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留学記④ 期限付きの生活

締め切りに追われて

締め切りのある人生を生きてきた。

物心ついたころ、つまり小学校に上がった直後から、人生にタイムリミットはつきものだった。あと2年でアメリカ。あと4年で日本。あと1年半で休学してそのあと1年半で復学。この大学には半期だけいるからね。

この生活は、自分にはとうてい抱えきれない恩恵をくれた。日本と海外の教育システムを渡り歩いてきたことが、私の武器である。

期限付きの生活を送ってきたおかげで、バイリンガルになれた。日英バイリンガルであることが、今の日本の選抜システムでどれほど有利に働くかいくら強調しても足りない。親の転勤頼みの帰国子女から、自分の「意思」としての大学ダブル進学するにいたるまでの接続は、「英語ができる」の一点だけで繋がっている。もちろん、部活とか、社会科の勉強とか、誇りに思っていることもあろう。ただ今の自分の地位はすべて、英語という前提条件に立脚している。

期限付きの生活のもう一つのメリットは、終わりがあることで頑張れる、みたいな効果。これは特に高校以降、自分が自分の居場所を選択するようになってからのこと。ここにあと△年しかいない、となれば自然、限られた期間でそこで成果を出すモチベーション、というか危機意識は高まる。部活だって、受験だって、働くことだって、終わりがあると思えばこそ人間すこしはやる気になるものだ。

ただし、これは頑張るものがあれば生産性の高く充実が得られる反面、限られた期間を無作為に過ごしてしまったとなれば、突き落とされる絶望は底知れない。私の場合、冬がそうだった(つまるところ、ヒマすぎた)。いま、日米を4ヶ月ごとに行き来する人生を一年間おえて、ようやくここまでスパンの短い期限付き生活に適応できてきた気が、する。移動、適応、成果つくる、移動、適応、がむしゃらに仕事する。なんだか資本主義と生産性の罠にはまったような生活だけれど、でも、とても楽しくて、もはやこれが一番楽になる。人のためになっていないほうが、潰れてしまうから。

言語に限らず、自分を高め、成果を残し、将来つかえるなにかを蓄積することにおいて、生活にこんな半強制的な締め切りを設定するのは素晴らしいやり方だ。これが、期限付き生活の最大の利点だとおもう。

バイリンガルが失うもの

生活に期限があるとは、どういうことか。それは、はなからその生活に持つ愛着心のレベルが低いことだ。いやいや、期限があるから、その生活が愛おしい?そうかもしれない。でもそれは、期限付きの愛おしさだ。

愛着心。この言葉を使う人は、私の母校(日本の中高)に愛着心を持っているという説がある(諸説ある)。最近、生活様式や人間関係について考えるにつれ、この言葉がとてもよく自分の状況を説明してくれることに気がついた。

もしある場所に一年しかいないと分かっていれば、人間関係を広く浅く持とうとすると思う。なるべく知り合いを増やしてネットワークを築く。なぜか?友達がいないと一年間つらいから、それだけだ。「友達できたよ!」これがどれだけ期限付きの生活において重要であるか。一番の売りは適応力。とても酷く言えば、その場凌ぎと自衛のための能力だ。私はこれに長けている。とても、人生中つづくような深い関係を築いている時間はない。「人生中つづく関係」とは、絶えず続かせるという意志があってこそ続く。「人生中つづく関係」とは、(ひとまずここまで)人生中つづいてきた関係なのであって、帰納的でしかない。環境が絶えず変化し、常に新しい人と浅い関係を築く必要に迫られていると、なかなか関係を続かせるキャパとモチベが生まれないのが現状だ。

これが積み重なるとどうなるかというと、広くて浅い人間関係しか持たない人になる。バイリンガルが失うもの、それは人間関係における「年数」だ。

コンプレックスの一部分は、日本の母校が中高一貫校だったことでもある。中学と高校がともに3年ずつで別れているならば、期限付きの生活と同じメンタリティで過ごす人も多いかもしれない(でも、同じ場所には残るだろうし人の連続性もあるよね?)。中高一貫校の途中でぽっかり一年半いなかったので、高校3年間で関係を深められた人にも、必ず自分よりその人と年数を重ねた人がいた。自分にとっての唯一無二の存在にとって、自分が唯一無二でないこと。

さらには、広くて浅い人間関係に自分自身が慣れると、「自己開示」が苦手分野になる。私は自分の話を詳しく正確にすることがすごく苦手だ。自分の経歴や生活を話せば、どこかマウントをとっているような、意識高ぇなと言われそうな、そんな環境にずっといたこともある。とかくも、自分について何か聞かれると、答えうることを丸ごと答えてしまえない。なるべく表面的な、当たり障りのないことでとどめてしまう悪癖がある。直すためには、気をつけて自分のことを詳しく話すようにすればいいけれど、そんなときにちょっとでも自慢に聞こえる話し方は避けたいと変に気を使いすぎてしまう。めんどくさいね。

自己開示ができないので、よくインターンで要求される「日本語・英語ともにビジネスレベル」はクリアしているけれど、その下のはずの「日常会話レベルの深い話」が日本語でも英語でも話せない。そんなバイリンガリティもあったりする。

場所からの逃走と場所からの解放

なんでも逃走と解放をつければいいと思っている、気分は社会学者。でもいい。逃走から解放へのパラダイムシフトは、アイデンティティ政治から自分を切り離すために必要な所作であると思う。性(の果たす社会的役割)からの逃走ではなく、性からの解放。年齢からの逃走ではなく、年齢からの解放。人種的な色盲主義のように差別から逃走するのではなく、あらゆる差別から解き放たれることを目指すように、私は「場所」から解放されたいと願う。

アメリカ大学留学をはじめて最初の半年、つまりアメリカにいき、日本に帰り、またアメリカにいくまで、私にとってこの3回の移動は「逃げ」だった。ここにいても辛いから、浅い人間関係しかないから。場所からの逃走を繰り返すにつれ、自分に居場所がないことを知った。

もし、場所を共有していなくても、同じように人間関係が維持できるのであれば、期限付きの生活なんてものはなくなる。インターネット、とりわけSNSの隆盛は計り知れないポテンシャルをもたらした。でも、まだだ。まだ、半期でアメリカ行くんだ〜では、人のみる目も、自分の意識も、変わってしまう。

もし世界中が、連続した場所になったら。世界中のあらゆる場所が、多様であるという点において、まったく同質な場所になったら。物理的距離が、捨象できて、別離の概念が崩壊したら。もしかしたら、そんな未来での生活にタイムリミットはないかもしれないな、と思う。

振り返れば、最初の留学記、つまり最初の渡米を終えて帰ってきた直後の文章で記した喪失感の正体はまさに物理的距離と、年数の欠如だった。「失ったもの...が一体なんであるのかしっかり書く作業をこれから自分に課す」と言ってから9カ月、失ったものが、だいぶ留学という行為に本質的なものであることをようやく噛み締めた。留学、やめる?笑

たった数ヶ月、日本ではまだ秋学期も終わっていないはずの時間。それだけなのに、なぜか、この期間日本にいなかっただけで、日本の友達と話が通じなくなった気がする。今まで通り会話はできるし、色々言えば「わかる」なんて言ってもらえるだろう。でも、その根底にある前提のようなもの、その「わかる」って言葉に込められた気持ちが覆されたような気がして、高校3年間でやっと日本の友達と形成した共通感覚みたいなものがどっかいった。正直、鳥肌が立つぐらい怖い。どれだけ海外で得てきても、「それ」を失ったら今の自分の人格が成り立たなくなりそうなので、怖いのだと思う。ほんとに、最近誰とも共通認識を得ていない。

(中略)

失ったものとか得たものとかブツブツ書いていてもしょうがないので、それが一体なんであるのかしっかり書く作業をこれから自分に課す。失った共通感覚が何者か、わかりさえすればそれを取り戻せるような気もするし、得たものも正体が分からなければ一瞬でどっかいく。

辛いのにアメリカにもどる理由はなに?留学する理由はなに?

いつも自分の見えていないところを聞いてくれる人がいて、その人はとても大事に思っているのだけれど、今回の夏休み、こう聞かれた。なんてシンプルな質問。

咄嗟にわからなかった。一言でいうのむずかしいけど、なんてごまかした。

2年目になり、海外大生のヨコのつながりもできてきて、また去年はコロナでなかった日本の大学の留学プログラムなんかも始まって、今秋に人生初めてアメリカに留学するなんて人が自分のSNSにたくさんいる。とってもワクワク、キラキラしていて、ああ、と考えてしまう。渡米という行為にもはや何も感じない、むしろ長い移動にだる味しか感じない留学生ってどうなんだろう。留学するよりもしない方が自分が変えられるって、ひょっとしたらでもなくかなり確信に近く気付いている留学生ってどうなんだろう。

たしかに、大学教育は日本よりもアメリカで受けたほうが得るものが大きい。それは、前評判だけでは信用できなかったから、自分で両方いって確かめた。世界も広がる。コミュニティも増える。刺激も多い。いまの期限付き生活は、最も将来の仕事のためになる選択肢であろうことは分かっている。

でも。でもさ、「今」の自分に必要なのはこれじゃない。期限付き生活の本質は、来るべき「定住の将来」への投資だ。期限付き生活によって、4ヶ月ごとに所在地を変えることによって、むしろ私は何も変えていない。どんどん、「定住の将来」を先延ばしにしているだけである。その将来がついに到来したとき、自分の周りにMAX二、三年ほどの付き合いの知人しかいなくなるのが、少し怖い。孤独な成功者にだけは、ならないと決めているから。

将来の夢を聞かれたとき、大学に入って以降コンスタントにこう答えている。

将来の夢は、定住生活。

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