論を生み出そうというだけのものに過ぎず、結局のところマーケティングを行う側のツールでしかないということです。

 販売者側のツールを購入する側である私たちが持っていたところで、「あ、この売り方・・・やるじゃん!」って感想が出てくる程度で終わりです。毒にも薬にもなりません。

 というかそんな細かい部分にチクイチ気が付くような人はそもそも浪費しないはず。節約術に行動経済学はなーーんにも関係ないのです。


結論:行動経済学は万能じゃない!節約するならモヤシを食え!

 以上。


 ・・・で、終わろうかと思ったのですが・・・。せっかくなので行動経済学についてもう一言二言。

 先にも述べた通り、行動経済学は帰納法的な論法に基づき理論や経済モデルを生み出さんとするもの(たぶん)ですが・・・行動経済学に限らず、経済学全般を勉強してて時々ふっと浮かぶのが、「そもそもの話、なんでこんなことしてんの?」という素朴な問い。

 経済学の最終的な目的というものでいえば、J.ベンサムが提唱した最大多数の最大幸福がそれに当たるのでしょうが、その数歩手前、「どうしてこのオッサン達はこんなに理論化・モデル化を行いたがってんの?」という疑問には、ミルトン・フリードマンが1953年の論文にて示した理論の有用性についての弁がその答えとなるはずです。

 曰く、理論の有用性とは、その理論を用いて説明をしたいと思う経済現象についての「予測」を可能にするかどうかという点のみにかかっている・・・と。

 そう。予測

 「これをこう弄ったらどうなんのさ?」っていう、眩しいくらいに純粋な知的好奇心の累積が、経済学を構成しているのです。

 何度も繰り返すよう、演繹的な論法に基づき、仮定と推論に基盤をおいたモデルと理論によって現実世界の経済活動を「予測」するのが従来の経済学。

 であるならば、行動経済学の発展によって、現実世界の事象に基づき構成された「リアル」なモデルと理論が完成したその時に実現するのは、もはやSF小説なんかで見るような「未来予知」なんじゃないかと・・・個人的には思ったり思わなかったり。


 とはいえ、そんな夢物語に実現の光が差し込むのは恐らく・・・少なくとも100年は後のことになるはず。今の行動経済学分野はあまりに未発達。

 行われているフィールド実験の数もあんまり多くないですし、そもそも実験や検証を行えるほどの予算が経済学分野には回ってこない、なんて話も。

 考えてみりゃ、至極当然の話。今までの経済学は極端な話、机と椅子さえあれば研究ができるような出不精な学問。(極論です、ごめんなさい・・・)

 外に出て実験する必要が出てきました!予算下さい!なんて急に言ったところで予算確保してもらえるはずもありません。

 ただでさえ日本は研究予算として回される金額が少なすぎるなんて話が出てるくらいですし・・・うん。仕方ない。

 なんかもう、せっかく大学生の数がどんどこ増えてるわけですし、そこらへんで暇そうにしてる大学生なんかを使ってバンバン大規模な実験とかできないもんですかね。

 手に届く範囲のもので妥協した実験・・・もやしに妥協する日々を送る私には、非常に親近感がわかざるを得ません。

 研究者にとってのもやし炒めが、ぼくたち大学生というわけです。とってもヘルシーで安上がり。やったね!




 あ、コチュジャン切らしてた・・・。




※あくまで経済学を齧った程度でしかない、パッパラパーないち大学生の憶測と愚考の末に生み出された駄文です。ご注意を※