12.アテネの民主政
①民主主義ができるまで。
アテネの続き。アテネができた時は貴族、平民、奴隷に分けられていた。しかし、問題が発生したときに裁判のようなものは貴族が行なっていた。
だから法は貴族に独占され、平民には知るすべはなかった。
慣習法 = 文にはなってないけど共通認識がある。
成文法 = 文章になっているから認識が正確にできる。
慣習の具体例は「アメリカ大統領は3選禁止」が慣習。ちなみにこの慣習はルーズベルト大統領が破って4選した。戦争始まるから。
貴族は分かってるけど、平民は分からない。
つまり、
平民にバレずに好きに法をいじることができるということ。
貴族のドラコンは、アテネでの初めての立法者だ。今まで貴族に独占されていていた慣習法を文字にした。
ドラコンが初めて作った法はめちゃくちゃ厳しいもので、殺しても死刑。盗んでも死刑。姦淫しても死刑。ちょっとしたことでもすぐに死刑になったらしい。
②ソロン
そんなドラコンの法に対して、
ソロン「厳しすぎる。新しい法にアップデートしていこ。」
その法の一つが財産で参政権を分けるものだった。
平民を4段階に分ける。
将軍級 = 貴族と大差ない
騎士級 = 裕福な平民で武器が買える。
農民級 = 普段の生活には困らない。
労働者級 = ほぼ奴隷。ギリギリ。
4階級の労働者級だけはなんの役職にもつく事が出来なかった。武器を持って戦えない人々は権力も与えられないのだ。
ともかくも、ソロンは貴族や平民の地位を明確にした政治を行なった。
③ペイシストラトス
そんなソロンに不満を持つ人がいる。ペイシストラトスだ。
ペイシストラトス「貴族が土地を独占し、壁の外には貧しい人々がたくさんいる!ソロンはそれらを無視している。
なぜか!
ソロンが貴族だからだ!土地を分配したいのだ!協力してほしい!」
ペイシストラトスは自分をわざと傷つけて、アゴラで叫んだ。
「この傷は土地の分配を拒否している者たちにやられたのだ・・・。だから私を守る近衛兵がいる。アテネ市民よ、たて!我々の自由のために!」
こうしてペイシストラトスは政敵を次々に追放し、権力を手に入れた。
これを僭主という。
ペイシストラトスに反対するものは誰もいなくなった。彼は独裁的な政治を行い、後継者も選挙ではなく息子のヒッピアスに選んだ。
このヒッピアス。愚かすぎだ。
ペイシストラトスが死んでヒッピアスが権力を握ると、皆が不満を溜め込んでいく。
アテネの反乱軍はスパルタと手を組んでヒッピアス追放に成功した。
④クレイステネス
追放に成功したアテネ市民たちはクレイステネスを中心に再建を図る。
クレイステネス「もう二度と、ヒッピアスのような男を出さないために一計を案じた!僭主になりそうな人を一人皆で、投票で決めて追放したい!」
これが陶片追放。
クレイステネス「政治システムも変更する!今までは血縁によって部族を編成していたが、これを改める。地域ごとに部族を編成せよ。血の繋がりよりも近所の人々を大切にせよ。
貴族も金持ちも奴隷もごちゃごちゃに混ざってグループを作ってよく話し合え。」
これが民主主義の完成。
ギリシャ語で
デモス=地域
クラチア = 政治
これが英語でデモクラシーになった。
この時に民会の制度が確立したと言われている。この時、貴族たちの元老院のような貴族会議が存在したが、ほとんど権力はなかった。貴族たちの会議はペリクレスの時代まで存在する。
今回はここまで。
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