夕闇に灯火 ③

いつも謹お父さんは、夕方に帰って来る。
180cm程の体躯を地味な背広に包み、
黒縁の眼鏡に茶革のガーメント鞄を持って帰って来る。

海辺の近いバス停は「横浜」

横が浜だから「横浜」

神奈川の横浜ではない。

バス停から、田圃と畑を右に見ながら未舗装の小路を上り、門戸を過ぎて尚少し歩くと、セメント敷きの屋地に着く。

「えいちゃん、来ちゅうかえ。ちっと待ちやぁ。」

謹お父さんは、達お母さんに鞄を渡し、地味な背広を脱ぎ、着物に着替える。

「カヤが枯れてきちゅうき、焚き火をしょうかねぇ。」

その言葉に、ワクワクする。

バス停から謹お父さんの家までの山道は、西側のノリ面にカヤが生え、枯れている。

謹お父さんは、鎌を持ち、ザクザクとカヤを刈り、
門戸脇に積むと、火を点ける。

ザリ💥ザリ💥っと、炎が上がる。
謹お父さん公認の火遊びだ。
まだ生しいカヤもあり、盛大に煙を上げるので、
蚊など寄るすべもない。
風向きを見ながら、風上へ風上へと動く。
白く燻した匂いの煙が追い掛けて来る。
「けぇ~むり、けぇ~むり、あっちへ行け」と唱えれば、煙は向こうへ行く。

「えいちゃん、芋を焼こうかねぇ?」

なんと嬉しいことだろう!
そう言ってくれるのを待っていた。
もう、それだけで、焼けた芋の甘い香りと味が鼻腔に広がる。

謹お父さんは、幾度かカヤをくべ、雑木もくべ、程よいおき火ができた所へ、芋を埋め込む。

「ちっと待とうでぇ。」

そう言った謹お父さんは、

「えいちゃん、あしらぁ、こんな歌を歌いよったがぜぇ。」と。

「貴様と俺とは、同期の桜、
同じ航空隊の庭に咲く。
咲いた花なら、散るのは覚悟。
見事散りましょう、国の為。」

初めて覚えた歌だった。

「えいちゃん、一緒に唄うた仲間も大方死んだ。
こんなん、いかんがぜ。」

謹お父さんは、そう言った。

そうなんだろうと、朧気に思った。
そしてまた、そんなのは、嫌だ!嫌だ!
そんな恐怖感に襲われた。

やがて、焚き火は白い灰になった。
細い竹を鎌で斜に切り、芋を突き刺して取り出す。
端が焼けて炭になっている芋。
熱いので、新聞紙で包み持って割ると、蜂蜜色の芋が甘い香りの湯気を上げる。
「ふー、ふー・・・」
焼けた皮を剥ぎながら食べた芋は、まさにホッコリだった。

謹お父さんは、袂から煙草の「峰」を取り出し、焚き火の燃え差しで火を点ける。
ゆるりと煙草をくゆらす。
くゆる煙の中に、穏やかに目を細めた謹お父さんが居た。

ほんの少し、そんな時が流れたが、
ふと視線を向けてくれた謹お父さんは、
「ほらっ!」
すぼめた口から「ポンッ!」と音を立てて、煙草の煙で輪っかを作って見せてくれた。
夕闇が、そこまで迫っていた。

謹お父さんは、除隊後、カフェの給仕をしながら青学の夜学で法学を修めて、調停委員の職を果たした。
筆を持つと、太く力強い見事な字を書く。
その身体は、大きく骨太であった。
クリッと大きな眼に、バリトンの声。
穏和で大きく、たおやかな人だ。

ある時「えいちゃん、ちっと来いや。」
と呼ばれ、一間だけある二階に上がったことがある。
普段、誰も入らない部屋だ。
そこには、壁に掛けられた額がひとつ。
恩賜のサーベルを帯び、軍刀を携えた、真っ白な海軍礼服姿の謹お父さんの写真があった。

夕闇に追われながら、
前を行く謹お父さんに、
白い海軍礼服姿を思い出していた。

続く

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