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2021→2022 年越しポスト

今年もこのポスト。ちょっと雑だけど振り返りつつばーっと書きました。

中学1年生の1月に、過去の自分をガチでぶっ倒したい、と思った最初の記憶がある。いま自分がいる場所を否定するわけではないけれど、私はわりと過去に戻れるなら全然違う人生選択をするだろうなと思っている。あの箱の中で社会化もされていなかった高校時代からみると、成長のスピードは上がったのかな…と、どうしても過去を他者化したくなる誘惑にちゃんと抵抗して、あの場所にちゃんと片足突っ込んでいた状態をキープ。要は、「いまいる場所」と、「強烈な感情をもったときにいた場所」の間に、どれほど大きい隔絶を感じているか、が人のベクトルを決める、というふわっとした仮説がいまある。隔絶を測るものは地理的距離もあるけど、場所間で共有されている人の数(私の場合ゼロ)が大きいかな。いたコミュニティは全部ちゃーんとキープすることで自分がようやく成り立っている。その自己同一性のための翻訳。こうしたことを語る、「移民」という良きレンズを今年は手に入れた。

以下は、自分以外にとってどうでもいい今年の振り返り。去年のポストは、今年の仕事とか取った授業とか色々項目分けしたけど、めんどいことに気付いたので全部ごっちゃまぜ。

年始(日本)

地獄のような始まり方をする。そもそも年末に色々意識しすぎて落ち込んでいたところに、年始早々に東京がパンデミック開始後最悪の感染状況を迎え、二度目の緊急事態宣言となる。第二の故郷(アメリカ)では議事堂が襲撃され、第三の故郷(ミャンマー)では2月1日にここ10年ぐらいの社会の進捗がすべてパーになる。世界が世紀末みたいな雰囲気。私は東京でほとんど外に出られない。毎日朝6時に起きてアメリカの大学の授業に出なければならない。アメリカではテレビを見ないが、日本ではリビングに座っているだけで強制的にその日の感染者数について感想を持つことを強制される。両親は仕事で一人っ子なのに日本の友達は大学の授業がオンラインだし、そもそも外に出るべきでない・出たところで遊び場所が限られているから会えない。

は?

いや、いま振り返っても、は!?!?!?!?でしかないこの年始〜2月11日、辛すぎた。この時期、高校の自分のコミュニティに色々と動きがあり、取り残されるような感覚のなかで、大事だった人間関係を複数を失った気になる。この時期、おそらく二年前の部活のアンサンブルコンテスト前と同じかそれ以上ぐらいに病みきり、毎日起きるとずっと心臓の動悸がおさまらず本を読むことぐらいしかできない。アメリカの秋学期がいまいちで日本に逃げ帰ってきたのに、日本にいることが拷問のようで、2月11日に渡米したらインスタとLINEをすべてシャットアウトしてアメリカにまず足掛かりをつくろうと強く心に決める。それなら、というやけくそで恐ろしく賢くない選択を重ね、さらに大事な関係を失い、史上初「アメリカに逃げ帰る」という本当に世紀末のような顛末になる。2021年、どうなることかと思った。

春学期(アメリカ)

2月末に留学記②で書いた通り、日本との繋がりをブチ切って退路を断った。なんか背水の陣的な悲愴感でアメリカの大学をちゃんと「家」と言えるようにするべく頑張る。そして、最初の秋学期に本当に合う人が見つからなかったところから、この春学期になって初めて、アメリカのこの大学で自分の居場所がつくれる、という確信をもった。それまでは本当に長くて暗かった。日本社会と中途半端につながったまま、こっちでは完全にフリンジに生きることをヨシとしたくなかったから。ちゃんと入ったコミュニティには居場所が作れるという前提にたってこれまで生きて来ているし、新しい場所に突っ込まれてぱっと自分の立ち位置を確保する適応力で売ってきたつもりだった。上手くいき始めたこの春学期に気づいたのは、ずっと私がやってきたのは「もう完成されたコミュニティに溶け込む」ということであって、「ヨーイ、ドン!友達作りハジメ!」な生活は、日本の中学入学以来の経験だったのだ(加えてコロナ禍ver)。しかもその中高一貫校のスタートダッシュにはつまづき、特に部活周りの人間関係に最近まで響きまくっていた自分は、「ヨーイ、ドン的適応力」は皆無なのだろうと気付くに至る。

大好きな国ミャンマーが危篤に陥る。当時のインター仲間は世界中に散らばっていたけれど、これを機にものすごいSNSシェア馬鹿力を発揮し、悲しいけれどそれがとても心地よい。当時の写真や、現地の方にクーデタの状況の写真をリアルタイムで送ってもらい、投稿するインスタのアカウントを作る。それ以来、変に状況が膠着してしまい、このアカウントをどうすればいいのか分からなくなっているものの、久々にこういうことをやって良い経験だった。

https://www.instagram.com/imagesformyanmar/
しばらく放置気味、、意外とフォロワーは200人ぐらいしか減ってない。

たくさん本を読み、知識を蓄え、映画を見て、写真を撮った。私は、例の行ったり来たり生活とひたすら野球だけやってたことによって日本的にもアメリカ的にも「一般的な少年時代」が丸ごと欠如しているので、例えばハリーポッターの映画を友達と遂に完走したみたいなどうでもいいことがとってもいい出来事なのだ。飛行機の中とかも含めて、半日の間に映画を3本一気に観るみたいな少しクレイジーなことができるようになった。今後もジブリのマイナーな作品と、スターウォーズとマーベル系と、進撃・呪術・ハイキューなどなど日本の有名アニメあたりはちゃんと履修したい。なんでみんな履修とか言うんだろう。楽しみたい。

履修といえば、学業面では中国語とかCSとかリベラルア〜ツなことをやりつつ、秋の薫陶を経て社会学徒になる。(はよ理論をやれ)(来学期やります)中国語は、まあ、やる気がめっちゃある訳ではないが、埋没費用を回収してどうにかトリリンガルになりたい。CSは最もイントロの授業で、それだけじゃそれほどの意味のないことを知った。要は将来に自分のやるべきことが見つかって、その遂行にエンジニアリング技術が必要、となったときに初めてリテラシーが活きるのだと思う。でもアクティビストやアカデミックとは別に実装派(自分でどんどんやっちゃうタイプ)のエンジニアやプログラマーにちゃんと話が通じることは大事。うん、社会学の話。。

まずは政治社会学の分野で、めっちゃリベラルな弊大学にて「世界の右派の思考回路を覗こう」みたいな、啓蒙主義から逃れるための授業を受ける。教授とクラスメートはうーんだったが、読んだ本は社会学の質的調査について結構マナビが多かった。でも、リベラル研究者の、最終的に「でも右派は〇〇という事実に気付くべきで〜」という論調に落ち着く傾向にはけっこう辟易する。「啓蒙」が大嫌いなのだ、私は。社会(科)学の魅力は二通りあると思っていて、自分の境遇をうまく説明してくれる(そしてそれによって自分の孤独を解消してくれる)パターンと、自分の知らない境遇に開眼させてくれる(そしてそれによって自分の普通が全く普通じゃないことを知る)パターン。この政治社会学の授業は後者の面白さにあたる。

次いでThe Pandemicという「△△の社会学」系のテーマ性の授業は、自分が好きなタイプのいま世界で起きていることの根源を説明してくれるやつ。このセミナー、1年生が私1人(なんで)だったので、考えが深い特定の上級生数名に感服しながら自分にできる貢献を頑張った。こういう、失うものはなくて「できたらそれだけで褒められる」みたいな年上ばっかりの空間はやっぱり得意になりがち。同級生・後輩のいる場で頑張っちゃうと敬遠されて終わる環境に育ったからにすぎない。

4月にキャンパス内であったデモの写真撮影をしていたら、その写真を大学の広報部が使いたいと言ってくれた。そうして、なんかナショナル・ジオグラフィックからリタイアして来たとかいうやべえ写真家に雇われることとなり、人生初アメリカで仕事に就く。その写真家とは世代感覚が違いすぎて合わなかったけれど、でもまあビジネス相手であれば結果オーライ。インスタとも合わせて自分の写真を楽しみにしていてくれる人が増え、自己肯定感をゲットする。

(これは秋に撮ったやつ、みんなに褒められて嬉しかった)

夏休み(日本)

恐ろしく忙しかったが、本当に充実していて、夏休み=「アメリカと日本の学期の過渡期でそもそも存在しないものor部活or受験」だった自分にとって一般的な夏休みとはなんたるかを教えてくれた。いや、一般的な夏休みだったとは思わないし、そもそも当時最悪の感染のピーク(また)だったのだが。

夏休み中やったこと。外資PA企業でインターンする。日本の政府がどんなことを考えているのか知見が広がる一方、ビジネスの利益のための社会活動を助けてあげるみたいなコンサルの仕事は惜しくも向いていないなと思う。渡米3日前に免許をとり切る予定のため、講習のどの時点でも落ちてはいけない中、通いで自動車学校に行く。卒検で対向車線のかなり遠くにバスが見えているのに自転車を追い越す謎プレイをみせ、教官に「よくあれ行ったなあと思いました」と苦笑されつつギリで受かる。オリンピックの選手村で国際交流を楽しみつつ、猛暑の村内を疾走しちゃんと日本的ボランティアとして若さを搾取される。感染増加を目の端っこで追いながら今回はちゃんと友達と色んなところに遊びにいって、ああ人生楽しいやんと思う。

忙しいことは、悩んでる暇がないことで、楽しいこと。3年ぶりに祖父母に顔を見せるために札幌に弾丸旅行を決行、出発後24時間と経たずに羽田にトンボ帰りし、その足で徹夜で山手線沿線を友達と歩いて一周し、さらにその足で電車とバスで選手村から成田空港でのミャンマー選手団の帰国に付き添う(合計48時間で9万歩)…みたいなクレイジーなことができるようになった。自分にとっては、アメリカの学期中が比較的「考えを巡らす時間」なので、日本にいる間は事前にやることリストアップして動きまくるのが良いな、と思っている。

秋学期(アメリカ)、そして年末(日本)

渡米直後〜10月頭は色々と悩むこともあったけど、それ以後は、日本との繋がりを一旦脇に置いて勉強に集中する。この行ったり来たり生活は移動のたびごとに「適応期」があり、その間なにと戦っているかというと、要は「いない場所に影響を与え続けたい」未練をいかに諦めるか、だと思う。

でも、結果から言うとこの時期に軌道にのせた。自分はとりあえず留学していていい、と心から思うところまで2021年は進歩した。その確認が、なによりも今年一番の自発性だった。大学受験時の選択に、一年遅れで結論が出た。

さて秋学期、一年生寮の寮長、日本語履修生のための会話練習テーブル、経済の教授の研究助手、そして(たまに)カメラマンと仕事をちゃんと取り揃え、結果的に5つ授業をとったことで夏休みばりの忙しさに見舞われる。毎週、1冊の本+論文3本ぐらいの課題文献量に加え、海外大受験生のエッセイを一日一本は読み続ける(これが中々面白い、それは他者の言語に触れることだから)。ずっと忙しくてもいい。あの高校が終わって定演が中止になったコロナ禍初期の高3の3月のような、「何もしなくても罪悪感を一切感じない時間」はきっとリタイアするまで戻ってこないだろうな。

授業は、中国語、数学(来学期の経済のための必修)、文化人類学(社会学専攻の必修)というリベラルアーツっぽい盛り合わせに加えて、移民経済学と社会運動論という大好きな分野に出会う。この二つの学問は、私にとって「自分の境遇を説明してくれる」型の面白さである(いずれ移民についてはまとめたい)。そして、そのまま調子にのって経済学と社会学の専攻を宣言する。社会運動論の授業では、日本の移民人権運動の歴史について一本、東大での学生運動について一本、ペーパーとプレゼンを書く。読む本もまあそこそこ面白いが、自分のやりたいことを好きに書かせてくれてこそやっぱりリベラルアーツだと思ったり。ライティングをちゃんとアカデミックに添削してくれるありがたさ。

一旦どうでもいい(おい)中国語と数学は置いておいて、文化人類学について少々。「文化」がコミュニティにおいてどうやって形成・変化しているかを解き明かす学問である。そのコミュニティで暗黙の了解となっている「普通」は、自分のいるコミュニティの暗黙の了解とどう異なるのか。それを、基本的には質的に解き明かす。他の文化は自分の文化との比較によってしか理解できない、という文化相対主義の視点。

11月末の感謝祭の休み中、ニューヨークシティに遊びにいって海外大生の友達と会って刺激を受ける。どうしていつの間にかこんなにすごい人たちの集団に混じっているんだろうと不思議に思うし、東大入学以来の進学校アレルギーを早く克服しなければいけないと気付く。自分がそんな場所で個性と話題と面白さを求められるのはどうあってもキツいけれど、みんなそれを乗り越えたんだろうな…と思うから、もっともっと深い人間になることを誓う機会になる。「なぜ自分がそこにいるのか皆目わからん」なコミュニティで適応していく自分はこれまで何回も存在してきた。とりあえず色んなきっかけをくれた人と旅行ができたので、とっても嬉しかった。

NYC!!サンクスギビングだけど!

そのNYCを満喫している最中に世界がオミクロン株でざわつく。ワクチン普及で明るくなっていた日本とアメリカがオミクロンに過敏に反応し、日本に帰って来年アメリカに戻ることが可能なのか焦りだす。自分が日本にいるとき日本が感染爆発することを経験則で「知って」いる私はまたかと思う。知的生産性がまったく残っていない怠惰の中で、発狂しそうになりながら10ページのペーパー2本と8分間のプレゼン1本と3時間のテスト2つをやり切る。学期中一回もちゃんとした会話をしなかった文化人類学の教授に、一年生寮の多文化共生について書いたファイナルペーパーで現大学初のA+をいただく(ごめん教授、ありがとう)。クリスマスは日本で隔離なのでまずNYCのホリデームードを楽しみ、遊んでから日本に気合いで帰る、と思ったらトラブって知らん空港を経由しながら二日遅れでたどり着く。このころのアメリカ発はオミクロン株陽性者がほぼ全ての搭乗便にいるので、ホテル隔離になる。年始早々に提出せねばならない高山ゼミの原稿がやばいので、また発狂しそうになりながら書いてたら年が暮れる。


全体的に上り調子の一年だったなーという印象。高校も最後になるほど楽しかったし、もともと「進歩」「成長」「過去の自分ほど嫌なやつはいねえ」派の人たちは、長い目でみれば「よくぞここまで辿り着いた」みたいな鰻登りの人生を生きていて、したがって将来に期待をしがちだと思う。今の生活はぜんぶ将来なんかめっちゃ素晴らしいものとして具現化すると信じていることが、なによりも今の楽しさと過去への誇りに直結するのだ。

つぎは「来年の抱負」編。

2022年の計画・抱負

勉強面

・今学期に専攻も決めたし、フェーズを移行する。1月学期に政治学の授業をとったところで、リベラルアーツっぽい社会科学近辺なんでも屋としての時期は終了する。その集大成として、学際!!みたいな自分のこの2年の学びと悩みが全部詰まった論考を書き上げて、1月後半に高ゼミに持っていく予定でいる。これが、2022年最初の「勝負」になる。日本のトップオブトップ(を自負する集団)に、自分はいま何を語り得るか。けっこう楽しみだ。

・春からは、「移民」をテーマにした社会学と経済学の理論武装と先攻文献の研究を進める。これまでに人におすすめされた本や授業で指定された本を真面目に端から端まで読むのではなく、ちゃんとテーマと学びたいことを決めて自分が主導権を握った学習時間をつくる。目玉になる春の授業は、開発経済学と、社会学とマクロ経済の理論、そして今学期はあんまり時間がとれなかった移民経済学の教授との研究。

・ただ、これまでのような「よく知らん社会科学分野のさわりを学んでみる」行為はかなり大事だと思っているし、自分じゃ選びもしないような本を読んで得たものは計り知れないので、これからも定期的にそういう時間をつくるのはあり。例えば、日本の大学でなぜか取った心理学入門の授業の単位を使って、2022年秋にPass/Failで社会心理学を取ろうと思っている。Pass/Failにするのは、もう5つの授業で成績取るのは来学期で最後にしたいから。そうじゃないと、自分のやりたい勉強を好きなようにできない。

・また、とりあえずこの春学期後に中国語は一旦休止することに決めているけれど、これまで中国語を頑張ってきた+日本の勉強がしたい、ということで、これ頑張ればアジア学専攻を追加できるんじゃない?とうっすら考え始めた。ということで春に「Reinventing Tokyo」というちょっと面白そうなアジア学部門の授業をとる。『東京の生活史』を読んでおけば勝ち確では?と期待している。

左のお古パソコンが死にそうなので右のパソコンを今年買った。ラスベリーとブラックベリーとヨーグルトがアメリカで一番おいしいとおもう

勉強以外

・3年生後半の留学計画をちゃんと作る。移民の統合が進んでいる都市がみたい。イギリス以外のヨーロッパも全然行きたいんだけど、英語以外の言語を学ぶのめんどくさくないだろうか。授業は英語だろうけど、それ以外のコミュニケーション、ずっと観光客みたいな感じでいいんだろうか。日本の移民政策のプロトタイプになりそうなのはどこなのか、宮島喬先生の比較本を読んで気になったので、その勉強ができるプログラムを探す。あと留学先で美味しいもの食べたい。少なくとも今の留学先よりは。

・部活が終わってからというもの、ずっとあれに匹敵するパッションを探している。この期間、人に会えばただ聞き、人に会わなくてもただ読み、と殆どインプットしかしていない。要は、人に影響を与えようと思うことをこの行ったり来たり生活の中で忌避してきた。大学3年生になった日本の仲間が就活だ〜!と既存の社会体制に吸い込まれようと活気づく中で自分に何ができるか。体調が悪くなるぐらい命を燃やせるもの、いくら努力しても足りないもの。ここぞというときに「本気」「集大成」を感じさせるパフォーマンスができること。そして、そのときに、周りの心を動かせる人になること。去年もこの話はしていて、「これは多分、今年一年じゃ終わらない目標だと思う。」と書いている。えらい。

・夏休みの日本滞在時はほとんど家にいなかった()ので、今回は家事スキルを伸ばしたいモチベーションがなにやら強い。ということで1月はかなり家事に時間を割きます。料理しながら色々声に出して考えていれば何かアイデアも浮かぶでしょう。去年の冬もやっておけという話です。

・あとは上のダイジェストで「クレイジーなことができるようになった」と書いているけど、全然クレイジーさが足りていないと思う。もっと奇抜なことをしよう。元来、私は行動力がないんじゃなくて、自発的なアイデアがない。人生8つ目の学校に今通っている以上(由来の)のクレイジーさがあっていいと思う。

・夏休み…どう使うべきか。一度ぐらいは海外でインターンをやっておくべきだと思うけど、2ヶ月ぐらいは日本でまとまった時間も欲しい。日本の企業でのインターンは、本当にやりたいと思った企業があれば。でもお金を稼ぎたいって側面もある。また、日本の同期は就活を始める。外資コンサルとかはもう就活真っ盛りである。そこらへんを華麗にスルーしちゃっていいんだろうか、と迷いがあるのは、就職したいというよりも、就活したいのである。なぜか?日本の大学生と話が通じていたいから。

・団体活動。うーん。優先順位が下がったやつは、忙しくなくなることを恐れずに切っていく勇気が必要だと思う一方で、最近ずっと唱えている「入ったコミュニティを捨てない」ためにはどうすればいいのだろう。まず、1月いっぱいで高山ゼミとの関わりがなくなり(自分の代が卒業するし、教授の引退でゼミ自体30年の歴史が終わる)、東大との最後の組織的接点が消失する。海外大生コミュニティとの繋がりを保つにはどうするか。高校にこれからも関わり続けるためには。世界各地の友達と定期的に話しておくためには。団体活動というものは厄介で、何かしらの組織に属していないとダメな体質になってはまずい。組織に入って役職を持てば、時間が取られるので何かをやっている気になる。ちゃんと自分がその活動をやる積極的理由を見出せるか。上のパッションの話もそうだけれど、世界を広げる努力は定期的にやらねばならない。次はどのコミュニティの仮住人になろうか。

これまでの生き方は、「認められたい、その人みたいになりたくて燃え尽きるまで頑張る」というもの。よくも悪くも、この人すごい!と思ったらついていってしまう流されやすさ的行動力があるので、新しい世界を見つけては喜んで適応する、その過程で何かを失わないようにもがく。価値観が凝り固まるのを避けながら、自分の芯をもう一歩引いて構築する。総じて、2022年のテーマは「自発性」です、よろしく来年の自分。

おわりつづく

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