見出し画像

覚えていることが必ずしも重要なことではないけれど

小学校の時の校歌が歌える。
どうしてこんなことをいまだに覚えているのだろう。

記憶には時々そんな不思議なことを思わせることがある。

おじいちゃんやおばあちゃんが、さっき食べたものは忘れてしまうのに昔々のことは鮮明に覚えていて話し出すと止まらないなんてことも聞いたことがあるが、まさにそんな感覚ではないだろうか。


また、こんなこともあった。

10年以上も昔のことをこどもたちがわたしに抗議する。
お母さんがああ言った、こう言ったなどと、こちらにはまるで記憶に無いことで責められ、戸惑う。

「あの時は傷ついた」とか「本当は嫌だった」と当時の弁明を求められ絶句する。わたしはただ、謝るしかない。

謝りながら、こんな場面はわたしにも覚えがあると
また、記憶がよみがえる。



駅に向かう時、最近毎朝お見かけする親子がいる。

保育園に行くところのようだ。
お父さんかお母さんと思われる方どちらかがいてお子さんはお兄ちゃんと妹。

年子かな。
4歳と3歳くらいかな。
リュックをしょって、いつもずっと小走りである。

そう、そのずっと小走りなことが、毎朝見ていてとても気になる。

なぜなら
そのお父さん、お母さんは自分の歩く速度を絶対に子供に合わせない。
大人の、しかも大人でも早めの速度で歩き、
しかも子供たちをふりかえることもないのだ。

お兄ちゃんは、健気に笑顔でお父さんお母さんに話しかけながら、小走りでおいていかれないようについていく。妹は話すこともできないのではないかという必死さで、だけどやはり健気にお兄ちゃんたちのあとを追い、立ち止まることはゆるされないかのようにずっとずっと小走りである。

唯一心温まるのは、お兄ちゃんが妹に優しいことである。
妹を時々ふりかえり手をつないであげたりしながら遅れないよう一緒に走る。

真面目で誠実そうなお父さん、お母さんだから、二人で決めた教育方針なのかもしれない。

だけど、この子たちは大きくなって、この毎日の場面をどんな風に思い出すのだろうなどと、
大きなお世話だが考えてしまう。


こどもは
結構真実をみているものだ。

わたしも、
大きくなってから
当時の大人たちの「人間」を思い出すことがあった。

覚えていることが必ずしも重要ではないけれど、
意外な記憶が大切なことを振り返らせることがある。

覚えていることが必ずしも正しいことばかりではないけれど。

chamlandさんのステキな作品を使わせていただきました。ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?