39.第一回十字軍
①野蛮過ぎる十字軍
フランス人で構成された第一回十字軍。
聖地奪還を目指してイェルサレムに向かう途中、ビザンツ帝国を通る。
そこでビザンツ国民が見たものは野蛮な兵たちの姿であった。
金の使い方も知らない、教養もない、言葉も通じない。なぜかイェルサレムイェルサレムと叫んでいる。子供に見せられるような大人ではないことは確かだ。さすがゲルマン人。ローマ人とは教養が違う。
ああいう野蛮な人々は放っておくに限る。
聖地を目指す十字軍。自分たちを正義の軍と信じて行進は続く。
聖地到着。イスラム軍は十字軍を見て思った。
「野蛮過ぎる。」
イスラム軍は流血を避けるために撤退し、無抵抗のまま聖地を解放した。
十字軍は残されたムスリムの女子供はどうなったか。
全員殺された。
これをこう呼ぶ。
②聖地にフランス貴族が国を作る。
フランス人がビザンツ帝国に土地を返還せずにローマ教皇の許可を得て、ここにエルサレム王国を建てた。
他のフランス貴族も小さな国家を建てた。十字軍国家ができた。
③聖地に残った騎士団たち。
宗教騎士団と呼ばれる人々。生涯独身を貫いて、キリスト教に身を捧げる。そして異教徒から巡礼者を守る。
有名なのがテンプル騎士団でほとんどフランス人。
かつてソロモンが建てた神殿の跡があって、ローマ軍に破壊されてないが、跡地に本部があったのでテンプル騎士団という。
テンプル騎士団は金融業で多大な利益を上げた。
巡礼者がイェルサレムに訪れる。3年くらいかかる。旅費をどうするか。
とにかく治安が悪いから襲われたら終わりだ。
旅費の半分はテンプル騎士団に預ける。預り証を発行する。衣服の裏に縫い付けていってイェルサレムに着くと現金が出てくる。
まるで銀行のよう!
しかし、十字軍の失敗の後、フランス王フィリップ4世はテンプル騎士団を異端として拷問の末、死んだ。
続いてマルタ騎士団。
最後まで戦うが、結局イェルサレムは陥落する。
中世の終わりにマルタ島まで追われて、現在に至る。
現在では病院経営をしているらしい。
最後にドイツ騎士団。
十字軍が失敗した後、故郷ドイツに戻って、ポーランドに移民政策を行い、ドイツ騎士団領をつくり、後で名前がプロイセンに変わる。
そしてプロイセンがドイツを統一していく。
イスラム教徒が反撃していくる。
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