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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンの感想

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劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見て来ました。既にかなりの話題になってるみたいですね!

最初に見たのはFate/HFの予告で、その時は「絵が綺麗だな〜」と思っていた程度でした。サブスクにあったのでBGM代わりに見てみようかなと、気軽な気持ちで視聴スタート。結果、作業を中断して作品に見入ってしまいボロボロに泣いてしました...というのが、作品との出会いです。これはもう、絶対に劇場で見なくてはならない。そう思い、映画館に足を運びました。

劇場版はTVシリーズのその後。既にドールとして数々の実績や名誉を得ているヴァイオレット。しかし、その表情は浮かばれない。いくら褒め称えられても、何一つ満たされない。何故なら彼女の心は未だ戦場に囚われ、最も心を伝えたい相手はもう居ないからです。

TVシリーズでは死んだとされた遺体も見つかって居なかった少佐ですが...なんと生きていました。頭を撃たれたせいで記憶喪失なのかな?と思いましたが、そうではありませんでした。彼はギルベルト・ブーゲンビリア少佐であることを辞め、流れ者のジルベール先生として生きていたのです。

どうして、すぐにヴァイオレット達に連絡をしなかったのか?親友である、社長の怒りは最もです。彼を少佐からヴァイオレットを託され、彼女の心の機微を一番近くで見守り続けた人なのですから...ですが、彼はもう傷付き疲れ果てていました。戦争で人を殺めてきた罪悪感。戻っても、受け継いで行かねばならぬ家業。何よりも愛するヴァイオレットを道具として使い続け、一生癒えない傷を与えてしまったこと。それらに耐えきれず、誰も知らない土地で偽名を名乗って生活していたのです。

一体どうして、それを咎められましょうか。ライデンに戻れば、嫌がおうにも自分の罪や業に向き合わねばなりません。勝者としての戦争、代々受け継がねばならない軍人としての家業。機械仕掛けになってしまったヴァイオレットの失われた腕。彼女が普通の少女として得られたかもしれない幸福を、自分が握り潰してしまった後悔。ギルベルト少佐はそれらに耐えられるような強い人ではなく、本来はとても優しい人なのです。

ドア越しヴァイオレットの懇願虚しく、少佐は彼女を拒みます。強い雨脚の中、まるで打ち捨てられた子犬のように項垂れるヴァイオレット。彼女の腕力をすれば、ドアを蹴破り中に押し入るのは容易なことでしょう。以前の彼女であれば、きっとそうしたでしょう。しかし、彼女はそうはしなかった。何故ならば、成長したからです。ドールとしてたくさんの人と触れ合い関わる中で、彼女は様々な情緒や経験を獲得したのです。戦争の為の兵器としてのヴァイオレットではなく、ただの一人の少女として恋慕う相手に「どうか会わせて欲しい」とありったけの思いを伝えます。ですが、だからこそ少佐はそれを拒みます。彼の一番の願いは、彼女が普通の少女として平穏に生きること。その為には、自分が居てはならないと考えているからです。今ここで彼女を受け入れてしまえば、自分の業とも向き合わねばなりません。戦争から遠く離れた生活の中で得た平穏で癒された日々と、おさらばしなければならない。本当は、すぐにでも抱きしめたかった筈です。背中しか見えない筈なのに、彼の泣き顔や悲痛な叫びが見えるようです。

流れ着いた島で、彼の正体にみなうっすら気付いていたのでしょう。生来染み付いたものは、そう簡単には拭えませんし消えません。村の人々が帰らぬ誰かの為に祈りを捧げる中で、少佐はただ立ち尽くしています。そんな彼に、村人は責めるわけでも分け隔てなく接します。なくもしかしたら、相手は自分の家族を殺した相手かも知れない。追い出したり、迫害することも出来たでしょう。でも、そうはしなかった。恐らくは少佐の人柄や人望によるところが大きいでしょうが、男手が少ない中で貴重な労働力として必要とされていたのは作中からも伺えます。加えて彼には知恵や技術もあり、子どもにも優しい。村の老人が語りかけるように、例え敵国の軍人であろうと彼もまた戦争で深く傷付いた人間であることに変わりはなかったのです。

少佐の兄である大佐もまたそうでした。不器用な彼は彼なりに弟を愛していたのに、その思いは伝わらないまま空を漂っていました。彼もまた、戦争により傷付いた人だったのです。作中で、一番素直になれなかったのはこの人だと思いました。彼は彼なりに家族を愛していたのでしょう。だからこそ、家が抱えるしがらみを嫌い反発していた。でも、それを伝える術も機会も無かった。船の中で在りし日の思い出を語るシーンは、幼い頃の憧憬と優しさに溢れていました。彼もまた、本当は優しい人だったのです。本当は、弟を守りたかった。自分が軍人になるから、優しい弟は家から逃したかったのかもしれますん。そうして、家の業は自分が引き継ぐからお前は自由に生きろと伝えること。これが、彼なりの弟への懺悔であり、「あいしてる」だったのでしょう。おそらくは、あまり好感の高い人物ではありません。作中ではヴァイオレットを道具のように扱い社長からは毛嫌いされていますが、彼が居なければヴァイオレットは少佐に出会うことすら出来なかったのですから。不器用ゆえに優しさがすれ違ってしまっている大佐に、実は一番感情移入して見てしまいました。

人を赦すこと。そして、自分の過ちを認めること。それを行うことは容易いことではありません。ヴァイオレットも少佐も、無辜の村人からすればただの人殺しでしかありません。あの場所で生きることは、決して生優しいことではない筈です。ですがあの二人は、あの島で生きることを選んだ。自分たちが殺めたかもしれない人を家族に持つ人達に混じって、生きることを選んだのです。このテーマはHFにも通じるものです。自分が間違っていたことを認め受け入れることは難しい。もしかしたら、私にら出来ないかもしれない。でも、もしもそのまま死んでしまった?「あいしてる」を伝えられないまま、相手が死んでしまったら?届く筈の無い手紙のように行き場をなくした気持ちは、きっと一生後悔に繋がる筈です。どんなに不器用でも不格好でも良いから、自分の好きや「あいしてる」をきちんと伝えていこうと思いました。

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パンフレットの箔押しと特典の小冊子です。まだ読めていませんが、こんなに丁寧に編まれた物語を世に出してくださり、本当にどうもありがとうございました...!生きてて良かった...!

どうか、一人でも多くの人がこの作品に触れてくれますように。