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88.名誉革命
①ステュアート家の王政復古
フランスのルイ14世のところへ亡命していたチャールズ1世の息子たち。
チャールズ2世とジェームズ2世。
長いことフランスにいたためにゴリゴリのカトリックとなっていた。そしてルイ14世にかりがある。
王政復古はいいが、イギリス国教会がなくなるのは貴族たちはよしとはしなかった。だから議会でこのカトリック息子たちの横暴を防ぐ方法を考えた。
審査法:公務員がイギリス国教会のみ
人身保護法:国王が勝手に逮捕することはできない。
カトリックかどうか見分けるには宣誓させる。
「私はイギリス国教会です。神に誓って本当です。」
これで嘘がつけなくなる。アメリカ大統領が宣誓するときのように聖書の上に手を置いて叫ぶ。日本でいうと踏み絵だ。
②カトリックの王が出現か!?
チャールズ2世はイギリス国教会となって大人しくしていたが、弟のジェームズ2世は違う。声高にカトリックであることを自慢し、審査法によって海軍大臣を辞職していたりした。
そしてジェームズ2世が王になるかという日がやってきた。議会はもめた。審査法は公務員だけに限定されており、国王は範囲外だったのだ。
③割れる議会。
ジェームズ2世を国王と認めてもいいと思う人々はトーリー党。
そしてジェームズ2世を国王とは認めない人々はホイッグ党。
トーリーが勝った!!!なぜだああ!
トーリー党「ジェームズ2世はカトリックでも息子が生まれたらイギリス国教会にすれば丸く収まるではないか。そんな血の気の多い野蛮な奴らとは違うのだよ我々は・・・。」
そうしてジェームズ2世は国王となった。国王に息子が生まれた。しかし、ここで誤算が。ジェームズ2世は息子をフランスのルイ14世のところへやってしまったのだ!!!!まずい!カトリックがつづてしまう。ぬかった貴族たち・・・。
④やっぱりジェームズ2世を追い出そう。
ジェームズ2世の娘がオランダへ嫁に行っている。オランダ王がイギリスを治めてもらおう!となったイギリス議会の人々。
ジェームズ2世を追い出すためにオランダのメアリ2世と夫は軍勢を率いてイギリスへ。びびったジェームズ2世は周りに味方もおらず父親と同じ結末はいやだということでフランスへ亡命した。
これが名誉革命。
⑤なぜオランダ?
嫁に行っていたのがオランダということも理由だがそれだけではオランダは動かない。そもそもイギリスとオランダはアルマダの海戦以来、海外で熾烈な争いを繰り広げていた。
イギリスの商館を焼き払ったアンボイナ事件。
新大陸を争った英蘭戦争。
ではなぜオランダはイギリスを助けることにしたのか。フランスの存在である。フランスに責められていたオランダ。このままではフランスにやられてしまう。
そこにルイ14世の行きのかかったジェームズ2世がイギリス王に居座るときっと英仏同盟を組んでオランダを滅ぼしてくるだろう。
そうなる前にイギリス王になっておくことで、フランスとの同盟を防いで形勢逆転をしたのだ。イギリスはその後、海外に目を向けてヨーロッパで戦争しているときに新大陸でフランスをボコボコにした。
ことごとく戦争を重ねる。
⑤オランダ王にイギリスのルールを。
権利章典である。
謳い文句は「議会の同意なしに〜〜できない。」だ。
国王の権力を制限するに十分だった。
メアリ2世のあと、アン女王がイギリスを合体させることに成功。グレートブリテン王国となる。
⑥立憲君主制
ステュアート家が断絶すると次は、ハノーヴァー選帝侯から王を連れてくることになった。ドイツ貴族なのでイギリスの言葉はわからない。だから政治に口も出しづらい。
議会では、座っているだけ。実際は首相が進める。ウォルポールだ。国王は政治に口をださずに見ているだけになった。
これが立憲君主制である。
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