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僕とミニカーと「人間」と
何よりも先ず最初に。これだけは伝えておきたい。
かつて私のクラスメイトはミニカーであり、ミニカーは私のクラスメイトであった。
と。
※重度の下ネタを含みます。ご注意下さい。
今回はミニカーについてのエッセイ。小学生の頃の私の「趣味」のお話をさせていただきます。
当時の私は、それはそれはクルマが大好きでした。
クルマ・・・というよりはトミカが、と言った方が正しいやもしれません。誕生日がくれば両親に新しいトミカをねだり、誕生日が来なくともトミカをねだり・・・。
幼少期の私は、あの小さなタイヤに無限の旅路を夢見、畳の荒野にブンブンドドドと果てしないドライブを楽しんでいたワケです。
そう。ブンドドと呼ばれるごっこ遊び、通常であれば怪獣のフィギュアやディズニーのお人形で済ませるはずの通過儀礼を、私はミニカーと共に致してしまったのです。
当時の私には戦隊ものやらロボットやらが恐ろしすぎて手を出せなかったというのもありましょう。小学校までの私は、アンパンマンの絵本を怖がって泣きだしてしまう位には繊細だったのです。・・・繊細?
ともかく。
ミニカーが好きすぎた私は彼らのタイヤを鼻腔に詰め込み、病院に担ぎ込まれるという珍事を起こしたりしつつも、スクスクと育っていきました。
スクスクと育って、育って・・・そう、あれは小学2年の春。飽きもせず、ミニカーさんたちとのブンドド業に勤しんでいた私の脳裏に、ピカリと電流が閃きます。
「あれ、ミニカーってもしかして人間なのではあるまいか・・・?」
・・・これだけは分かってもらえると思うのですが、車の前面、フロントバンパー~フロントガラスって人の顔のように見えたりしませんか?
即ち、ヘッドライトが目で、ナンバープレート周辺が口。ボンネットがおでこでフロントガラスから上が髪の毛部分。
どうです、見えてくるでしょう?
彼らミニカーとくる日もくる日も顔を突き合わせ続けた結果(愛着が湧き過ぎたのも大きいでしょう)、私の幼い脳みそはミニカーたちを「人間」だと認識し始めてしまったのです。
とはいえ。いくら幼い私と言えども、流石にミニカーを人間であると完全に認めきってしまうのはいくらかの抵抗があったのでしょう。
私の脳内審議会に「彼らが人間だとして・・・じゃあ彼らは一体『誰』なのか?」という質疑が持ち上がってきます。
誰でも無い人間は人間とは言えない、人間であるならば「誰か」であるべきだ・・・という、当時の私なりの精一杯の理論立て。
そのまましばらく考えていたのですが、結局私一人の力では、彼らが誰であるのかは分かりません。
分からないので本人たちに聞いてみました。
「お前は誰だ?」
「おらぁOや」
ダメ元だったのですが、深緑色のジープからすぐに訛りの強い土佐弁が返ってきました。聞き覚えのある声です。
驚いて彼の顔を覗き込んでみると・・・なるほど!デコの広さといい、肌の色の黒さといい、目つきの悪さといい、さっきまで小学校で一緒に遊んでいたO君にそっくりではありませんか。
「君は?」
「ウチ?ウチはK」
その横に転がっていた救急車はなんと隣のクラスの女の子でした。少し大柄でのんびりとした彼女は、いつもニコニコと笑みを絶やさない、非常に穏やかな性格です。
嬉しくなった私は、おもちゃ箱をひっくり返して、手持ちのミニカー1人1人に名前を尋ねていきました。
結果から言えば、その7割ほどが私の通う小学校の同級生でありました。中には少し気になっていたあの子の姿も。残りの3割はテレビでよく見る有名人や親戚、保育園時代の先生などなど。
ともかく、間違いありません。やはりミニカーは人でした。
この日、私の中に「ミニカー=人間」の方程式は確かなものとして刻み込まれました。ミニカーは人間、ミニカーは人間だったのです。
そして今度は不思議なことに、ミニカーの女の子を眺めていると、次第に私の下腹部がウズウズとしてくるのです。
性知識のセの字すらも持ち合わせていない当時の私には、この感情が一体何なのか、想像すらつきません。ただただ、全身を縛り上げられているような背徳感に震えながら、私は彼女を拾い上げました。
噴き出る汗。震える指先。
バクンバクンと脈打つ心臓を必死に抑え込みながらソーッと、ソーーーッ・・・と、恐る恐る彼女を裏返してみます。
黒。
彼女の裏側は黒色でした。
最高の一日です。叫び回りたい気持ちをぐっと抑えて、私はその場にしゃがみ込みました。血が巡りすぎたのか、私の視界にチカチカと白い光が飛びまわります。
これ以上はいけない!どこかで私の理性が叫びます。しかし小学校低学年の私に、己が獣性を抑え込むなど不可能。あっけなく欲求の波に流され、私は鼻息も荒くミニカーの裏側を舐めるように眺めつづけました。
本当に舐めたりはしません。この少し前に、私は愚かにもお気に入りミニカーを食そうとし、「苦み」と「母の説教」という恐ろしい天罰を食らったばかりだったのです。
賢い私は学習ができる子であったので、彼女を舐めると何か良くないことが起きるということをしっかり理解していました。
しかし、何でもいい、彼女を何らかの形で愛でたい。愛したい。息は荒く、湿り、彼女を握る手はいつからかじっとりと汗ばんでいました。
私の視線は、自然、その可愛らしい「タイヤ」へと向けられます。
か細いフレームで繋がれた2対の車輪。震える指で、汗ばんだ指で・・・私は、罪深くも、彼女の後輪をそのか細い体内へと押し込んだのです。
グイ、と指に伝わる反発は、彼女が必死の抵抗を見せているようで、私に更なる罪悪感と欲望をもたらします。昂ぶった私は更にタイヤを押し込んでは、その反抗を薄暗い笑みと共に楽しみ続けました。
・・・その罪深い行為は、仕事終わりの母が帰ってくるまで延々と続きました。妙に汗ばんだ私の様子に、母はいくらか訝しんだ様子ではありましたが・・・ともかく。
その日から、私の中でのミニカーはクラスメイトとなり、クラスメイトはミニカーとなってしまったのです。凄いなぁ。
今でもミニカーは人間です。
それも、「あの頃」のままの。
色褪せた緑色のジープの向こうには小学2年のO君がニッカリと笑い、銀色の覆面パトカーからは「ごくせん」の仲間由紀恵があの微笑みを見せ、タンクローリーのD君はもう10数年は見ていない、あのひょうきんな表情で冗談を飛ばしてきます。
ミニカーを通して懐かしい風景を幻視する度、彼らにはいつまでも人間でいてもらいたいと、そう願ってしまいます。
いつか彼らに「人間」を重ね見ることが出来なくなってしまったならば・・・それすなわち、私がつまらぬ大人になり切ってしまったということを意味しましょう。
過去に縋るだけの大人は確かに滑稽ですが、昔を懐かしむことの出来ぬ大人もまた、貧しい生物であると、私はそう思うのです。
ミニカーよ、いつまでも人間であれ。