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学校の教師がいう職業選択がつまらないと思う理由

学校教育の現場にいると、避けて通れないのが職業選択、キャリア教育という場面です。特に高校生は、進学するのか、就職するのか、個人個人に合わせて指導していかなければなりません。

高校生の場合は卒業後の進路に関わるので、1年次から様々なキャリア教育がなされます。進学校であれば進学重視のキャリア教育、就職が多い学校なら就職活動上注意すべき点に特化したキャリア教育が行われます。自分の希望進路と異なる場合、「役に立たない」と思うことがあるでしょう。それは、学校選択の段階でミスっているといえると思います。情報を仕入れて学校を選ばないと、中心軸は決まってくるので、大きな認識のズレが生じます。

しかし、逆にそういう意味では一致しているにもかかわらず、学校の職業教育がつまらないと言う場合があります。学校の教育では、「(高校卒業後にしろ、大学卒業後にしろ)就職して、生活をしていく」というのが前提にあります。要は、サラリーマンになって生きていくという選択肢です。それが大きな軸になっているのです。だから、どれくらいの大きな企業に就職するかが価値判断の一つになっているのです。

私は、教員という立場ですが、そういう道しか示さないのはおかしいと思っています。キャリア教育だけでなく、それ以外の場面でも様々な生き方があると示してきました。10年後、今の仕事が無くなっていき、新しい仕事が生まれているであろうことも、参考資料を添えて提示していました。

今あるモノに囚われないように。

それを核において指導していました。しかし、これはベテランの先生から嫌われます。というよりは、非難されます。学校教育としてふさわしくないと。生徒のことを考えて指導しろって言われます。生徒のことを考えて指導していないのはどっちだと思います。

私が思う「生徒のため」とは、生徒の将来を考えてのことです。将来役立つ考え、発想を持たせてやった方が良いのではないかと思っています。しかし、私のことを非難してくるベテランの先生は、生徒のためと言いながら「自身の体裁を保つため」になっています。

というのも、「保護者の存在」があるからです。彼らは、保護者からクレームが来ることを最大限に恐れています。生徒からのクレームは大して恐くありません。先生という立場で押しつぶせるからです。しかし、保護者からのクレームは管理職の耳に入りやすく、自己の評価を下げてしまうからです。要は問題を起こしたくないのです。

なので、彼らの思考パターンはこうです。「去年(または過去)にこのように指導した、実施した→それで問題が起きなかった→最良の方法」という回路です。だから、「去年通り」が非常に好きです。それと、自身の経験に全てを重ね合わせて、その通りにします。それが全てなのです。

だから、その通りにして上手くいかなかったとき、改善しようとはしません。もう何度と聞いたこのセリフを吐きます。
「今年は運が悪かった」「今年の生徒は変」
すべて、生徒のせいなんです。
本当にベテランの先生がこんなこと言うの?って感じです。職員室では生徒の陰口を言って笑い合っているのです。それを聞くのが嫌で、職員室にはいたくありません。

ということで、学校のキャリア教育は、「去年通りの踏襲」であること、「親の目にかなうもの」であることから、つまらないものになっているのです。当たり障りのない、過去のままなのです。

だから、新しい職業やこんなことで生きていきたいという意見は拒否されるのです。

世の中の変動に敏感な先生やそういう取り組みに熱心なベテランの先生もいらっしゃいますが、ごく一部です。そういう先生に当たった場合は本当に運が良いと思います。もしくは、若手の先生がキャリア教育を作り替えていく、良い意味で過去の洗脳に囚われずに行われる場合も良い働きに変わっていくでしょう。

そうでない場合が多いと思いますが、自分で世界を広げていくしかありません。自己の見識を広めていけば良いのです。そして、どんどん行動を起こしていくしかありません。学生だから出来ませんってことはないんです。むしろ学生だからこそできることだってあります。

学校の言うことが全てではありません。それに全てだと思い込む必要はありません。この世の中はもっと広く、大きな世界が広がっています。そういう世界に触れていってください。

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