見出し画像

いちばん話を聞いてほしいのは・・・

かつて育児の大変さをどれだけの人が
本気で聞いてくれただろう。3人の子を順番に保育園に
送り(3人中2人は夫担当)、フルタイムで働き、お迎えに行き・・・。
でもまだ「母親」は分母が大きいからよかった。つまり、共感してくれる人が
多いのだ。

それが「ふとうこうの母親」になると、分母はとたんに小さくなる。
ごく親しい友人や知人に話すとき、相手の反応が薄いときは静かにイラだった。
「どうだ、すごいだろ!私って大変だろ!こんな私ってかわいそうでしょ」と
悲劇の母親を演じてた(←当時はほんとうにドラマに浸ってた・笑)。

育児とか介護とか、当事者はどれだけ大変でも、やっぱり聞いてるほうは
わからない。
わかったふうにもしたくない。この時の経験から、あんまり人の話を聞いて
かんたんに同情したり、共感したりしなくなった。「ただいる」だけでいいんだよな。

一度だけ、泣いてくれたお母さんがいた。
・・・だけど、実際の私はとまどっちゃったのである。
せっかく泣いてくれたのに。
「え、泣くほどのことじゃないよ」ってなぐさめちゃったりして。
今思えば、かわいそうだと思われること、あわれみをうけること、気を使われることがいちばんきつかった。
じゃあどうしてほしかったんだろう。
いちばん話を聞いてほしいのは、愛してほしいのは、自分自身からだった。
それに気づくのはまだまだずっと先だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?