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満足するということがとても大事 その2 死んでる鮎を食べますか?

こんにちは、満足するということがとても大事
いろいろなことを先回りして言い過ぎないことを頑張っているはるちゃんです。

もう一つリアルなエピソードを書いておきたいです。

これは夏の一コマ

「お母さん!魚いた!!」


川遊びをしていた暑い暑い夏休みのある日
「水の中に魚がいる!」と言って、川から飛び出してきた娘(釣りが大好き)

飛び出してきたと思ったら、手に網を持って潜りに行きました。

そして、拾ってきたのがこの鮎

とってもきれい!

「お母さん、鮎だ!これも持ってかえる。食べる。」

とっても綺麗な鮎

え・・・死んでる魚持って帰るんか

え。。。と思いました。
思いましたけれども、ここで即否定するのはやめておきます。

子どもが何と言ってくるのかを少し待ちます。(様子を見ます)

「これめっちゃ綺麗!目も綺麗だし、死語硬直してない!これは食べれる!匂いも普通に魚!」

瞬時に分析してこれは食べれると判断しています。

もしここで私が否定したら子どものワクワクを奪うことになります。

でも、何かあったらどうしよう。すでに死んでいる魚を持って帰って焼くのやだなぁ。。。

この魚食べて何かあったらどうしよう

そう思うのは大人だから当たり前

子どもを守るのも大人の役目です。

子どもの健康を守るために
「その鮎捨てて行こう」って
いうこともできれば、


子どもの心の健康を守るために
「よし!持って帰って食べよう!」ということもできます。


釣りをして持って帰る魚も死にます。死んでいる。
子どもにとっては
既に死んだ鮎も
釣った時は生きていて死んだ鮎も変わりがなくて

変な匂いがしないか、溶けていないか
そういう基準で判断しているだけなのです。

結局、持って帰って焼いて食べた

帰宅したら近所の人がうちを訪ねてきてくれたところだったので
おばさんに自慢する=この人はなんていうかなっていう気持ちもあったと思う。

「まあ〜綺麗な鮎!スーパーに売っているのより新鮮そうだよね!」とのお言葉に安心したのか、焼こうという

そして、私が焼き上がりの写真を撮る間も無くお腹の中に入ったのでした。

この後綺麗に食べられました。おいしかったらしい

おいしかったらしい

拾ってきた鮎はとてもおいしかった

拾ってきたあゆは釣った鮎と大差なくおいしかったらしい。
なので次に川に行った時も、流れてきたあゆを拾って食べました。
もうすぐ死にそうな半分死にかけで浮きながら流れてくるあゆも拾ってきました。



子どもが言い出すこと、え?とか、ちょっと待ってとか
それはだめじゃない?って言いたくなります。

なるのだけれども、
何かいう前にちょっと立ち止まってみる

命に関わらないことなら
何でもやってみたらいい。そう思えると
双方にハッピーなのかも

昔だって、釣りができなければ
流れてきた魚を食べていただろうと思う。

東京の下町で食べられる福神漬け
カレーの付け合わせになってるあれは

お盆の茄子ときゅうりが上流からいっぱい流れてくるからそれを拾って食べられるように味を濃くして漬けたんだと母が言っていました(ほんとかな)

福の神がいるとポジティブな名前にして食べていたんだと。

今は食べるものがたくさんあるから、
川から流れたきたものを食べる感覚ははみ出しものな感じがあるけれども、ふと立ち戻ってみればそれほど変なことでもないのだと思う。

たくさん遊んでたくさん経験して
自分の中に判断できる基準を物差しを育てていって欲しい。


真夏の滝は温かい

川遊び、海遊び、山遊び、自分の中だけでどうにもならないものと対峙すればするほど、子どもは賢くなっていきます。

テレビゲームや動画の配信を見る時間を少し減らして
手先を動かし自分の足で歩き
そのものに触れる経験を少しでも多く積んでもらいたい。

夏は子どもが大きく成長する良い機会です
お外で遊ぶ経験を積んで欲しい。


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