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思いやりの危険性

他者への共感性が著しく低い人の一部が、サイコパスという枠組に分類されるらしい。

彼らを犯罪者のように考える人も少なくないが、サイコパス的要素がある人が即ち問題行為を起こすとは限らない。

ある意味において、冷淡に生きる彼らからは生きるヒントを貰えるのではとすら、それと縁遠い人種の自分は一種の羨ましさを思う。

サイコと正反対に ー 共感性が強く感情移入が深く、思いやりに溢れた人 ー 仮に、超共感型人間と呼ぶが、一見なんの問題もないそんな人達が、ならではの厄介な事をやらかす可能性もある。

私も共感性が強いほうだが、間近で大きな事件が起きてしまうと、さぁ大変。無自覚に、一番強い苦しみに巻き込まれた人を本気で理解しようとしてしまうのだ。これは自力では止められない。

最も身近で大切な存在が、ある日突然、あの世への橋を渡ってしまったら。超共感型は毎日毎晩毎朝、考え続ける。

死にたい気持ちを理解しよう。毎日どんな気持ちだったのか?その瞬間、どんな思いで別れを告げたのか?死にたい消えたいと唱え続ければ同じ気持ちが共有が出来るのだろうか。

私は元来、希死観と縁のない人間だったが、希死観に取り憑かれ希死観に殺された、半神のような存在を失う事により、その新しい感覚を取り入れることが可能となった。

客観的な幸福とか、そこそこ恵まれた能力や、大切な家族や友人がいるとか、可愛い猫とか、そんなリアルとは別に、常にそいつは付き纏い、こっちへおいでよと優しい後光を伴って手招きする。

家族といえども、他人であり無論別人であり、自分の人生とは関係ないとクールに割り切れたのならば、こんな死神に愛されなくても済んだのだろう。

経緯や詳細はあまりにも省略して書いたが、私がいっそサイコパスになりたいと思うのは、自己の強すぎる共感性に振り回されて鬱となり取り返しのつかない事をしてくれた今は亡き大切な存在と、その血と感覚をしっかり受け継いでいる自分自身に対する憎しみによるものである。

幸福はきっと真近にある

それでも
それはそれとして
明日には世界から消滅したい

なんていう人は、単に斜に構えてるか構われたいのかと思っていたが、ごめんなさい。違うんだね。本当に消えたいんだね。分かるなんて軽はずみに言いたくないけど残念ながら私もその感覚が分かる様になってしまったよ。

こっちの世界に来てしまうと中々元には戻れないから

どうか、超共感型の仲間たち
やたらと思いやらないでくれ

苦しみの渦中にいた一人一人の人間の気持ちには、ならないでくれ

自己中心的に
自分の幸福だけを見つめていたらいい

誰かがそれを非難しても私は絶対に否定しないから


自分個人の苦しみを掻き消すために
世界中の悲しみを数えることに徹した日々

私のような人間は超共感型のマゾヒストとでも呼ぶべきか

無責任な橋渡りの二の舞にならないよう、意識的に努力してはいるが  
毎朝毎晩、夢に見るのは人生で最も辛い記憶の繰り返しだ 自分目線のこともあれば、自分以外の苦しみを背負った思い出として再生される事もある

共感し思いりの度を変えたとき  
最も人の心を傷つける行動で

自分の世界を終わらせる  
悲しい超共感型の人間がいる


そして
超共感型は超共感型と 共鳴し触発され 

より濃度をあげていく可能性も孕んでいるから

時に あまり近づかないほうがいい


できることならば 
私は 

誰にも迷惑をかけない
優しいサイコパスになりたい







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