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素敵な言葉には素敵な言葉が返ってくる
最近感じることです。
わたしは、ここ最近『言葉』に重きを置いております。
特にスマートフォンなどの媒体を通して人に伝わる場合。
いかに、わたしの温度を伝えるか、不快にならない文章を送るかを考える。
そんなことを意識しているうちに、わりとスムーズに言葉が使えるようにはなってきた(嬉し)
でもそれは、わたしだけの力ではないんだな。
わたしが今仲良くさせてもらっている人たちが、素敵な言葉を使うから、相乗効果のような感じで、どんどん言葉が使いやすくなっている気がする。
思い返すと、大学生の時のやりとりって
「まじ○○〜」
「それな」
とか、薄っぺらいコミュニケーションだったような気がする。
わたしの場合、中高6年間女子校で育ったので、大学で出会った、いわゆる「男の子」の言葉遣いに触れるのは新鮮で、かなり影響された。(「お前」とか「〜だろ」とか無意識に使っちゃってたな〜)
でもやっぱり、自分から出ている言葉という感覚が薄くて、無責任に使っていたんだと思う。
時々、「お前」と口走ってしまった後に、
うわ、すごい失礼なこと言っちゃった…!
と、心の中で後悔してた。
言ってから後悔することが何度もあって、それが嫌になって、ゆっくりでもいいから、責任のある言葉を使おうと決めた。
それでもまだ、適当に言葉を使ってしまう時があるのだけど。
こうして、少しずつ意識しているうちに、言葉の使い方が上手くなってきた(と思う。)
それはやっぱり関わる人が変わってきたからで、周りの人の言葉遣いに影響を受けているからだと思う。
言葉って、返ってくるんだろうな。
相手に対して丁寧に言葉を紡げば、相手もそれに応えてくれる。
まあ、応えてくれない人もいるけれど、その人は、わたしのことを、そんなに大切な存在だと思っていないということだから、関係を切るようにしている。
そんな人間に使う時間と労力が無駄だから。
その代わり、丁寧に言葉を紡いでくれる人は、心の底から大切にしたいと思っているし、その人が苦しんでいたら全力で力になりたいと思っている。
そうやって、言葉を通して人間関係を築いていきたい。
人間と動物の違いは、「言葉」を持つかどうかで、人間に生まれたからには「言葉」を大切に使わなきゃ。みたいな謎の使命感すらある。
まあ、それはちょっと言い過ぎ。
言葉が届かない、ってとても苦しいと思うんだ。
異国の地で、たった1人言葉が通じない環境とか、何かしらの影響で声を発することができないとか。
思考する力があって、それを言葉で表す力もあって、文字に起こすこともできる。それは恵まれていることだと、わたしは思うから、これからも言葉を大切に紡いでいきたい。
わたしはnoteを書くにあたって、「余白を残す」ことを意識しているのだけど、今回はかなり自己主張が強めになってしまった気がする、、
あくまで持論でしかありませんので、悪しからず。
言葉について書きたくなったのは、noteの感想をくれた人の言葉に感動したから。
「心臓にコーヒーを注がれたような、じんわりと温まる感じがした」
その人とは、普段コーヒーの話をよくするし、考え方についても色々と話してきた。
そんなわたしたちの関係から生まれた表現なんじゃないかな?と思ったらとても感動してしまって、
わたしの心臓あたりのエスプレッソに、その人がミルクを注いでくれて、カフェラテができた感じ。
、、それはちゃうな。無理矢理でした。
言葉って楽しいなってことです。
長々とありがとうございました☕️
これからも、誰かの心に、温かいコーヒーを注げたらいいな。
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