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スライドで授業する世界史

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#教育

80.七年戦争

①外交革命 オーストリア継承戦争での苦い経験を拭おうとマリア=テレジア。プロイセンを叩くためにプライドをかなぐりすてる。 フランスに使者を送る。プロイセンがドイツを統一すればフランスに脅威になる旨を必死に伝える。 ブルボン家ルイ15世は度重なる戦争で犬猿の仲であるハプスブルク家からの使者に耳を傾ける。そして手を組むことを決意。 これが外交革命である。まだマリア=テレジアは終わらない。 ロシアにも使者を送る。もしプロイセンがドイツを統一すれば北海やバルト海に影響力を行

79.ナンバー2プロイセン

①三十年戦争後 三十年戦争の講和条約、ウェストファリア条約。この条約で神聖ローマ帝国が事実上崩壊した。ドイツはもっとバラバラになった。 ドイツで一番力が強いオーストリア=ハプスブルク家。そしてナンバー2がプロイセンのホーエンツォレルン家。 しかしプロイセンは貧しい農業国。貴族たちは地主(ユンカー)と呼ばれ、地代で生活を送っていた。 ②ホーエンツォレルン家 プロイセンをドイツの強大国として成長させたのはフリードリヒ・ヴィルヘルム1世。敷地をグラウンドにして飾りなどなく

78.ロシア絶対王政その3

①ロマノフ家の家系図 ピョートルが風邪でなくなると、奥さんが代わりに皇帝となる。ノルマン人系だからサリカ法典とか関係ないし。 そして次、エリザベータの時に七年戦争。後少しでプロイセンを倒せるという時にエリザベータが肥満で死亡。そして次のピョートル3世はなんとプロイセンを敬愛していたため、戦争から離脱!無能! ピョートル3世は人形遊びばかりしていて精神的に幼いとされている。ここに世継ぎがなかったためにドイツから嫁いできてもらった。名前がエカチェリーナ。ドイツから田舎のロシ

77.ロシア絶対王政その2

①コサックの反乱。 領土が拡大してくると反乱が起きる。コサックだ。 コサックが減税を求めて反乱を起こしたスチェパン=ラジーンの乱を契機にしてロシアは考えていた。 コサックに頼らない常備軍が必要だ。 ②ピョートル1世の留学? ロシアもヨーロッパの先進国に追いつこうと技術者を集めて吸収しようと必死だった。そんなところに一人の少年が。ピョートルである。ピョートルは外国のおじさんんたちが見たこともないような船や武器を作るもんだから夢中になった。そして大人になったとき、自分も

76.ロシア絶対王政その1

①ロシア=ノルマン人が作った。 ノヴゴロド国。キエフ公国。こうした国がロシアが源流。この国々はモンゴル人によって征服された。モンゴルは強力な騎馬を用いて瞬く間にユーラシアを飲み込んでいった。 あの馬鹿でかいモンゴルだが、財産は兄弟で分配するという決まりから領土も分配され、細かーくなっていく。そしてヨーロッパ方面バトゥがキプチャクハン国を立てた。 ヨーロッパ方面はワールシュタットの戦いで進軍がストップしたため、ドイツやフランスまでは来なかった。 ②モンゴル人からの独立

75.30年も戦争するなんてあり得なくない?

①きっかけは反乱。 ハプスブルク家神聖ローマ帝国はカトリックの守護者。しかし、ここにルターが現れて宗教改革が起こった。 結果、アウクスブルク宗教和議で領邦ごとに宗派を選んでいいことになった。 問題はベーメン。ここは以前、異端者フスがいた地域。まだまだカトリックへの恨みは根強い。しかしベーメンの領邦はカトリックでいくと言い出した。ベーメンの人々は当然反乱するに決まっている。 ②ベーメンに応援する領邦。 ベーメンを支援するザクセンをはじめにするルター派の領邦。 それに

34.ヴァイキングシュート3号。

①イングランドを巡った争い。今回はノルマンコンクェストの話。 まずは、ローマ時代。 ユリウスカエサルがガリアの地を征服した。ガリアにいた民族はケルト人。あの無印良品で流れているケルト音楽のケルト人。 彼らは北と西に圧迫されて逃亡した。 ローマ帝国がゲルマン人に圧迫されだすと、ガリアの地にはフランク王国が建てられた。カール大帝との対立に敗北したゲルマン人、アングロ族とサクソン族はイングランドに逃げて国を建てた。ケルトはどんどん逃げていく。 そしてノルマン人が侵入してく

33.ヴィンランド・サガの世界史。

①ヴァイキングの生態ヴィンランド・サガにハマっておりまして。ノルマン人達の世界史をやっているとワクワクしてきます。 ノルマン人は広い意味でゲルマン人の一部。住んでいる場所は北欧であるから寒い。農耕はできない。 ノル=北。マン=民。 森に入って獣を狩ったり魚をとったりして暮らしている。 フィヨルドで船を出して干物にした魚を売って生計を建てた。 入江=ヴィーク 入江の民=ヴァイキング ともいう。 彼らは生活が苦しくなると自分たちを守るために村を襲って略奪を繰り返し

32.ヨーロッパの源流。

①ヴェルダン条約-843- カール大帝の一人息子の死後、フランク人の慣習で息子たちに土地が分割された。 長男ロタールには中央を。 次男ルートヴィヒ2世には東一帯を。 三男シャルル2世には西一帯を。 ②メルセン条約-870-しかし、問題があった。ロタールの王国ではアルプスが存在しており、とても険しく移動が大変だったため、ロタールが死ぬと左右のフランク王国が領地を攻めて獲得した。 ③外国の圧迫 北からヴァイキングが村々を荒らし、東からアジア系のアヴァール人が圧迫、西から

29.東ローマ帝国の逆襲

①ナナナナ〜、ナナナナ〜、ゲルマン人野蛮人 タイトル考えていたらダースベーダーのシュコーが聞こえてきそうになってしまった。  さて、ゲルマン人の大移動でヨーロッパにあった西ローマ帝国はゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた。 しかし! ゲルマンの支配に気に食わないのは現地の住民たちだ。現地住民はローマ人なのだ。そして宗教はキリスト教アタナシウス派。 ゲルマン人はアリウス派。 少数派のゲルマンが多数派のローマ人を支配するのは苦労するので統治がうまくいかない。

28.ゲルマン人の大移動

①東からの遊牧民 漢の時代。北方の匈奴を追い出すと、姿を消す。そして西側に姿を表した。名前を変えて。 その名もフン人。 フン人はゲルマン人を圧迫した。ゲルマン人はローマ帝国へ押し寄せてきた。 父親がガリア総督だったタキトゥスはゲルマンの生態を調べ尽くして本にした。書籍「ゲルマニア」には以下のことが書いてある。 ②ゲルマン人に困ったローマ帝国 ローマ帝国のテオドシウス帝は圧迫してくるゲルマン人の対応を迫られていた。皇帝が出した解決策は・・・。 息子たちを呼んでローマ帝

25.キリスト教の成立-前編-

①ユダヤ教から生まれたキリスト教 キリスト教が成立したのは、その下地にユダヤ教という一神教が存在したから。イエス=キリストはユダヤ教徒だった。 ユダヤ教徒の歴史は迫害の歴史。 初めは古代エジプト新王国。「出エジプト」で故郷に帰っても待っていたのは新バビロニアによる「バビロン捕囚」。その後、アレクサンドロス大王によって支配され、オリンポス12神の信仰を強制した。しかし、ユダヤ人は負けない。 このタフネスさはどこから来るのか。 それは唯一の神を信じていることで死後、天国へ

24.軍人皇帝時代の爪あと。

①でかすぎる領土を分けよう。 カラカラ帝の次に登場するのはディオクレティアヌス。彼は広すぎる領土を4つに分割して支配しようとした。これをテトラルキアという。そして皇帝は選挙ではなく、神の代理人として皇帝崇拝を強制した。 今まで市民と気軽に話していた皇帝の姿はなく、宮殿の奥深くに閉じこもってその姿は神秘のベールに包まれた。また神格化するために神殿を作り、ディオクレティアヌスの顔を彫って、信仰するよう促した。 皇帝が神という考え方はおかしくはない。カエサルも神となっているし

23.五賢帝〜軍人皇帝時代

①五賢帝の時代 皇帝ネロから何度かの皇帝交代があり、元老院のネルヴァがアウグストゥスに選出された。ネルヴァは世継ぎを息子ではなく、有能な部下を指名した。この慣習が繰り返されたので愚帝が出てこなかったのだ。 ちなみにトラヤヌス皇帝の時に観光地として栄えていたポンペイで大事件が起きた。 火山が噴火してポンペイの街が消滅したのだ。 苦しんでいる人々の形が克明に記録されている。 映画にもなっている。 火砕流でも死ぬ人も、火山ガスで死ぬ人も、苦しかったろうに。 トラヤヌ