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79.ナンバー2プロイセン

①三十年戦争後

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三十年戦争の講和条約、ウェストファリア条約。この条約で神聖ローマ帝国が事実上崩壊した。ドイツはもっとバラバラになった。

ドイツで一番力が強いオーストリア=ハプスブルク家。そしてナンバー2がプロイセンのホーエンツォレルン家。

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しかしプロイセンは貧しい農業国。貴族たちは地主(ユンカー)と呼ばれ、地代で生活を送っていた。

②ホーエンツォレルン家

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プロイセンをドイツの強大国として成長させたのはフリードリヒ・ヴィルヘルム1世。敷地をグラウンドにして飾りなどなく、ひたすら軍事力を強化していた。

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そしてフリードリヒ2世。啓蒙専制君主。貴族よりも市民と結びついた君主。

このフリードリヒ2世、プロイセンを強大国にするためには資源が必要だということで資源が採れる場所を探していた。

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③資源はハプスブル家の領地内

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あった。シュレジエンだ。ここはオーストリア=ハプスブルク家の領地。どうにかして奪い取らないといけない。どうするか・・・。

④オーストリアの中の王位継承問題

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サリカ法典に寄れば女子は王位を継承できない。しかし、ハプスブルク家は女しかいない。カール6世は娘のマリア=テレジアを王にするために特別な詔書を発行した。プラグラティッシュ=ザンクティオン。別名国事詔書。

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この決定にドイツの諸侯が声をあげる。遠い親戚である諸侯たちが反対したのだ。これでプロイセンが乗っかる。戦争をして勝ってシュレジエンを奪えばいい。

④オーストリア継承戦争

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プロイセンがドイツ諸侯を支援。そしてフランスブルボン家が参戦。ハプスブルク家を牽制するチャンス。スペインはブルボン家だからフランスの応援に向かう。

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赤がプロイセン。青がオーストリア。ボコボコにされるオーストリア。これがオーストリア継承戦争。

ちなみにイギリスはオーストリアを応援した。フランスと新大陸で戦っていたのでフランスと敵対する。

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この戦争はアーヘンの和約で決着し、無事にプロイセンはシュレジエンをゲット。

マリア=テレジアも王位につきはしたが、いつかプロイセンを叩くことを誓ったのだった。

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