芹沢銈介と民藝と
静岡県にある芹沢銈介美術館に行ってきました。
芹沢銈介氏の作品が以前から大好きだったので、美術館はずっと行ってみたいと思っていました。
20歳の頃アルバイト先で芹沢氏のカレンダーの作品と出会い、その頃は木版画の作品とばかり思っていましたが、その後芹沢氏の文字模様のシリーズを知り、型染という世界も知りました。素朴で大胆なデザインに衝撃を受けます。
今回は文字模様のシリーズの本物を実際に目にすることが出来、心があつくなるほど感動いたしました。
その他にも、芹沢氏のたくさんの作品をみることができ、なんて幸せな時間を過ごさせてもらったのだろうと今でもじんわりと心地よさにひたっております。
今回東京から静岡市に向かう時、富士山が近くなり遠くなりして車の窓から見え、静岡県に生まれ育った芹沢氏はこの山を毎日生活の一部としてみていたのだろうことを思いました。
富士山はいつみても感動します。
どうしてなんだろう。
芹沢銈介氏(1895〜1984)は静岡市の呉服太物卸商の次男として明治28年(1895)に生まれました。7人いた兄弟は仲が良く、それぞれに乳母がいたそうです。裕福な大店育ちのお坊ちゃんだったのです。旧姓は大石でしたが、21歳の時に芹沢家に婿入りしたことで芹沢姓となりました。
大正2年(1913)中学卒業間近の3月に実家が全焼するという悲運に見舞われました。希望していた美術学校への進学は断念せざるをえなくなりましたが、叔父さんのすすめで東京高等工業学校(現・東京工業大学)工業図案化を受験して入学します。ここで様々な「図案」に関することを学びました。
卒業してすぐ結婚。その頃などは毎日朝から郊外にでかけ精密な植物画を角度を変えながら何図も描き、まるで商売であるかのようにスケッチをしたといいます。
大正7年からは静岡県静岡工業試験場に技師として勤務し、染色、指物、漆器など地元の業者に図案の指導をしました。この頃から芹沢氏は手仕事の魅力に惹かれていきます。
大正の末になって、芹沢氏は染色家としての道を思い描き始めます。ろうけつ染めや絞り染めはすでに手掛けていて、実家が呉服太物卸商だったことも影響があったかもしれません。その後生涯の師となる柳宗悦氏との出会いにより、「民藝」の仕事にもっとも情熱をかたむけていきます。
柳氏は、地方の民衆が日々の暮らしの中で用いてきた手仕事に、大きな美の世界があることを発見し、それらを「民藝」(民衆的工藝)と命名しました。柳宗悦氏はその民藝運動の本拠として、1936年に開設された「日本民藝館」(東京都目黒区駒場4-3-33)の企画をした人物でもあります。
芹沢銈介氏は染色で新しい日本の暮らしをつくった人ともいえますが、柳宗悦のいう「民藝運動」の目標のために柳氏の依頼のもと様々な仕事をしました。型染めという手法を最大限に活かし、型染めならではの芸術性を追求しながらも、一方では量産を前提とした型染めの特性を活かして美しい品を安価に一般の人々の暮らしに普及させようとしました。
日本の手仕事の伝統を深く学びながら新しい日本の美を生み出す挑戦に果敢に挑み続けた芹沢銈介氏は昭和31年(1956)「型染絵」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。61歳の時です。
さらに昭和42年には静岡市名誉市民、昭和51年には文化功労者となります。また、同年フランス政府から招聘され、フランス国立グラン・パレ美術館にて80日間にわたる大規模な個展を催し、高い評価を受けました。
昭和56年にはフランス芸術文化勲章も受章。
その年、今回わたしがお邪魔しました静岡市立芹沢銈介美術館が開館いたしました。
その3年後の昭和59年(1984)88年間の生涯を閉じられました。
わたしが美術館を訪れた日は隣接する「芹沢銈介の家」が開館していてお邪魔することができました。ここは、毎週日曜日と祝日に公開しているところらしいのですが、8月だけは土曜日も見学できるとのことで、幸運でした。
家具や電灯の形、そのつや、天井の梁などすべてにおいてそのたたずまいが美しく、感動しました。帰ったらすぐに、ずっと憧れていた「日本民藝館」にいこう!と強く心におもいました。
そしてすぐ出かけてまいりました。
それこそ、あの芹沢銈介氏のカレンダーの作品に出会ったとき、一緒に働いていたTさんという人が、民藝が大好きだといい、この日本民藝館のことも教えてくれていたのですが、わたしはそのころそこまで魅力を感じず、行きたいとは思っていませんでした。
Tさんに教えてもらってから30年以上たってしまったことを、悔むというか呆れるような気持ちでこの門の前にたちました。わたしは少しへそ曲がりというか素直じゃないところが子供の頃からあり、そういう自分の性格に幾度となく後悔することもあったのに、あの時も(Tさんに対しても)そんな自分だったのだろうという気がしてきて我ながらげんなりしました。Tさんに心から謝りたい気持ちになりました。
建物が見えた時、空気が一変するような美しさに息をのみました。大好きな世界だと思いました。
考えてみると、Tさんがわたしに語ってくれた世界はどれも興味深く、素敵なことをたくさん知っている人でした。もういまはどうされているのかわからず。またお会いできるものならお会いしたい。またたくさんの素敵な事を教えてほしい・・・。
以前、東京中野区で開催されていた日本各地の郷土玩具を紹介した展示があり、お邪魔したことがありました。(「中野でめぐる郷土玩具の旅」2022年9月1日 ̄10月30日)張り子やきじ車、こけしやだるまなど子供たちの遊び道具であったり祝いものであったりした、昔から伝わる素朴なものたちに心がトキメキました。
どれをみてもワクワクして、わたしはこういうものが好きみたいだと気づき、その後武蔵野美術大学の展示にも訪れ、たくさんの民藝に心が躍るような気持ちを味わいました。
この時の展示は本当に素晴らしく、もう何時間でも見ていたい、毎日でもここに通いたいとすら思いました。
身近な素材を使い、くらしの道具として形づくられた民具の数々。まだまだたくさんの種類がありました。わたしは中でも「祈り」にちなんだ民具にこころひかれ、「福」だとか「運がいい」などに弱いのでした。欲張りってことかなー。
素材の特徴を理解して工夫して作られた、これら「ここちよいもの」の美しさに感動しました。
また、現代の染色家として一番に思い出される柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)氏の展示が近々東京でみることができると知り、とても楽しみにしています。柚木氏もまた、民藝という思想との出会いがあり、柳宗悦氏や芹沢銈介氏の思想や作品に影響を受けながら作品を作られてきたのだといいます。
「民藝の世界に触れて、雷に打たれたような衝撃を受けた」
「芹沢先生がいたから、狭い世界におさまらず、広い世界を見ることが出来た。それはとても幸せな事だったと思います。」(「柚木沙弥郎のことば」グラフィック社 より)
ここでもまた民藝のすばらしさが受け継がれて感動の作品が生まれているのですね。
この展覧会絶対行きたい!
芹沢銈介美術館にて購入しましたハガキ。
やっぱりすてきです。文字の形も大きさも。この位置も!
そしてそして
ユーモアとお人柄も感じる、この言葉も!
それに、ようこそって芹沢氏に言ってもらえたようで、嬉しくなったりして❤️
美術館から帰ってからずっと、今も、このハガキ、
家の中に飾っています
〒422-8033 静岡県静岡市駿河区登呂5丁目10番5号
静岡市立芹沢銈介美術館
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