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情景63.「乾いた記憶。野晒しの部屋」【掌編小説 at カクヨム】

今回ご紹介する掌編小説は、カクヨム投稿の『あなたが見た情景』から「乾いた記憶。野晒しの部屋」です。

「野晒しの部屋」という言い方が合っているのかは、まァ、どうなのでしょう。
ただ、今っていろんなところにこういう風化しそうな部屋……もとい“空間”があるんじゃないかって、そう思ったんです。
じっと、佇むように。

「野晒しの部屋」、もしくは「忘れられた部屋」。なんて言うと、なんだかハリーポッターに出てきそうな字面ですね。

ただ、私がそういう場所に出くわすとき、そこがかつて躍動していた頃をふと思うことがしばしばあり、ちょっとしんみりしてしまいます。

昔は大勢が詰めていた部屋とか。
一堂に会するために造られた豪勢な講堂とか。
校舎のすみっこにあってあまり使われない古ぼけた視聴覚室とか(昔のアナログテレビが置いたままになってたりね)。

そういう場所です。

お城を眺めてるときの気分に近いのかな?
それよりはもう少し実体を身近に感じらるような気がする。
以前はそこに人がいたんだろう、という想像ができてしまいますから。

そこは、社会に生きるひとびとが自らを最適化していく過程で、少しずつ遠巻きに置かれるようになった場所です。
かつて躍動していただけに、その差がことさら響いてしまうわけですね。

いろんなモノやコトのデジタル化。
急にやってきたソーシャルディスタンスの概念とコロナウイルス対応。
時代の流れ。
人のうねりの変わりよう。

社会の変化にすべてが適応できるよう、アップデートしていけるのが理想ですが、その過程で改修もされず、廃棄もできず、ただ置き去りにされてしまっている場所というのも、きっとある。

少なくとも、かつて私がいた職場の地下にあった記者クラブ室は、ただ時だけが過ぎているだけの空間になっていました。
チラシは頻繁になくなるから、投函と記者の出入りはあるようですが、少なくとも私は一度も見かけたことがなかった。

擦り切れて色褪せた麻雀卓が置きっぱなしになっていたんですよね。
麻雀をしない私は、「なんで詰め所に麻雀卓が……?」なんて思ったものです。

昭和、平成、令和と時代を経て、こういう空白の間がいろんな会社や学校の中に出来ているんじゃないかと、そう思っています。

そういうことを思いながら書いたのがこの「野晒しの部屋」の情景です。

ともあれ。
「かつて」という想像が余蘊に情感を纏わせてくれます。
そんな情景をお楽しみください。


あなたが見た情景』は、目の前の景色を眺めるように情景を思い描ける、ちょっとしたお話のあつまりです。

どこからでも何話からでも好きなところから読みはじめて大丈夫。
気になったタイトルをひらいてみてください。



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