見出し画像

美しき紅葉の京都をめぐる      其の参 嵐山

 渡月橋(12月1日 午前撮影)
  嵐山は日本紅葉の名所100選に選定されており、京都でも指折りの景勝地です。紅葉の嵐山と桂川に架かる渡月橋の美しさは格別でした。

 後嵯峨天皇の子が、亀山天皇(1249~1305)である。このひとが、嵐峡の空をわたる月をながめて、あたかも橋が天上の月を渡しているようだ、として「渡月橋」の名をあたえた。
 漱石も、この橋名をほめている。
 
  天龍寺の門前を左へ折れれば釈迦堂で右へ曲がれば渡月橋である。京は所の名さへ美しい。(『虞美人草』) 
----------------------------------------------------------------------
 渡月橋は、古来、嵐峡という自然の造形をひきしめてきた人工の部分である。部分としてのたしかさは日本の風景のなかでも比類がない。
 この景観には、大きく弧をえがいた唐橋は似合わない。渡月橋は、ひたすら水平の一線をなしている。それも、橋であることの自己顕示を消しきったほどひかえめである。この感覚は、桂離宮の軽みにも通じている。また、どこから見ても、景観のなかでは、低目の位置に渡月橋の一線があり、この位置が、黄金分割になっている。
 といって、構造は鉄筋・鉄骨コンクリートなのである。しかしたれの目にも木造橋梁としか思えない。その秘密は、構造上、無用の部分として腰板がほどこされていることと、高欄が檜であるということにあるらしい。尾州檜だそうである。 

街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻   司馬遼太郎 朝日新聞出版 2013年


紅葉の嵐山と渡月橋


 


 渡月橋の欄干からは左手に嵐山、右手小倉山を望むことができます。
鎌倉時代の歌人藤原定家が、小倉山荘で小倉百人一首を編纂しました。
その中に、貞信公が小倉山の紅葉の美しさを詠んだ歌があります。

 

小倉山峰のもみぢばこころあらば
いまひとたびのみゆきまたなむ 
           貞信公
                                     
【歌のこころ】
小倉山の峰を飾る真紅のもみぢよ、お前にもし人ごころがあるならば、御幸につづいてもう一度、お上の行幸があるまでは、その紅葉を散らさずに、待っていておくれ。

【解説】
 歌の作者の貞信公というのは諡(おくりな)、生前は小一条太政大臣ともよばれていた藤原忠平、関白基経の四男である。長男は時平で、あの菅原道真を失脚させた政治家である。忠平は時平とは性格もちがう温厚なタイプの人であったらしく、道真とも交流は絶えなかったという。
 『拾遺和歌集』の「雑秋」に収録されているこの歌、詞書によれば、宇多院が大堰川に御幸された時、あまりの紅葉の美しさに、「ぜひ醍醐天皇の行幸を仰いで、ごらんいただくべき美しさである」とおっしゃった。その時、御伴していた忠平が、「必ず天皇に奏上して行幸をおすすめいたしましょう」と申し上げて、そのついでに詠まれたという、即詠の歌とされている。
 (中略)「いまひとたびのみゆきまたなむ」の方は結局実現しなかったようだ。 

馬場あき子の「百人一首」NHK出版2016年


竹林の小径 


天龍寺(12月1日 午後撮影)

 天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山であり、京都五山の第一位とされ、世界遺産、国の特別名勝、史跡、国の重要文化財に指定されています。室町時代に夢窓疎石が後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏、直義の援助を受けて 中国の元との貿易船「天龍寺船」を渡航させ資金を調達し、七周忌に開堂大供養が催されました。

 まず諸堂の内部をめぐるのが順序で、庫裏から本尊の木像釈迦如来像を安置する大方丈に入る。絵は若狭物外筆の「雲龍図」、東庭は静かな白砂敷の庭、西には広縁で曹源池を中心とする庭園を眺め、書院から廊下を渡って、後醍醐帝の多宝塔にいたる。
---------------------------------------------------------------------
 大方丈をぐるりと回ると、名庭として名高い池泉廻遊式の天龍寺庭園に出る。もともと仙洞御所時代の苑池といわれる曹源池を中心に亀山や嵐山を借景にして、池を包み込む樹林が、ときにみずみずしい緑に、ときに黄赤の彩りをみせる。正面三段の石組みは龍門の滝といい、鯉が滝の難関を突破すれば龍になれるという「登龍門」の故事によるものである。
 この庭は夢窓国師の作と伝えられて、作庭にすぐれた夢窓国師はほかに、等持院、西芳寺(苔寺)などの庭も手がけたといわれている。

決定版 京都の寺社505を歩く(下)洛西・洛北(西域)・洛南・洛外編 [天龍寺]
 山折哲雄監修 槙野修著 PHP新書 2010年

 

嵐山を借景とした天龍寺庭園
夢窓疎石の作と伝えられています。


曹源池と龍門の滝(写真奥手の中央よりやや左) 


大方丈(天龍寺) の額縁紅葉


 


祐斎亭(12月3日 午後撮影) 

「嵐山 祐斎亭」は、約800年前に造営された後嵯峨・亀山上皇の離宮、亀山殿跡に立地する築150年明治期の建造物です。元々は料理旅館「千鳥」という、京都の舞妓、芸妓憧れの地。ノーベル文学賞受賞された文豪、川端康成が逗留し「山の音」を執筆した場所としても知られています。源氏物語の舞台となった嵐山は、平安時代より風光明媚な景勝地として貴族が別荘を構え、四季の移り変わりを楽しみ、その四季折々の風景は歌に詠まれ、小倉百人一首が生まれた歴史を持っております。季節の移り変わりに合わせて変化する⽇本の空間美をお楽しみください。

嵐山 祐斎亭ホームページ

嵐山 祐斎亭について - 【公式】嵐山 祐斎亭 (yusai.kyoto)
(事前予約が必要です。)

山門を登って行くと紅葉の保津川下りの船を観ることができます。
平安時代には貴族も舟遊びをしたそうです。 


川端康成の部屋 
  川端康成が『山の音』を 執筆した部屋です。


丸窓から眺める紅葉も趣があり美しかったです。 


水鏡  保津川の紅葉が水面に写り込み美しかったです。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?