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日向坂46の選抜制の目的は競争にあらず

日向坂に 11th シングルから導入された選抜制ですが、よく「競争」という文脈で語られることが多いように思います。「競争がないと成長がないから選抜制は必要」とか「競争は日向坂に似合わない」とか、そんな感じです。

その語られ方からすると選抜制の目的が「競争」にあるかのように見えますが、はたして本当に「競争」が目的なのでしょうか?

この記事では、選抜制の目的はなんなのか、選抜制はなぜ「競争」と合わせて語られやすいのかについて述べています。最初にまとめてしまうと、

  • 選抜制の目的は「制約を満たしつつ、大所帯の良さを可能な限り活かすこと」

  • 「競争の激化」はその副作用として現れる

  • 人は「副作用」に目を向けがちである

ということです。

※注意:1万字あります
※3月8日に体調を崩して以来、公式ニュース以外の情報はブログやメッセージ、雑誌のインタビューやひなあい等も含めほぼ見れていないので、周回遅れの話をしているかもしれません。


選抜が必要なほど人数を増やす理由

少人数グループも大所帯グループもそれぞれの魅力があるかと思いますが、大所帯のいいところはたとえば、

  • パフォーマンス面:少人数ではできないフォーメーションダンス等で魅せられる

  • 人材面:違う魅力を持ったメンバーがたくさんいるので、たまたま見かけた人に興味を持ってもらえる可能性を上げられる

などがありますよね。少人数も大所帯もそれぞれいろんな面がありつつ、坂道は大所帯を選んでいます。

そんな大所帯なのにはいいとして、「そもそも選抜が必要なほど人数増やさんかったらええんちゃうの」という疑問も浮かびます。なぜそんなに人数を増やすのか、ちょうどピッタリの人数じゃダメなのかについて、個人的に思うその理由を以下に挙げてみます。

才能を発掘する機会を増やすため

たとえば、ひらがなけやき時代のアルバム「走り出す瞬間」のリード曲「期待していない自分」の3列目には金村美玖さん、丹生明里さん、富田鈴花、松田好花さんがいましたが、前者2人はのちのセンター、後者2人は今や個人での活躍が著しいですよね。同様に「キュン」で3列目だった上村ひなのさんはのちのセンターですし、四期生だと平尾帆夏さんは「ブルーベリー&ラズベリー」では3列目でしたが、今や冠ラジオに四期生曲センターにユニット曲にと躍進しています。

11thの選抜は16人で、「期待していない自分」の人数は20人です。もし「期待していない自分」の時点で16人になるようにメンバーの採用人数を絞っていたら、もしかしたら今の金村さん、富田さん、丹生さん、松田さんの活躍を見れていないかもしれません。加入直後の時点で、金村さんがカメラ等の芸術面で躍進し、富田さんがモータースポーツ界で存在感を見せ、丹生さんがゲームで、松田さんがラジオで顕著な活躍を見せることを完璧に予測できた人は少ないんじゃないでしょうか。人数が多いとそれだけこういう才能に出会う機会が増えるので、人数を多くしたくなる動機がありそうです。

暗黙的に卒業を見込んでいるため

くわえて、現在のところみんないつかは「卒業」によってグループを抜けていくという暗黙の了解があると思います。個人的には居たかったらずっといたらいいのにとは思いますが、それはともかく実態としては卒業前提になっています。抜けた分は補強する必要がありますが、四期生のオーディションに5万1038人の応募があったように、卒業があるたびに毎回オーディションを実施するのは現実的ではなさそうです。「もっと細かく小規模にすればいいやん」という意見もあるかと思いますが、少なくとも現実としてはその方法を取っていないので、何か理由があってのことだと思います。さらに卒業人数も完全には予測できませんから、数少ない採用の機会には多めに採用したい動機もあるかと思います。

目的は「制約を満たしつつ、大所帯の良さを可能な限り活かす」

では無限に人数を増やせばいいかというと、そういうわけではないですよね。現実世界にはいくつかの制約があるからです。おおむね「物理的な制約」と「人間の認知機能の制約」の2つかなと思います。

物理的な制約

これは例えば以下のようなものですね。

  • 音楽番組のステージの広さ、イベント会場の楽屋の広さなどの空間的制約

  • 管理能力の制約(マネジャーの人数、メンバーへの連絡・確保・移動手段の確保etc)

もしメンバーが全員で100人いたとしたら、何をやるにしても大変です。なので大所帯といえど、現実的なサイズの限界がどこかにあるはずです。

人間の認知機能の制約

もう一つは、見る側の人間の限界ですね。画面に一気に100人映されても誰が誰か分からないし、一人ずつ寄るにしても、音楽番組ならせいぜいパフォーマンス尺は数分程度で、均等割しても一人1秒ちょっとくらい。実際はポジションごとに映る時間の傾斜があるでしょうから、コンマ何秒な人がほとんどになります。そうなるともう人間はまともにそのメンバーを認識できないので、やはり現実的なサイズの限界がどこかにあるはずです。

選抜が一番マシという判断

以上のような制約があるため、「制約は満たしつつも、大所帯の良さを活かす」ことを目的とした手段が必要なわけです。つまるところ「それなりの人数は欲しいけど、コンパクトにも保ちたい」ということを実現する手段になるわけですが、それにはいろいろ考えられると思いますし、過去にいろんなグループがいろんなチャレンジをしてきた歴史もある中で、結局は今のところ選抜制が一番マシ、という判断になっているんだと思います。

2グループを作れるほどの人数がいれば、1グループだけで多めの人数にするよりもさらに人数を増やせるので才能の発掘機会が増える。それでいて、分割すれば「多めな人数の1グループ」よりもコンパクトに保てて個々のメンバーをより認知してもらいやすくもできる。序列はよりハッキリしてしまうが、分割することでむしろ1グループ体制では経験できないポジションやMVの出しろをメンバーに用意することもでき、総合的には成長が早い。他の仕組みもいろいろあるが、選抜制が最もメリットとデメリットのバランスがよい、みたいなことなのかなと思います。

具体的なメリットの例でいうと、自分は体調の関係で見れていませんが、初のアンダー曲「錆びつかない剣を持て!」では、MVにおいておそらく全員選抜だったら得られなかっただろう「目立つ役割」だったり「長い映り尺」を得られているメンバーが多いのではないでしょうか。楽曲そのものでも、全員選抜だったら得られないようなソロ歌唱を割り当てられているようにも思います。こういった点はメリットとして分かりやすいかと思います。

全員選抜にこだわっていたわけではないと思う理由

「それでも日向坂は全員選抜にこだわってきたじゃないか!そこが良さで伝統でもあったのに、なんで今さら!」という意見もあるかもしれません。

たしかに日向坂は長らく選抜制を導入せずにいましたが、それは「全員選抜にこだわっていた」とか「日向坂には全員選抜が似合っていると考えていた」とかではなく、「選抜制を導入したかったけど、たまたま導入できずにいた」だけなんじゃないかと思っています。おそらくコロナ禍がなければ2020年末のひなクリ東京ドーム前に四期生のオーディションの告知があり、もっと早く選抜制になっていただろうなというのが自分の推測です。

これまでのメンバー加入タイミングを整理すると、坂道研修生組まではほぼキレイに1年3ヶ月毎に加入していて、四期生だけ2年6ヶ月空いています。

  • 一期生:2016/05

  • 二期生:2017/08

  • 三期生(上村ひなのさん):2018/11(お披露目は12月)

  • 三期生(研修生組):2020/02

  • 四期生:2022/08(お披露目は9月)

研修生組までの加入周期1年3ヶ月に対し四期生の2年6ヶ月はちょうど2倍で、余分な1年3ヶ月があるわけですが、これって東京ドームの延期期間と同じなんですよね(2020年12月末→2022年3月末)。なので四期生は本来1年3ヶ月早い2021年5月頃、リリースにして5th「君しか勝たん」相当の時期くらいには合流してたんじゃないかなと思います。で、1年後くらいの7th「僕なんか」くらいの時期までには選抜制にホントはしたかったんじゃないかと思います。三期生が少なかったのと一期生が2人卒業したのもあって、絶妙に「選抜制にするには人数が中途半端な状態」が続いていたので、個人的な見解ですが「全員選抜を守りたい」とかではなく、コロナ禍によって単にたまたま選抜制を導入する機会を失っていただけなんちゃうかなと思ってます。三期生が少なかったのも選抜制を導入したくなかったからではなく、当時の状況的に他のグループを優先して増やしたかったとか、別の理由がある気がします。

たとえば上村ひなのさんが加入したタイミングでいうと、乃木坂は卒業が続いていて増やしたい動機があり、欅坂も選抜制導入を考えるとそれなりの人数を増やす必要がありました。何より悲しいですが当時の状況的に「ひらがなけやき」を希望する人がそもそも多くなかった可能性もあったように感じています。内部的にはシングルデビューが決まっていたとは思いますがメンバーですらまだ知らない時期ですし、「乃木坂・欅坂に比べるとひらがなけやきを希望するのはリスク高いよなぁ」と、その時点でひらがなが一番好きになっていた自分でも正直思っていたくらい、外から見ていても当時はまだまだ先行き不透明でした。研修生組の加入タイミングも、まさかそのすぐ後に世界が大変なことになるなんて誰も思っていないわけで、年末にオーディション告知を予定しているならば急いでごそっと増やす理由もありませんでした。四期生が入った時点で三期生が上村さん一人だとさすがにいびつな構造になるのと、当時は上村さん自身まだまだ硬さが取れていなかったので、それらの点が解消できそうな同期の人数であれば十分だったのかもしれません。

そんなこんなで選抜制を導入する機会を失ったままコロナ禍によって余分な1年3ヶ月を過ごす間に、WE R! でも表現されたような迷いが生まれ、結果としても特にデジタル指標でのダウントレンドがどんどん顕著になってきてしまいました。そんな状態での四期生の加入からの選抜制導入だったので、「ただの平常運転」で導入したはずの選抜制が、

「現状を変えるためにやむなく取った手段だ!」
「運営の体たらくのせいで結果が出ず、選抜制を余儀なくされた!」
「長く続いた全員選抜の伝統を破壊した!」

みたいに受け取られてる節がある気がしています。たぶんそういう意図はなくて、本当にただシンプルに、コロナ禍のせいで遅れた分を粛々と予定通りに実行してるだけな気がしています。「何かを変えなくては!そうだ選抜制だ!」みたいな取ってつけたような施策ではないように思います。

もちろん、逆に

「ずっと全員選抜だったからダウントレンドになってしまったんだ!」

という主張も納得感が無いというか、結果に関わる変数がたくさんある中、たった一つの変数で結果を全て説明できるとするのはさすがに無理がある気がしています。

副作用:メンバーに生じる不安による「競争の激化」

そんな選抜制ですが、これまでの見方は主にマネジメント側の目線です。一方で、メンバーの目線に立つと選抜制にはまた違った見え方があると思います。それが「競争の激化」です。

メンバーも一人の人間で感情を持ちますから、「選抜に入れるかどうか」という不確実な未来には「不安」を覚えます。その不安から目をそらして現実逃避すれば別ですが、可能な限り「選抜入り」という不確実な未来を確実なものにするには、不安と向き合い、自分なりの工夫をしていくしかありません。限られた枠を目指して工夫する人が多くなればなるほど、さらに枠を獲得することが難しくなっていく。こうして競争が激しくなっていきます。もちろん、これまでも競争は存在し、ポジションでその評価が表現されていましたが、枠が限られることでその競争が激化します。

「制約を満たしつつ、大所帯の良さを可能な限り活かす」という目的のための手段である選抜制が、メンバーの「不安」を生み、その「不安」が「工夫」を生み、その「工夫」が「競争の激化」につながる。本来の目的とは違った作用として「競争の激化」が発生しているので、競争の激化はあくまで副作用なわけです。

ポケモンで例えると、どんな人でもポケモンをプレイする際、(縛りプレイなど変則的な遊び方を除き)手持ち可能な6体のポケモンのみでゲームを進めることはないと思います。ポケモンボックスにたくさん預けて、相手に合わせて適宜パーティを入れ替えたり、将来有望そうなポケモンを手に入れたら育成のためにパーティに組み入れたりすると思います。これは、ポケモンに感情が無くて泣いたり落ち込んだりしないから何の抵抗もなく出来ているだけで、やっていることは選抜制と同じです。でもプレイヤーはポケモン同士に競争させることを目的としていません。ポケモン世界における選抜制の目的である、「手持ち6体までという制約を満たしつつ、たくさんのポケモンを所持する良さを活かす」ためにポケモンボックスから出し入れしてるだけです。ポケモンたち自体も「他のポケモンとの競争に勝つために鍛えよう」などと言って勝手に筋トレし始めたりしませんよね。なのにプレイヤーは選抜制を導入しています。これは選抜制が本質的には競争を目的としないことを意味していると思います。

このように、「競争の激化」は選抜制の目的として生じさせているものではなく、あくまで人間であるメンバーに感情が存在するからこそ発生する副作用として生じるものだと思います。

選抜が競争(副作用)の文脈で語られやすい理由

薬って、副作用が結構気になるじゃないですか。処方された薬を調べて怖そうな副作用が書いてあると、たとえその薬が自分の体を良くするために必要だったとしても、なんとなく飲むのに抵抗が出てきたり、副作用のような症状が出てきた時に「やばい副作用なのでは!?」と過剰に心配してしまう気持ちになるのは珍しいことじゃないと思います。

そんな感情を説明できそうなものとして、行動経済学の「損失回避バイアス」というものがあります。

『損失回避バイアス』とは、「多くの人にとって『利得の喜び』と『損失の悲しみ』を比べると、後者のほうが大きく感じる」という人間の特徴のことだ。2002年のノーベル経済学賞受賞者で行動経済学の先駆者であるダニエル・カーネマンらによって提唱され、その研究によれば『損失の悲しみ』は『利得の喜び』の2倍以上とされている。

暮らしに活かす行動経済学 ! 損の悲しみが人を動かす「損失回避バイアス」」より引用

薬の効能よりも副作用が気になってしまうのは、まさに「利得よりも損失を大きく感じてしまう」ことのように思います。

同様に選抜制も、選抜による利得以上に損失、つまりこれまで当たり前だった「表題曲に参加できる」とか「音楽番組に出られる」「序列感の少ない雰囲気がある」などを失うことの方が大きく感じられやすいんだと思います。なので薬が時に効能よりも副作用に注目され忌避されやすいのと同じく、選抜制も「損失」の原因となりえる「競争の激化」に注目されて語られることが多いのかなと思っています。

副作用の嬉しくない症状はマネジメント対象

そんな副作用としての「競争の激化」ですが、薬の副作用と同じで、可能な限りつらい症状が出ないようにしたいですよね。薬の研究開発もできるだけつらい症状が出ないように、それでも効能はしっかり出るようにと日夜研究されているわけです。

「競争の激化」によって発生しうる症状としては以下のように、嬉しいものと嬉しくないものに分けられるかと思います。

嬉しい症状

嬉しい症状は例えば以下のようなことです。

  • 各個人が今まで以上に自分の特徴を理解し個性を伸ばそうとする

    • 自分で考えたり、人に話を聞いたりすることが増える

    • インプット、アウトプットが増える

    • 行動が増える

  • 各個人が今まで以上にファンを獲得するために努力する

    • ブログやメッセージ、Instagram などの使い方が変わる

    • メディア露出機会での振る舞いが変わる

    • ミーグリやライブなどでの振る舞いが変わる

    • パフォーマンスに対する考え方が変わる

  • 選抜に入り続けられれば誇りが生まれる

    • 自覚と責任

嬉しくない症状

一方、嬉しくない症状については以下のようなものが挙げられると思います。これらについては、できるだけ抑えるように何とかしたいところです。つまり、マネジメント対象であるということになります。

  • 格差に関すること

    • 表題曲を歌えない、音楽番組に出られない、CMに出られない等、とにかくチャンスが減って心がつらい

    • 選抜が遠くの存在に見えて切なくなる(「乃木坂さん」現象

    • 胸を張って「日向坂です」と言いづらくなる

  • 仲間意識に関すること

    • 他人の成功が自分の成功を狭めると考えてしまう

      • 他人を蹴落とす、意地悪する、協力することに消極的になる

    • 妬み嫉みを抱いてしまう

      • なんであの子が?と考えてしまう

    • 選抜メンバーもどう接していいか難しく感じる

      • どんな言葉も空虚に響いたり気に障るように思えて、なにかを言うことに臆する

どんなマネジメントが必要か

嬉しくない症状のうち、格差に関することは「それでも自分は大切にされていると感じられる」ことが大事に思いますし、仲間意識に関することは「いかにワンチームであると感じられるか」が大事に思います。

といってもこの辺は会社に十分ノウハウがあるでしょうし、しっかりされていると思うのでそんなに心配はないんだろうなと思っています。

自分は大切にされていると感じられる

  • ちゃんと見てもらえていることが分かる

    • よく声をかけてもらえる

    • よく話を聞いてもらえる

    • 以前の話を覚えていてもらえる

    • 結果を褒めてもらえる

    • 過程を評価してもらえる

    • 改善点を指摘してもらえる

    • 待遇に差はあれど、対応に差はないと思える

  • スタッフから期待が伝えられる

    • 評価していること、伸ばしてほしいことが明言される

  • 機会を用意してもらえる

    • ひなた坂の楽曲・MV、ひなた坂ライブなど

ワンチームであると感じられる

  • みんな同じ絵を見ていると感じられる(共通の理念や目標)

  • みんな同じ指針を持っていると感じられる(Let's Be Happy! など)

  • 同じチームであることを示す証がある(大事なプロセスを共にする、制服など共通のものを身に着けている、など)

  • 選抜・ひなた坂46が互いに必要としあい尊敬が感じられる

こちらも去年末に結構な改善があったので、比較的安心して見ていられるんじゃないでしょうか。

「選抜はおもんない」けど「注力すべきは本分」である

競争に関すること以外で選抜制への意見として見かけるものの1つに、

「どこのグループでもやってるような選抜制の導入自体がマンネリ」
「没個性的な選抜制の導入でアイデンティティを失った」

みたいなものがあるかと思います。実際、選抜制はグループ構造に関して運用実績の多い成熟した仕組みなので、下振れも上振れもなく、「これをやっときゃなんとかなる」という、いわばベストプラクティスです。なので選抜制自体が顕著な成果をもたらすかというとそんなことはないと思います。それゆえ、「もっと画期的な仕組みを発明しろよ、そこで個性(日向坂らしさ)を見せろよ」と思ってしまうのも分からなくはありません。

しかし、そもそもグループ構造自体にそこまで着目する価値があるのかどうか、個性を見出す必要があるのかどうかという問題があります。グループ構造の工夫で今の10倍の成果が出そうな見込みがあるならリソースを使うべきですが、果たしてそうでしょうか。日向坂46はエンタメ界に属しているかと思いますが、そんなエンタメ界では何が競争力になるかというと、「表現活動そのもの」かと思います。楽曲もそうですしイベントもそうですし、時間や労力などのリソースをまず突っ込むべきはそっちのように思います。

たとえばダイエットのためにウォーキングをしたいと言ってる人がいたとして、「最もダイエット効率の良い腕振りを身につけるまではウォーキングに行けない」と言ってずーっと鏡の前で腕振りの練習してたら、

さっさと外出て歩いてこいや!

ってなりますよね。「大事なのはそこじゃねーだろ」という感じで、確かに良い腕振りは存在するかもしれないし意味がないとは言いませんけど、正直「誤差」というか、腕振りにこだわって歩かなかったり「なんか今日は腕振りが違う」と言って途中でやめてしまうくらいなら、腕振りを気にせず毎日ウォーキングすることの方がはるかに大事ですよね。

それと同じで、今年はメンバーがしきりに「47都道府県に行きたい!」と言っていたり、宮崎で初のフェスを開催したりするように、そういった本分における挑戦で「日向坂ならではの魅力や個性」を発揮することのほうが何よりも優先されることのように思います。

「いやいや、その魅力を発揮するための基礎が組織力だし、グループ構造はそこに影響するでしょ」という指摘もあるかもしれませんが、先述した通り選抜制は運用実績の多い成熟した仕組みでベストプラクティスです。たしかに日向坂にとっては初の仕組みですが、それでも乃木坂や櫻坂で運用してきたノウハウがありますので、顕著にネガティブな影響を与える可能性は低いと思います。むしろベストプラクティスを破るほうが下振れするリスクを伴い、かつ下振れる可能性が高いです。また、新しい仕組みであればなおさら安定するまで時間がかかり、リソースが余計に取られる可能性が高いです。そうなると、せっかくのチャレンジである「ひなたフェス」だったり「全国都道府県チャレンジ(そういうものが存在するとして)」だったり、そもそも各リリースの制作に関しても成果が下がる可能性が高いです。なので、よほど意義がない限り、グループ構造に関する新しい取り組みをするよりは本分にリソースを集中するほうがよいように思います。

どんな事業も「ベストプラクティスに沿っておけば十分なところ」と「リスクを取ってチャレンジすべきところ」は分かれると思いますが、日向坂の場合、グループ構造は今のところ前者に相当するんじゃないかと思います。そこは安牌の選抜制にして、ひなたフェスなど他の事でリスクを取ろうとしているように、リスクを取るべきは表現活動そのものであり、「日向坂ならやりかねない」ようなワクワクした挑戦に力を注いでほしいなと自分は思っています。

「それでも感情的にヤダ」が選抜制

いろいろ述べてきましたけど、とはいっても

理屈はどうでもいい!とにかく全員選抜が好きだったんだ!選抜制はヤダ!

という気持ちの人もいますよね。これはよく分かります。こればっかりはもう人の「想い」なのでどうしようもないですもんね。それに損失回避バイアスとして先述しましたが、人は損失に反応してしまうものなので「当たり前にあった全員選抜」が無くなることに反応してしまうのはごく自然な感情だと思います。自分も、

「28人…さすがに多いか…いやギリいけるか?…(高本さん卒業発表前)」

みたいなことを考えなくはなかったですし、選抜制が決まったときも、冷たいプールに入った瞬間に息がしにくくなるような「ヒッ」と息が詰まるような感覚もありました。

ただ、事実として選抜制は導入されました。この事実ばっかりはどうすることも出来ません。だからこそ自分は、「ならばワンチームであることだけはちゃんと感じさせ続けてくれよな」と強く思います

選抜制でやりたいことは分かります。序列はよりハッキリするし、メンバーによっては得られる機会の差がこれまで以上に生まれてしまうけど、総合的に見れば良い(マシな)手段なんだろうということも分かります。

ならば、「みんなで手をつないで横一列になって、これからも歩き続けていきます」と言うのであれば、「なんか序列以外の観点で分断されてるなー」とこちらが不安を感じないように、ワンチームであることを体現し続けてほしいです。「みんなで一つです」という言葉だけじゃ、少なくとも自分は足りないように感じていますので、その体現だけは徹底的にこだわってほしいなぁと切に願っています。

選抜制の先にある世界

選抜制の目的のさらに奥には、「売れる確率を上げる」という目的があるはずです。なぜ売れる確率を上げたいかというと、「おひさまの輪をより広げていきたい」からでしょう。では、おひさまの輪を広げてどうしたいのか?これは理念等で語られる範疇でそれは明示されていませんが、「Let's Be Happy!」という抱負や「ハッピーに」というスタンスから想像すると、「おひさまの輪を世界中に広げて、ハッピーな世界を作る」というようなことになるんだと思います。

そんな理念の実現を目指して、ワンチームで、世界をこんな雰囲気で包んでいってほしいなと思います。

「君しか勝たん」のMVよりキャプチャ

まとめ

  • 選抜が必要なほど人数を増やす理由は、才能発見と暗黙的な卒業見込み

  • 選抜制の目的は「制約を満たしつつ、大所帯の良さを可能な限り活かす」こと

  • 全員選抜は「こだわり」でも「伝統」でもなく「たまたま」では

  • 「競争の激化」は選抜制の副作用として発現する

  • 人は「損失」に反応するので、その原因となる「競争」が注目されやすいのではないか

  • 副作用の嬉しくない症状はマネジメント対象

  • いかに自分も大切にされているか、ワンチームの一員であると感じられるかが大事になると思う

  • 選抜はおもんないけど、まず注力すべきは本分の表現活動そのもののはず

  • でも感情は仕方ないので、とにかく「ワンチームであること」を示し続けてほしい

ということを述べました。

こんな事を考えている折に、ひな誕祭にて「アンダーメンバーをひなた坂46と呼称する」ことが発表されました。僕はこのニュースを見てとても驚いたのですが、次回はそんな「ひなた坂46」について書きたいと思います。

余談

タテノさんがこのタグを作ってくださったおかげで、いろんな経緯が知れておもしろいです。体調がまともなら全件拾って傾向とか勝ちパターンみたな流れをちょっと分析でもしてみたかったなチクショウ。なんか見えてきそうですよね。ファンにでも出来るなにかが。

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