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水戸芸術現代美術館ギャラリー「ケアリング/マザーフッド」から「母」の本当の問題、願いを考える。

前から憧れていた水戸芸術現代美術館に行ってきました。新聞でこんな記事をみつけて、

またクシャクシャ。すみません

展覧会も興味深く、美術館も行きたかったところ!
ウキウキしました。

そうそう!この塔ですよねー!
はじめまして!水戸芸術現代美術館さん!

20代の頃アルバイト先で知り合ったTさんは現代美術が詳しくて、この美術館が好きと言っていたなあー。

今日はこれを見に来ました!

わたしは現代美術が苦手でした。
パッと見、理解できない作品にも、難しくて重いテーマがあり、こんなのこじつけではないか、何でもありじゃないか?と、インチキくさく思っていました。

食わず嫌いなところもあり、見もしないで生意気なことを考えていました。

逆だったんですよね。
もうどうしようもなく伝えたいことを難しく伝えても伝わらないから、わかってもらいやすくするために

たくさんの人に考えてもらうために
「アートにした」んですよね。



子供を産んで「逃げられない人間関係」が増えて
わたしも難しいことを考えるようになりました。

それまではずっと逃げてばかりいたんです。
逃げることができたということでもあるんですが、
考えてもしょうがないのかもしれないと諦めてもいました。
こんなこと考える自分のほうがおかしいんだ、と思っていたけど、

やっぱり大事にされたいなって思ったら

それはきっとみんな思っていいことだよねって思えて

「考えること」に希望を感じました。


この展覧会は、
そのまえに買っていた雑誌と通ずるところもあり、

「ケア」のテーマに惹かれました

3人の子育てをした経験や夫や母との関係などからもずっと気になっていたテーマで、

これからも永遠に続く課題なんだじゃないかと思っています。


さて、今日お邪魔した展覧会のタイトルを改めて確認しました。
「マザー」なのですね。

新聞記事での説明では「マザーフッド」とは「母親である期間や状態」のことをいうのだそう。だから、今回の作品の中では、至る所でその「母親とは」という定義のようなものが見え隠れしていました。

また、「母親」というだけでなく「女性」ということへの負担なども多く表現され、そのことはフェミニズムの問題からももうかなり多く耳にするようになったので、
共感するも、その変化していない年月をも同時に感じます。

いまでは解決しないことに執着せず、
そこに不安や不快を感じている人は
「ある分野においてなるべく深く関わらない」選択をとるべく道を模索し始めたように思います。

自分の決める価値観で人間関係やお金にまつわる「関わり」をかなり自由に選べることができるようになった現代において、「ケア」に関してはどんなところが変わらず、どんなことが課題なのでしょうか。


ホン・ヨンイン
『アンスプリッティング』
本間メイ
『見過ごされた痛みにある体』
碓井ゆい
『要求と抵抗』
リーゼル・ブリッシュ
『ゴリラ・ミルク』
ヨアンナ・ライコフスカ
『バシャ』

今回は「母」からの視点で作成された作品をみせてもらいましたが、
帰り道、どうして、「母」とか「女性」に絞ったのだろうと考えてしまいました。

たしかに「ケア」はまだまだ女性が担うことが多く、そこに不平等さがあることについては疑問も課題も感じるのですが、

例えば保育園の問題で
「保母の数を増やさないとこどもたちの十分なケアがなりたたない!」という声を知り、すごく共感しつつも、

でも母親は本当は保育園に預けず自分で全部子どもの世話をしたいと思っている人もいるのではないかということも考えると、じゃあそれを実現させるにはまわりの家族の存在が必要なわけで、そういう「母」の問題はないものとされているのでしょうか

また、だんなさんに育休をとってもらえないのは会社が推奨してくれないからだという問題があったとき、
それなら会社がどんどん育休をとれるように決まりをつくろうとなり、はれてだんなさんが育休をとってくれるような社会にはなってきましたが、
だんなさんが、それこそ嫌々育休をとり、ちっともこどもをかわいがってくれないのだったら、そんな育休ならとってくれないほうがいいくらいで、
だけど
育休の問題というのはするかしないかということだけでしかないのでしょうか。

本当の問題はどこなのだろう。
本当に望んでいることはなんなのか。


「ケア」自体は生まれて死ぬまで皆関わることであり、その方法を問う事は大事ではあるけれど、
「ケア」自体にスポットライトをあてるのではなく、

「大事にする、される」ということの意味と
「世話をする、される」ということの意味は本当は同じものでありたいけれど、実際はちがうのではないかということを考えてみたいと感じました。

そうなってくると、
「マザー」の問題は「マザー」だけで解決できることではないと思えてきます。

実際我が家の「マザー」問題は、夫にも深く関わって欲しいと思っていたし、
社会も生活も関わらないわけにはいかない存在でした。

また、展示は皆どこか「怒っている」ようで、
不安になりました。

わたしも現役「マザー」だった頃やはり怒ったり泣いたりしていましたが、だんだんに夫の不安も考えるようになり(だいぶ時間はかかりましたが)、相互関係に気づくことで現状が変化したことを思い出すと、怒っていることで、問題を滞らせることもあるかもしれないと思えてきます。
「怒って当然ではないかもしれない」と考えることも必要かもしれません。


ケアに伴う不安を軽減する人間関係とはなんだろう。

今回の展覧会で、そんなことを考えました。

そして、それはまさに自分の生き方を考えることなんだと改めて感じています。


途中の部屋に紹介されていた本が興味深く、
なかでもこの、ブレイディみかこさんの本、読んでみたくて地元の図書館で在庫を検索してみたら…

6冊くらいある在庫すべて貸し出し中で、予約の人も多数いらっしゃいました!
ブレイディさん、面白いですもんねえ!

それに皆さんやっぱりいろいろ考えてるんだなあ!
考えたいんだなあ!






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