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エピソード1: もやしはなぜ10割バッターになれたのか?

おはようございます、ミタカです。

今回は「ソフトボールの大会で優勝した話」をします。
私、中学校の頃、ソフトボール部だったのです!

「もやしはいかにして10割バッターになったのか?」

どうぞ最後までお楽しみください♪


「本当は柔道がやりたかった」

小学校の頃から、体を動かすことは
それほど苦手ではありませんでした。

ただ、あまり友達と一緒に遊ばない方で
球技は、苦手でした。

なので
中学に入って最初に入りたがったのは
柔道部でした。

だってカッコいいと思ったんです。笑

しかし、当時の私は
かなり小柄で痩せ型でした。
150あるかないか?程度の身長だったのです。
流石に親に全力で止められました。笑

結局、ルールだけは知っていた、
(兄がゲームの「実況パワフルプロ野球」を
遊んでいるところ見ていたので)
ソフトボール部に入ることにしました。
友達の誘いもありましたから。

しかし、実際入ってみると、
他の子は体の大きい人が多かったんです。

さらに言えば、
小学校の時から体育では
引っ張りだこになっていたくらいの
運動神経が良い子ばかり。

「こんなすごいメンバーの中で私はやれるのかな?」
と思いました。

もやし体型の私は、
キャッチボールすら危うかったのです。

肩が弱すぎて、
ファーストからセカンドまでの距離でさえ、
ノーバウンドでは届かなかったんですよ。笑

しかも、
コントロールが最低で、
めっちゃ暴投ばっかり。

一番軽量なバットさえ、
振るのがやっとでした。

これはしくったか。
これでは活躍なんて出来るわけないよなと思いました。


「かっこいい先輩たち」

私の住んでいた地区は
ゴールデンウィークに
ソフトボールの大会がありました。

いつも練習している先輩方の姿は見ていましたが
試合をしている姿をまともにみるのは
初めての機会でした。


…それがもう
めちゃくちゃカッコよかったんですよ!!!


三年の先輩方、すごいうまかったんです。

送球はビシッと早くてスパッと正確。
バッティングも芯に当たっていい音が鳴りまくる。

「すげー!!!かっけぇー!!(かっこいい)」

感動しました。

大事なところをはっきり覚えていないんですが、
確かこの大会に優勝したんですよ。

「私もあんなふうになりたい!」
と思いました。
それで、それまでひとつ結びにしていた長い髪を、
バッサリ切ったんです。

それから今まで、私はずっとショートヘアです。


「ダメダメな日々…」

三年の先輩方が引退した後
私たち一年生は全員レギュラーになりました。

「いきなりレギュラーって、どういうこと?」
と思いましたか?

実は、当時の2年の先輩が
3人しかいなかったのです。

人数の関係上
レギュラーにならざるをえなかったんですね。

しかし、メンバーの大半が一年生なのは
大きなハンデでした。
どうしても練習経験が少ない。

いくら運動神経が良くても、
ルールを覚えきれていなかったり
フォローに回る等の細かい動きが出来ていないと
強いチームにはなれません。


翌年のGWの大会では、
たしか2回戦敗退でした。
悔しかったですね。


私は先述の通り肩も弱いし、
バッティングも非力で出塁が見込めないので、
守備に着いたのは
一番ボールが飛んでこないライト。
そして、打順も一番最後の9番でした。

はっきり言っちゃえば、
一番下手ってことです。笑

とにかくランナーに出れないし
守備もトンネルを繰り返しましたから。

フライも取れないしね。
ミミズ走りした挙句バンザイした結果
ボールは後ろに飛んでいきましたから。笑


一番悔しいと思ったのは、
私だけ1試合全部出れなかった事です。

先輩が3人で、私たちの学年は7人でした。
ソフトボールは9人チームなので、
一人余るんですよ。

だから、その余りの子と私が
交互に試合に出たのです。

ちなみにその余りの子は
幽霊部員とは言いませんが
あまり練習に来ない子でした。

私はちゃんと毎日部活に行って
練習してましたよ。


なんか…やっぱり…嫌でしたね!笑


しかも良くないことに
私たちの学年は
先輩との仲が悪かったのです。

私にはまっっったく分からなかったのですが
先輩には私達の学年がすごく生意気に感じていて
同学年の友達は先輩がすっごい偉そうだったみたいです。
まぁ、実際、気が強い子が多かったんですよ。

一度、あまりに仲が悪いので
本音で話し合おうという日がありました。

匿名でいいので、
言いたい文句を紙に書いてぶちまけて、
お互いの学年で紙を交換し、
理解し合おうということになったんです。

正直、
「何で皆仲良く出来ないんだろう~?
あはは、めんどくせー」
なんて思ってました。笑

で、私はそこに何で書いたのか。


「〇〇ちゃんと××ちゃんと私は、
先輩とケンカしないで仲良くしたかったです」


いやいやいやいや!!!
空気読んで!?笑

さすがの先輩も、コレには笑っていました。
あんなに険悪な雰囲気だったのに。笑
逆に、同じ学年の気の強い系の友達には
睨まれましたが。笑

今でも〇〇ちゃんにはネタにされてます…笑


「成長するもやし」

そんなこんなで
仲の悪かった先輩方も引退し、
私達の学年がメイン選手になりました。

私はというと
毎日地道に練習していた成果が出てきて
送球がすごく良くなりました。

距離を飛ばせないのは変わりないんですが
球速が早くなって、
コントロールも正確になりました。

なので、ライトからサードに転身。
サードといえば、
ショートに次ぐ
ボールが飛んでくる確率の高いポジションです。
正確な守備と迅速な送球が
求められるところです。

そして、バッティング。
こちらは、私の特性に合わせて
練習方法を変えたことが
功を奏しました。

実は、私が唯一、
他の子より優れていたのが
「足の速さ」だったのです。

四球などで一度出塁してしまえば、
ちょこまかと走塁してかき乱し、
さっさとホームに帰ってきていました。

だから、バントを徹底的に練習したのです。
足の速さとバント技術かうまくかみ合えば
出塁できるんですよ。

そういうわけで、
ずっとバントの練習していました。

そのうち、うまいことバントが成功すれば、
ほとんど100%に近い出塁率を誇れたのです。

おかげさまで、
9番から一気に1番バッターになりました。
適材適所ですね。


「再挑戦」

そして、三年になり、
再びGWの大会に出場。

練習試合でも勝ったり負けたりを繰り返していた
〇〇中や××中と激戦!

試合中の詳細な内容までは
さすがに覚えていませんけど、
決勝戦で、
サードにライナーが来たのは
覚えています。

ライナーって
速い上に目の前に来るから
怖いんですよね-。
サードは距離が近いからなおさら。

取りましたけど。笑


そして、見事、優勝!!!!!!


あれは、本当に嬉しかったです。
マジックテープでくっつけるタイプの
ユニフォームの背番号を
家に置いてきちゃったミスを忘れるくらいに!笑


「ちびもやし」だった私は
成長期が来ていたこともあって
一気に168㎝まで成長していました。
「豆苗」くらいにはなれたでしょうか。

たとえ未経験でも、
体が小さくて痩せていても、
全然ダメダメな能力しかなくても

毎日コツコツと練習すれば
うまくなるし

たったひとつでも優れているところがあるなら
それを最大限に使えるように練習をすれば
チームの一員として役に立つことが出来ます。

「努力」と、「適材適所」ですね。

特に、
「努力」は
気合いと根性を出せば
誰にでも出来ますが

「適材適所」は、
自分自身を見つめ直したり
誰かの導きがない限り
なかなか達成しえないものです。

逆を言えば、
常に自分を見つめて長所を見つけ出しておき
それを信頼できる暖かい人に導いてもらえば
必ず全てが噛み合うものです。

どうぞ、
自分を信じて努力し続けてくださいね。

「時」は必ず来ますから。



では、今日はこのへんで。また!

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