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インターネットを漂うクラゲになりたい


SNSのアカウントが大量にある。
Twitterには片手の指の本数以上、すべて用途の異なるアカウントがある。fediverseにもアカウントがある。Instagramにも情報収集用のアカウントがあり、最近話題のBlueSkyやタイッツーも使用している。創作系SNSにもある。自分で数えてて「こんなにあったかな……」と、不思議に思うほどにある。
メインで使っていたのはやっぱりTwitterで、学生時代は半ばツイ廃だった。最近いろいろ使い勝手が変わりつつも、軸足はここにある。度々話題になった凍結祭りに関しては、よくトレンドで見つけて「さて、私のアカウントをひとつふたつ凍結したところで、Twitterには私の人格があと◯個あるぞ……」と思いながら自分のアカウントを確認する。しながら、この考え方はまるでヴォルデモート卿みたいだなと思い、じゃあSNSのアカウントとは分霊箱かもな、と思い至った。ひとつひとつに魂が籠っているから、あながち間違いじゃないかもしれない。ちなみに全て凍結を免れている。


個人的には、どのSNSも楽しい。けれど疲れることも多い。特にTwitterはどうしても、濁流のような激しさに飲み込まれるような感覚に陥る。アカウントを減らしてしまおうかなと思うことも、多々ある。ヴォルデモート卿は自ら分霊箱を減らしはしないが、私はマグルなので減らすことも視野に入れる。マグルは分霊箱を作れないんだよね、そもそも。
壁打ちのアカウントもあるし、タイムラインすら見ずにおすすめツイートの通知を消すためだけに開くアカウントもある(通知バッジが残っているのが好きではない)。他ユーザーとの交流も、ごく一部のアカウントでしか生じていない。なのに数多のアカウントを残してしまっている。依存なのか未練なのか、深掘りしてみないとわからないけれど、どう考えても、SNSに人生の比重を置きすぎている。いっそ息苦しささえ覚えてきた。


今の理想としては「いい意味でどっしりしすぎず、しんどいと思ったら離脱できるくらいの気持ちでインターネットを生きたい」。特に現在のTwitterは、本当に激しすぎる。話題の移り変わりも、感情の動きも。刺激の強さにハマりこんだはいいけれど、疲れたんだろう。それに、本当にごく一部ではあるけれど、仲良くなった人はSNS以外の連絡先を交換したりする。稀ではあるし相手は選ぶし、そうそうあることではないのが前提ではあるけれど、貴重な友人ができたことがあるのも確かだ。だからこそSNSは楽しいし、離れがたいとも思ってしまう。

「軽み」の概念をもっと学びたい。今はエレファントカシマシの宮本浩次さんが以前インタビューで仰っていたなという程度の知識しかないが、「軽み」という言葉の響きが好きだ。そして、私がその言葉からイメージしたのはクラゲだった。ふわふわと流れに身を任せながら、時に意思を持って泳ぐ。今のように流されるばかりでは、浮草がいいところなのかもしれない。浮草ならまだいい、海や川に捨てられたゴミくらいかもしれない。もう少し、SNSの底なし沼にハマった足を抜いて、軽い気持ちでインターネットとうまく付き合っていきたい。


こんなことを言いつつ、私はクラゲのことはなんにも知らない。カツオノエボシの名前程度のものだ。こんなにも彼らのことを知らない人間に憧れられるクラゲも可哀想なので、水族館に行きたい。山形県にある鶴岡市立加茂水族館にたくさんいるらしいので、一度見にいってみたいな。美術館を訪れる回数は増えたが、水族館はとんと行っていない。山形県にもリアルで訪れたことはない。夢では行(けそうにな)った。


ユーザー名が違うので隠しているが自分のタイーツ。
山形県は自宅と反対方向どころか、そもそも乗る新幹線が違う。
おいしいお酒とご飯を楽しみに行きたい


なんだかんだ言いながらもこんなことを書いているんだから、SNSのことはきっとずっと嫌いにはなれないし、今でも有効に楽しんでいる気がする。付き合い方のバランスを、自分のメンタルの状態に合わせて見直していきましょうね、という話だ。
最後にどうでもいいが、私はまったくちっとも、これっぽっちも泳げない。そこに関しても、クラゲが羨ましい。

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