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わたしは泣いたことがない「飾りじゃないのよ涙は」の歌詞をかんがえる

なぜこの歌の歌詞がこんなに気になるのかわからない。

会社帰りにふらりとよったドラッグストアで、中森明菜が歌うこの曲を聞いた。何十年ぶりだろう。


私は泣いたことがない
灯が消えた街角で
速い車にのっけられても
急にスピンかけられても恐くなかった
赤いスカーフがゆれるのを不思議な気持ちで見てたけど
私泣いたりするのは違うと感じてた

私は泣いたことがない
つめたい夜の真ん中で
いろんな人とすれ違ったり
投げキッス受けとめたり投げ返したり
そして友達が変わるたび
想いでばかりがふえたけど
私泣いたりするのは違うと感じてた

飾りじゃないのよ涙は ha han
好きだと言ってるじゃないの ho ho
真珠じゃないのよ涙は ha han
きれいなだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は ho ho ho

私は泣いたことがない
ほんとの恋をしていない
誰の前でもひとりきりでも
瞳の奥の涙は隠していたから
いつか恋人に会える時
私の世界が変わる時
私泣いたりするんじゃないかと感じてる
きっと泣いたりするんじゃないかと感じてる

飾りじゃないのよ涙は ha han
かがやくだけならいいけど ho ho
ダイヤと違うの涙は ha han
さみしいだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は

ララララ ララララ ララララ・・・・・


まずはじまりの
「私は泣いたことがない」という歌詞が衝撃的だ。

泣いたことがないなんて嘘だ。
それなのに「そうなんだ・・」と思わせられてしまう強さがある。

皆知らず知らずのうちに、その一言にたくさんの意味を感じ、この女の子の人生に寄り添いおうとしているのではないだろうか。

「私は泣いたことがない」という言葉の
なんという強さよ。
泣いたことがないと言っているのに、
これ以上ないほどの悲しみを感じる。


これを歌っていたのは当時のアイドルの中森明菜さんで、1985年だから彼女が19歳か20歳頃のことだ。不良少女というイメージが本当だったのか戦略だったのかわからないが、彼女のかわいさと生意気さとセクシーな危うさに皆とりこになった。
この歌も彼女にピッタリに思え、彼女の実生活のように感じた人も多かったのではないだろうか。
作詞作曲を担当された井上陽水氏も中森明菜という人物を意識してつくったのではないかとおもう。

だから、さほどこの歌の意味を改めて考えてみたことがなかったのだが、中森明菜という人を当てはめず、一人の女の子の心のうたとして考えたら、すごくいい歌だなあと思えて感動した。


私のただの想像でこの歌を解釈してみたい。

彼女がいる場所は「つめたい夜の真ん中」と言っている。
好きだと言ってるじゃないのと、めんどくさそうに男に言っている。
彼女に言い寄ってくる男はたくさんいるのだ。
だけど彼女はほんとの恋をしていない。

若いのにもうすでにいろいろな経験をしている。
ギリギリのところで命をすりへらし、命の尊さを感じる感覚がマヒしているのは、友達をもう何人も永遠に失っているからではないか。

本当はもうたくさん泣いてきたのだ。
涙が枯れるほど大切なものを失って来たのだ。
だからこそ
あんな悲しすぎる涙をもう簡単には流すものかと

これは、自分を大事にしてくれないものたちへむけた、怒りをこめた歌なのではないか。

ほんとの恋をしたら
「私の世界が変わる」と彼女は言っている。

そんなことまでわかっていて、自分を大切にしてくれないとわかっているものに身をゆだねる日々。
虚しさと悲しみの中で、泣くこともできない。

泣けないくらいの悲しみというものが
あるように思う。

本当に過酷な運命を背負ったとき、
泣くを超えた悲しみの中で現実をひきうける準備をするあの感覚をわたしは知っている。

「私は泣いたことがない」

この一言から、そんな覚悟が伝わってくる。

本当の悲しみをこんな言葉でつづるこの曲の美しさに
改めて酔いしれる。


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