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鬱になり、一年くらい絵を描けなくなった話。

昨年のコロナ禍が渦中になる春頃から、絵を全く描けなくなった。それどころか大好きだったインターネットやTwitterを見ることも書き込むことも出来なくなった。今思えば、だいぶ前に再発し誤魔化し誤魔化ししながら見過ごしてきた鬱がようやく行動を蝕んできたのだろう。私はようやく自分がひどく疲れ、身体も心もそこかしこが傷んでいることに気が付いたのだった。

それでもなんとか、仕事だけは続けた。家事は買い物が億劫で、掃除は取捨選択が出来ず、家の中はグチャグチャだった。だからせめて、労働だけらしっかりした。これが無くなってしまったら、私は本当に何者でもなくなってしまう。だから必死に働いた。絵も描けない、何も生み出せない。ならもう、働くしか世の中の役に立てない。でも仕事も辛かった。コロナ禍で人が減ったこともあり、あんなに楽しく和気藹々としていた。職場はなんだかギスギスし始めた。今でも出勤する日は、体が鉛のように重い。布団から出られない。自分の身体なのに言うことを聞かない。職場で必要とされていることだけが泥のような私を人間の形にさせ、ようやく動かしていた状態だった。

そういう訳でせめて消費エネルギーを減らす為に、色々と断つことにした。まずテレビを見ない。新聞も経済面しか見ない。情報を、とにかく遮断した。それから、人付き合いも最低限にした。そうはいっても関わらなくてはならないことが続き、その度に寝込んだ。生きた人間というのとてつも無いエネルギーがある、それをまざまざと感じた。そうしてインターネット上で人と関わることや絵を描くことから離れていたが、相変わらずゲームだけら続けていた。対人要素は無くギルドのような面倒くさいしがらみが無いシステムで、これだけは唯一感謝している。

そうして、職場では唯一気を許せる子にゲームの話ばかりしていた。と言っても当時の私は鬱真っ盛りで「死にたい」という希死念慮から逃げる為にゲームをしていたようなものだった。辛い時に好きなものを逃げ場所にしてばかりの人生だった。そうして話すうちに「ああ、やっぱり自分はキャラクターや絵を描くのがポジティブな意味で好きなんだな」と気付けたのだ。そこから、少しづつ回復が始まった。

見るのが辛かったインターネットを、とりあえずまとめサイトやはてブという軽いものから触れ始めた。だが、目が滑る。文章を読めても理解出来ない。頭に入らない。怖かった。でも、読めるものはあった。それは、ゲームの攻略サイトだった。それだけはどんなに摩耗していても、頭が読み込めるようだった。

絵も、落書きくらいなら吐き気がせずに描けるようになった。体調は相変わらず優れないので、机に向かえる時間は前の半分。でも、また絵を描くことが楽しいと思えたことが何より嬉しかった。

私は多分、働くことか何か作ることでしか人と繋がれそうにない。美容院で差し障りないことですら根掘り葉掘り訊かれることに疲弊してしまうし、他人にありのままの自分を晒せるのは家族以外はもう無理だろう。でもそれで良い。その二つさえあれば、私は世界と正常に関わっていける。漫画を描くのは孤独で、正直気が病む。作業は多いし割りに合わないし、一人で描ける量には限度がある。でも何か作らないと、私は他人と繋がれない。その強迫観念のお陰でようやく今に至っている。もしも交流上手なコミュ強だったら、それで満足して何もしないままだったろう。私は表現者として何者にもなれなかったけど、二次創作の漫画を描くことで自分が何者なのかという糸口くらいはようやく掴みかけてきた。人間としてはもう長く生きたような気もするが、創造的人生は十年だという。私に残された時間は、あとどれくらいなんだろう。その中で、どれだけの時間を漫画に当てられるのだろう。いつか絶対に死という締め切りの日は必ず来る。

それまでに、例え一コマで良い。承認欲求ではなく、評価が欲しいからではなく、自分の心の底から満足出来るものが描けたら。その瞬間に死んでも良いと思う。その瞬間は来ないかもしれない。でも、手を動かさなさなければ、絶対に来ない。

人に見てもらいたい、評価されたい、そういう気持ちは当然ある。ただそれをよすがにしてしまうのは、絶対に良くない。評価ではなく、自分の情動の内側から込み上げるものを形にしたい。そうして「私はここにいて、まだ戦ってるから」と、顔も名前も知らない人に伝えたい。本当にやりたいことは、それだけなのかも知れない。ニュータイプのように他者と垣根なく分かり合えたら、それが出来たら私は漫画を描かなくて良いのかもしれない。

でも実際はそうはいかない。他人の内側を見てしまうからこそ差別や偏見は生まれるし、分断はますます広がる。アムロとシャアだって、結局分かり合えないまま死んでしまった。例えニュータイプになっても、めちゃくちゃ神絵師になって本当に伝えたいコマが描けたとしても、やっぱり無理なのかも知れない。それでもやっぱり絵を描くことが諦められない。未練を残して死にたくない。誰に読まれなくても必要とされなくても、描き続けていたい。目が覚めたら絵がめちゃくちゃ上手くなってたら嬉しい。でも前に描いた絵を見て「下手だな〜!」って感じる=成長してる瞬間が一番楽しいのかも知れない。

こんな風にダラダラ考えてるから鬱になるんじゃ...と思うので、この辺りでおしまい。