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「身だしなみを整える」がわからない同志へ

こちらの記事は、2024年7月発売の小鳥遊著作「『発達障害』『うつ』を乗り越え@小鳥遊がたどりついた 『生きづらい』がラクになる メンタルを守る仕事術&暮らし方」(ナツメ社)の内容に関連したものです。

清潔感の「感」って何!?

「清潔感のある身だしなみ」とは言いますが、なかなか「清潔な身だしなみ」とは言いません。

「清潔にする」は、例えばお風呂でしっかり体を洗うとか、無駄な毛を切るとか、汚い服を着ないとか、なんとなくイメージはつきます。しかし、「清潔感のある身だしなみ」となった途端、清潔だけではない何か難しいファッションの工夫が求められているみたいで、「感」の一文字が入るだけで一気に難易度が上がるような気がするのは私だけでしょうか。

「他人からどう見られているか意識しにくい」

こまったことに、私は「これは大事」と価値を感じること以外は、極端に無頓着になってしまうという傾向があります。おそらく、発達障害の類型の1つASD(自閉症スペクトラム障害)に見られがちな「興味の偏り」というものだと思います。

私は、診断はADHD(注意欠如・多動症)でしたが、診断を受けた際の心理検査のときに、「興味に著しい偏りがあり、分野によって知識の有無の差が大きい」と言われています。そのことから、おそらく、ASDの傾向も入っているんじゃないかと思っています。

そんな私、他人からどう見られているか意識しにくいのです。気持ちや感情の面でどう思われているかはとても意識するのですが、服装などの身だしなみについては、あまり興味があるとは言えず、ある種「どうでもいい」という分野なのです。その結果、身だしなみを整えることが、具体的に何をどうすることなのか分からないまま大人になってしまいました。

でも、周囲に不快感は与えたくない

そもそも、服選びが苦痛でしかないんですね。服屋さんに行って自分の服を買うと、たった10分かそこらなのにも関わらず、ありえないくらい消耗します。

ただ、外見に無頓着であることは周囲に不快感を与えかねないとは、うっすら理解していました。そこで、「そんな自分でもできる身だしなみの整えかた」を考え、実行しています。

「体は清潔に」
「落ち着いた色調(黒や紺)の服を数着買って着回す」

この2つです。「服装で素敵な雰囲気を演出する」とか「自分に合った髪型を追求する」とか「その日の気分に合う服と小物の組み合わせを楽しむ」といったことはほぼ全部諦め、必要最低限で済ませています。幸いなことに、この方針で身だしなみについて注意を受けたことはありません。

自分にとっての「清潔感ある身だしなみ」とはこういうことなんだと決めることで、気分がラクになりました。

苦手なのに「身だしなみはしっかりしなきゃ!」と頑張っている方、この程度でも社会性を失うことなく生きていけていますので、ご安心ください。

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