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『選抜制』に関する私案/試案/思案

はじめに(踏切は普通)

11thシングル『君はハニーデュー』から日向坂46に導入された選抜制。依然、絶好調と言っても過言ではない当該シングルの状況に関わらず、ハレーションを含んだ議論は終わることはなさそうです。それは、何も日向坂が「全員選抜」をやめて、「選抜制」に舵を切ったからではありません。乃木坂46も櫻坂46も、あまり詳しくはないですがAKB系列であっても、凡そ大所帯のグループアイドルであれば、いつ止むこともない永遠の課題だと思われます。

日向坂46の選抜制について書かれたテキストとしては、先日、少しのお休みから戻ってきて、すぐに精力的に記事をいくつも公開されたなめたけ46さんのものが、やはり素晴らしいです。これから書こうとする僕の個人的な考えの前提にもなってくれる記事でもありますので、ぜひご一読いただけるといいかと思います。

そんな優れた記事もあり、何やら勝手に「noteには考察や自分の意見を述べるような記事は書かない」とどこかで宣っておきながら、なぜこうして何かを書こうとしているのか。それでも、やはり個人的な思いくらいは書いておかないといけないかなと考えるほどに、この「選抜制」というのはグループアイドルにとって命題のようなものなのかなと思ってしまったのです。

突きつけられた問題点

まず、僕は選抜制に対しては、基本的に「消極的賛成」の立場を取っています。よく言われるチャーチルが述べた「民主主義」と同じように、「よりマシ」な制度であろうと。ぎりぎりメリットがデメリットを上回るだろうと考えています。僕の前回の記事のとおり、「遠近両用メガネ」を駆使して、付き合っていけると思っています。このあたりは、前述したなめたけさんの記事にも同調した考え方と言えます。

ただ、「選抜制」とはそういうものだと受け止めて、認識してきましたが、具体的な制度の形、運用方法については、そこまで考えてきてはいませんでした。発表のたびに揉めるかもしれないけど、まあ、そういうものだし仕方ないよね、と。ところが、5月19日放送の冠番組で発表された櫻坂46の9thシングルのフォーメーション発表(選抜発表)の内容を見聞きするに至り、「あれ?思ってるより状況は良くないのかも」と感じてしまいました。あくまでTwitter(X)やネットのまとめ記事から得た情報による理解ではありますが、ほぼほぼミーグリの売上(完売速度)に準じたものだったということのようです。これは、日向坂46の現在の選抜結果についても同様のことが言えたと記憶しています。そして、その後行われた11thシングルのミーグリ一次募集の際には、明らかに今までと温度感の変わったメンバーからの「営業活動」が見られたことも記憶に新しいところです。つまりは、やはり「そういうこと」らしいと。

硬直化の懸念

「ミーグリ売上至上主義」が抱える問題点は、今さら僕が述べるまでもなく、アイドルを応援する皆さんなら誰もが実感していることだと思います。ですので、ここでは「選抜制」に大きく関わると僕が考えている問題点として一つだけ、挙げさせていただきたいと思います。それが「硬直化」です。ミーグリの完売速度を人気の指標として選抜のKPIに定めてしまうと、平時においては、上位に何か問題が起きて崩れるようなことが無い限り、めったに逆転が起きにくくなってしまうと考えています。ただでさえ、人気があるメンバーが常に選抜組として歌番組に露出してグループの顔として活動することになれば、当然、人気メンバーが固定化していく傾向は強くなります。

このことを僕は、ネットメディアなどにおいて「もともとアクセス数の多い記事からおすすめ記事としてレコメンドするようなもの」だと考えています。アクセス数の多いものが、常におすすめとして表示されるものだから、ますます同じ記事ばかり読まれることになります。そして、そのことが続けば、それ以外の記事はユーザーの目に触れられなくなり、そのメディアは同じ記事ばかり表示されるつまらないものと認識されてしまうでしょう。レコメンドのロジックを考えるのがめんどくさい、きちんとした仕様を実現するための能力や予算が不足しているケースにおいて、機能要件として示されることが珍しくない悪例と言えます。

「ひなた坂46」の負の側面

さらに、このような運用が常となると「ひなた坂46」が内包するネガティブな要素がより際立ってしまうと考えています。僕は、「ひなた坂46」という名称が発表されたとき、それは嫌だなと感じました。僕は2023年からのファンなので、「ひらがなけやき」の歴史に則してそう思ったわけではありません。「アンダー」という云わば機能や性質だけを指した便宜的な呼称と異なり、「ひなた坂46」という何らかの意味や価値を持たせてしまった以上、一つの独立したチームとしての色が出てきてしまい、固定化、硬直化を助長してしまうことになると考えたからです。

そもそも「選抜」とは何なのか

日向坂46の11thシングル、櫻坂46の9thシングルと続けて明らかになった「ミーグリ売上至上主義」への懸念が大きくなる中、あらためて考えさせられたのが、「選抜とは何か」という問いです。これまで述べてきたような、前シングル期間の人気(売上)のみがその指標となる場合、それはつまり人気順という建前に胡座をかいた「論功行賞」と言えるでしょう。新曲が、前曲の人気によってのみパフォーマンスされるのであれば、それはある意味後ろ向きな体制と言ってもおかしくないと思います。もしも、そうではなく、「選抜」が次の楽曲の期間のShowcaseのような意味合いを持つものであれば、ポジティブな制作の形が見えて来はしないでしょうか。

試して欲しい「選抜」の形

結局、今回の記事で僕が述べたいことはここから先です。ここまで書いてきたことなんてみんな知ってることだし、だからみんな怒ってるし、不満を持っている。(こともある。)
例えば、こんな「選抜」だったら、「選抜発表」の仕方だったら、今の「選抜制」が抱える問題や不満を少しは解消できるものになるんじゃないかという僕の個人的な妄想です。お遊び要素を多分に含んでいるものなので、どうか気軽に、そして優しく穏やかに見守る眼差しと精神でお付き合いください。言い訳はまだ続きますが、最初に言ってしまうと、まず実現不可能なアイディアだと考えています。なぜなら、現在の日向坂46の楽曲制作体制を大きく変更する必要があると思われるから。いや、そんなこと言っても、詳しく知らないんだからわからないですけど。まあ、いいや、いきましょう。

まず、前項の「選抜とは何か」という問いに次のように答えます。

「選抜とは、ファンの『人気』を反映したオールスターであり、新曲の表現者として運営がキュレーションしたShowcaseである」

どうあれ「人気」の部分は欠かすことはできないでしょう。どうにか、様々な指標を駆使してほしいとは思いますが、現状、ミーグリの売上が最も適切だというのであれば仕方ありません。しかし、それは7割程度までの比率とします。残りの3割を「キュレーション」部分とします。「選抜」とはあくまでシングル表題曲の担当メンバーを意味するわけですから、次の新曲を表現するにあたり、制作主管たる運営が「このメンバーこそふさわしい」と、数値化された人気などに関わらず、提案して推してみせてください。それまでの活動を踏まえ、このメンバーのこの特徴が、次の楽曲の世界観を表現するのに欠かせないのだと。

「楽曲」を軸に据えた選抜チーム

このような位置づけで「選抜」を捉えた場合、表題曲(Aチーム)が「選抜」であるならば、ひなた坂曲(Bチーム)もすなわち「選抜」であるのです。7割を人気を指標として選抜したあと、残り3割のキュレーション作業を行うわけですが、これは同時にB選抜の主要メンバーのキュレーション作業でもあるのです。「このメンバーは人気順ならA選抜に入るべきだが、今回ひなた坂でやりたいパフォーマンスを考えると、ぜひこちらのセンターに立って欲しい」と、こういう議論が行われるはずなのです。こうしたプロセスを経て、いわば2つの「選抜」チームを作ってみてはどうだろうかと考えてみました。

「選抜発表」が体を表す

ところで、グループアイドルにおなじみの「ドキュメント」である「フォーメーション発表」のシーン。選抜制の導入により、これが「選抜発表」と同義となるわけですが、この「選抜発表」の方法に問題はないのでしょうか?僕は、この発表方法にも重大な問題があり、現行の「選抜制」が孕む課題を示していると思っています。発表シーンは、部分的に抜粋、編集され、冠番組や密着ドキュメンタリー映像の中で重要なコンテンツとして公開されることが多くあります。そこで確認できる限り、また、メンバーが各種媒体でのインタビューや雑誌記事等で語る限り、以前から一貫して「下位ポジションから発表して、最後にセンターを発表」する方式を取っているようです。フォーメーションがセンターを頂点とする構造で、そのセンターポジションを発表する、という目的である限り、この形は「脱落者」の発表とも言えます。「選抜発表」という意味を持ち始めた11thシングルからは、もともとセンターやフロントメンバーになる可能性が少ないメンバーにとっては発表後半からは「放置」の時間となります。

実際に、公開された11thシングルの発表場面においては、フロントメンバーが発表される頃になると、明らかに顔色を失った表情で呆然と虚空を見つめたり、たまらず視線を落とすメンバーが多く映し出されました。その中にあって、最後の1名の発表の瞬間まで凛とした表情を崩すことなく真正面を向き続けた「清水理央」の姿には、たしかに胸を打たれました。ただし、それは決して「目的」として見たいものでは当然ありません。この発表方法は、AKBから続くアイドルに汗と涙の試練を課すストーリーの文脈に沿ったものであり、より残酷さを際立たせるための演出に思えます。

そのため、ここで提案している新しい「選抜」の形においては、当然変えていかなければなりません。

こんな「発表方法」が見たい

「楽曲」を軸にした選抜チームの発表において、中心になるのはやはり「楽曲」のコンセプトであり、これから発表されるチームで目指すべき表現の形です。組閣プロセスと同様に、まずはこれらを示していきます。わかりやすくイメージを掴んでいただくために、11thシングル『君はハニーデュー』のフォーメーションが、もしもこの発表方法を取っていたら、という想定で話を進めてみましょう。

重苦しい空気も必要ありません。まずは楽曲の制作チームがマイクを手に取り、表題曲のコンセプトを発表、このシングルにおいて日向坂46が目指すべき表現の姿をプレゼンします。明るく爽やかで、これまでの歴史を踏まえつつも原点回帰でハッピーな世界観を伝えていこう、そんな言葉がメンバーを前に語られるはずです。そして何よりも肝となるのは、それを実現するための旗頭たるセンターをまず第一に発表するのです。そんな11thシングルの表題曲のセンターは・・・4期生、正源司陽子です!歓声!拍手喝采!呆然と立ち尽くすよーこ。笑顔で取り囲む4期生メンバー!よーこは手を震わせ「無理無理無理無理」などと声にならない言葉を発し、もう涙を流しているかもしれません。そこに駆け寄るきくとし。2期生、3期生も二重三重の輪に加わり、ひとしきり新たなセンターの誕生に盛り上がります。未だ焦点の定まらない目でステージに導かれた新センター、それを支えながら表題曲を担っていく選抜メンバーが順次発表されていきます。悔しい思いを持つメンバーもいるでしょうが、この時間も決して「脱落者」の呼び出しではありません。選ばれたメンバーは決意を胸に、新センターを支えるそれぞれのポジションに立つでしょう。

そして、ひなた坂曲も同様にコンセプトと、表題曲に相対して期待したい動きなどをプレゼンして、センターから順次メンバーを発表していきます。もちろん、このタイミングで名前を呼ばれるメンバーは、より率直な悔しさがこみ上げてくることが考えられますが、それはやはり選抜制である以上避けられないものです。捲土重来の糧として欲しい部分であり、また同時に明確な指針とモチベーション維持のためのマネジメントを運営には徹底して欲しいと思っています。

ファンへの発表はYoutubeで

フォーメーション発表を深夜にローカル番組で行うのももうやめましょう。新曲のMVはYoutubeチャンネルでプレミア公開されるのですから、フォーメーション発表も「日向坂ちゃんねる」で一斉配信しましょう。もちろん、メンバーに発表したときの映像も交えながら、同じコンセプトで発表してもらいたいです。

まとめ(着地で捻挫)

選抜制を単なる人気発表、売上貢献度による論功行賞にして欲しくない。硬直化という負の側面を助長するのではなく、3割以上を占める「キュレーション」の部分で流動性と楽曲の個性を出し、グループとしては毎シングルごとに進化、成長する姿を見せて欲しい。選抜制の運用において、僕が何よりも願うのはこの部分です。そうは言っても、大半が「人気選抜」であることは間違いないので、メンバーそれぞれの役割や期待感を示すマネジメントを徹底して欲しいというのが何の面白みもない現実的な願いとなります。

そして何より、「選抜制」そのものに反対する人にとっては、何の意味もない記事になったことでしょう。それでも多少は、ほんの気持ちだけでも、こういう運用が実現すれば、課題となっている部分が解消される可能性もあるのではないかと思っています。

現実的には難しいと思いますよ。『君はハニーデュー』が大盛りあがりで成功と言える状況となり、「ひなた坂46ライブ」も即完売の形で大成功となれば、これで間違いなかったと「ミーグリ売上至上主義」による12thシングルの選抜が行われる。おそらくその未来が最も可能性が高いです。それでもきっと諦めないで応援します。遠近両用メガネを駆使しながら、こうした期待の声を上げながら、日向坂46を応援しますよ。終わりの始まりにはさせたくないです。


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