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謝罪に関する私見(だいぶ卑屈)

これ、最近わたしが思うこと。最近というか、1〜2年前から。

オリンピック組織委員会のあの会長さんのニュースを見ていて、思い出しました。

わたしたちが幼い頃から植え付けられてきた、「悪いことをしたら謝る」

そして謝られた側は、「相手を許すことを強要される」

あの感じ。


悪いことをしたのに謝らないのは確かに宜しくないのかもしれないけど、許すか許さないかは本人以外、誰にも決める権利はないと思うのよ。

そう思うと、迂闊に謝るものじゃないのかもしれない、とわたしは思う。

だって、傷ついたのに。「ごめんね」と言われたからって、簡単に許さなければいけないのって、酷。

謝られたら、それからはもう相手を責められない。謝られたのに許せない自分を責めることになる。


わたしは多分ずっとそうやって自分を責めてきた。

何か相手に悪いことをしたら自分を責める。相手に何かされても最終的には自分を責める。(生きるの下手すぎる件)


本当の償いは、犯してしまった過ちを、一生一人で抱えていくことだと思う。

申し訳ないと思うなら、相手の人生に金輪際現れないこと。

自分の中だけで覚えておくこと。

相手からは一生嫌われておくこと。


人間なんて、結局誰かのせいにしたい生き物。だから、悪いことをしたら嫌われる。それは当然。

許されようとする方が重い罪。


こう考えると、自分はめちゃくちゃ苦しいですけどね!!🐙


でも、だからこそ、人を大切にしようと思えるんです。

今まで傷つけてしまった人たちが、わたしの心の中にいるから。その人たちからは一生嫌われて、悪口言われててもいい。

その分、今そばにいてくれる人や、これから出会う人を大切にする。

そうやって償っていく。

同じ苦しみを味わうことのないように。


簡単に謝る人は、また同じことをします。そうやって、当たり前のように人を傷つけて生きていきます。(多分ね)

だから、謝られても許す必要ないし、わたしだったらまず、謝らせない。(笑)

もう連絡先も遮断して、謝る手段を無くします。

苦しめ苦しめ!と思うわけ。


わたしたちはやっぱり楽してふわふわ生きていたいけど、そうやって生きてるとどこかで誰かを傷つけてしまうよね。

難しい〜〜

でも自分の中で、許せること、許せないことが分かっていれば、相手を不意に傷つけてしまう回数を減らせるんじゃないかと思います。

謝られたから許す、なんて思わなくていいと思います。

許せない。わたしは同じことを他の人にはしないぞ!って思えば。

という私見ですが、受け止めるなり、煮るなり焼くなりして下さい。



あの会長さんの「謝ればいいんでしょ」という態度を見て思い出しただけです。でもさ、あのおじいちゃんも、もう80年生きてて、人格が出来上がった頃に「男女平等」みたいな考え方が出てきたんだよね?そう思うと、世の中の変化を真っ直ぐ受け止めるのも難しいよな〜とか思ったり。擁護する気はないけど。

これからどんなに歳を取っても、世の中の変化をじっと見ていたいし、自分自身も考え方を変えて、楽しみながら老ぼれていきたいな〜って思う。

いやぁちょっと世の中の変化についていけないっす!教えてください!ってスタンスの老人を目指してる。









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