96.アメリカ独立戦争その2
①ボストン茶会事件(1774)
次々に課税されるアメリカ。アメリカも黙っちゃいない。英インド会社に茶の貿易独占権を与える茶法に反対するため一部の植民地人が行動を起こした。
1773年12月16日。真夜中。インディアンの格好に扮した数人が船に保管されていたお茶を海にばら撒いた。この光景を見ていた民衆の一人が呟いた。
”彼らはボストン茶会を開いた。”
茶会はティーパーティを訳したもので、2009年から始まった米国右派の運動をティーパーティと言ったりする。主にアメリカにおける医療保険加入義務づける「オバマケア」への反対運動を行なっている。
賠償額は1,000,000ドルを超える。
英国は怒り、ボストン港を封鎖し、植民地は第一回大陸会議(1774)を開き、英国品の不買など反抗の意志を高めていった。英国軍も植民地に軍の増援を送り、双方が激突する寸前であった。
そしてついに、戦いの火蓋が切って落とされる。
英国軍が植民地がコンコードに武器を集めていると情報を受け、押収に向かった。植民地はこの情報を掴んでおり、途中にあるレキシントンで英国軍を迎えうった。アメリカ独立戦争最初の戦いとなる。
②第二回大陸会議(1775-1781)
フィラデルフィアで行われた第二回大陸会議。
植民地は英国本国と戦争が始まったというのに意見が割れていた。
その1:愛国派(パトリオット)…英国から独立すべきだ。
その2:忠誠派(ロイヤリスト)…英国政府を倒すだけ、英国王に忠誠を。
その3:中間派…一体何が起きているのだろうか。
植民地の行方は中間派が握っている。どう納得させようか。
愛国派(パトリオット)の議員がひとり、自席をすっと立って会場中央に赴き、静かに口を開き語利かけ始めた。
彼の名は、パトリック=ヘンリー。38歳。
あなたや家族が英国に隷属してまで、命は尊く平和は甘美なものだろうか。神にかけて断じてそうではない。他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、私は願う。私に自由を与えよ。そうでなければ死を与えよ。
彼の演説から1年。あるパンフレットがフィラデルフィアで発行された。
タイトルは「コモン=センス」。著者は哲学者トマス=ペイン。
「常識」という意味のパンフレットには、こう書いてあった。
人間には自然権がある。これは常識だ。
政府は民の自然権を守る義務がある。これは常識だ。
政府が義務を果たさないのなら新政府を樹立してもいい。これは常識だ。
パンフレット「コモン=センス」は爆発的に広がり、皆の目が覚めた。
愛国派(パンフレット)に。
③自然権について。
生まれながらにして持っている権利、自然権。どんな権利なのか。
ドイツでユダヤ人を大虐殺した(ホロコースト)アドルフ=アイヒマン。彼は後裁判でこういった。「国内の法律に従っただけだ。」
アイヒマンは、人間の尊厳を踏みにじったが、法律は守った。
同じ時期、杉原千畝(ちうね)は、ユダヤ人を救うために日本から大幅に制限がかけられていたビザを多くのユダヤ人に発給し、命を救った。
杉原千畝は、法律は破ったが、人間の尊厳は守ったのだ。
人間の作ったルールは時に間違う。だから人間の上の存在が作った絶対のルールという考えが必要だったのだ。人間の上の存在、それは神だ。神と自然を同一視する考えがあり、自然法という表現となった。自然法を行使する権利を自然権という。
つまり、ルールを破った英国から人間の尊厳を守るために、独立しても構わないという考えだ。
数年にわたる会議の結果、ジョージ=ワシントンを総司令官とし、
アメリカ独立宣言を起草するに至った。
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