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子鉄の息子が20歳になった。「僕は電車も大好きだったけど、本当に好きなのは旅だったんだと思う」   前編

おもちゃ売り場に行くと、毎回息子は目を輝かせてよちよちと走り寄った。それは木でできた汽車のおもちゃで、線路や橋をつなげて手動で遊ぶBRIOというおもちゃだ。あまりに気に入った様子だったので、その後誕生日等に買い足しながら揃えていった。ああ、この子は電車のおもちゃが好きなのかあと思ったきっかけである。いやしかし、彼の電車愛はそれだけではなかった。息子はこの後、本物の電車が大好きな、いわゆる子鉄になっていくのである。

彼はとにかく同世代の子供たちと話さないし遊ばなかった。児童館へ行くのを泣いて嫌がり、公園も子供が来ると「帰ろう」と私をひっぱった。いきなり走り出したり泣きわめいたりすることもなく、いつもだっこをせがみ、家事をしていても「もう終わる?」と待っている。私のイメージしていた男の子ではなかった。すっ飛んでいく我が子を常に追いかけ、いたずらに呆れ、いつも泥んこで困ったわあなんて言っているものかと思っていたのだ。わんぱくだったらそれはそれでまた悩んだであろうに、ママ友達に「男の子は体力勝負よねー」と言われるとなぜか少し傷つくのを感じずにはいられなかった。そのうち、彼のおとなしさは自分のせいではないかと気になりだし、とにかく私から離れてくれない事に憂鬱になっていく。息子は、イライラする私の態度が理解できなかっただろう。私の様子に戸惑い、怯えはじめた。私はそんな息子に腹をたて、そんな自分にもまた腹をたてては落ち込んだ。精神的に追い込まれるような気持ちが続き、朝がくるのがいつしか恐怖にまでなっていた。誰かとしゃべりたくて「児童館いこうよう」と泣いて頼んだこともある。息子はどうしていいかわからなかっただろう。あの頃は本当にかわいそうなことをした。

図書館だけは喜んで行くので、とにかく外に出たくて毎日のように通った。ほっとするひとときだった。区立図書館はいくつかあって、その日は少し遠い図書館にいってみようということになった。そうだ電車を見下ろせるあの橋をとおっていってみようか。思った通り、息子は金網にしがみついて夢中で線路を見下ろしている。そこは5,6本の線路が並んでいて、京浜東北線や高崎線、宇都宮線が走り抜ける。たまに貨物や成田エクスプレスが通る。本当にたまにたまにカシオペアも通った。「おーい」と私が電車に手を振ってみる。息子もまねしてかすかに手を振った。するとピポー!と警笛をならしてくれたのだ。見ると運転手さんがこちらをみて手を振ってくれている。わあ!手を振ってくれてるよ!何も言わずに電車をみつめる息子をもりたてようと、私の方があきらかにはしゃいでいた。息子も電車が来るたびおそるおそる手を振る。ピイイイー!電車によって音が違うんだねえ。あの電車はなんだろうね。相変わらず息子は黙っていたが、そのうち右に左にと、電車がくるほうへ走っては移動して夢中で手を振っていた。しばらくはそこへ通うのが日課になり、息子が喜んでいるのを見るのが楽しく、外にも出られたことで、私の気持ちもだいぶ助かったのを覚えている。

「電車を見に行こう」と誘うと息子は喜んで靴をはいた。近所にある踏切や線路が見える展望台からは新幹線も見えた。電車がよくみえるところがあるとか、珍しい電車が見られると聞けば、おにぎりを作って朝早くから出かけた。現地に行くまでも電車に乗るので、息子を一日中楽しませる事ができるだろうと嬉しかった。地下鉄博物館や鉄道博物館、電車とバスの博物館にも行き、多摩動物園駅のプラレールが遊べるようなところにも行った。ポケモンスタンプラリーには興味をしめさなかったが、駅の絵柄のスタンプを押して集めるのは夢中になり、どこの駅にはまだ昔のものがあるかもと言っては行きたがった。息子は昭和の電車とかレトロなものが好きだったので上野駅や東京駅で見れるのではないかと探しに行ったこともある。

私は基本、乗り物というのは、目的地へ行くための手段という他には考えたこともなかった。電車がホームから出て行った途端に「次の電車がまいります」という電光掲示板がつくのをみて、前の電車とぶつからないようにしているんだ、と子供の頃は本気で思っていた。時間が決められているなんて考えたこともなかったのだ。また、○○線という名前がなかなか覚えられず、黄色い電車、青い電車などと色で見分けて判断していた。息子は在来線などと言い、電車の名前と駅の名前を、まさにスポンジが水を吸い上げるごとく、次々と覚えていった。特に駅名から漢字を覚えていく様は目を見張るものがあった。同時に地理にも興味をもち、私の知らない地名や電車を得意げに教えてくれるようになった。

彼は幼稚園や学校では、相変わらず友達となじめないようだった。庭が広く駆け回れる園を選んだが、駆け回っている息子を一度も見ることはなかった(笑)園の見学会では、息子は一人で折り紙をひたすらおっていたり、お弁当のハンバーグを手づかみで食べていたり。(ぎょっとした)そして誰ともしゃべらず、笑ってもいなかった。家に帰るとすぐにおもちゃの線路をつなげ、出来上がるとすぐ壊し、また別のルートをつくりだした。「汽車で遊ぶために線路を組み立てたんじゃないの?」びっくりして聞くと、息子は戸惑った表情をした。何通りか試し、納得できるものができるとようやく線路に汽車をのせるようである。汽車を走らせないで遊びを終えることもあった。とにかく線路を組み立てることがメインだったようだ。かなりの時間没頭していた。

小学3年くらいだったかとおもう。インフルエンザがはやっているときに熱を出したので、検査を受けようと説明したら、以前一度受けたことがあった検査を思い出し、大泣きして病院へいかないと言う。確かにあの検査は痛そうだけど…でもタミフル飲んだらすぐ直るからと説得したが泣き止まず、がんとして動かない。彼のこういう種類の訴えは絶対に折れることはなかったので、少々途方に暮れた。私が小さかった頃はなにも薬は無く、熱がさがるのに時間はかかるが治るんじゃなかったかと思ってみる。その頃は私も働いていなかったし、じゃあなにも飲まずがんばってみる?となった。案の定まるまる6日間くらいは熱があったとおもう。食欲もなかったし熱が下がってからもすこし学校を休ませた。その時、わたしは思い付きで、時刻表を買ってきた。こんなのがあるんだよ。息子は受け取ると目を輝かせた。隅々まで読み、データをもとに空想の旅を作ってはノートに書きこんだ。毎日毎日飽きずに眺めていた。

時刻表に載っていたという、記念切符発売日に行ってみようということになり、早朝から並びにいったこともある。朝4時くらいに起きて行ったのに、大宮駅の会場はすでに長蛇の列であった。ほとんどが男性だが年齢は様々だった。並んだすぐ前にいた小学生高学年くらいの男の子は友達と来たようだ。「きみ、やっぱり電車好きなの?」息子は話しかけられたが何も答えない。「きみ、この本おもしろいよ。ぜひ読みなさい」独特の口調だがひとなつこくて、息子を気にかけてくれたことが嬉しく「ありがとう」と私が答えた。そのおすすめの本は私にはなんだかよくわからず、難しそうである。結局記念切符は、並んでいたかなり前のほうで売り切れてしまった。JRの職員がぺこぺこと頭を下げながらメガホンで謝っていた。えー、こんな早くきても買えないんだねえ。と息子に言うが、特にがっかりした様子もなかった。じゃあ帰ろうかとなった時、息子が「あの本買いたい」と言う。え?さっきの?興味あったんだ。あ、でもお母さん全然覚えてないや。「ぼくわかる」大きめの書店の電車の雑誌がありそうなところに迷わず行き、あっというまにその本をみつけた。ああ、ほんとださっきのだ。それ、なにがのってるの?「座席」え?座席?それは「列車編成席番表」というもので列車の座席のほかトイレの位置なども分かるというものらしい。季刊だが、なかなかのお値段である。なんでこんなのが面白んだろう。正直な気持ちがでてしまう。つい笑ってしまった。


彼が小学4年生の時だった。ある日一人で電車に乗りに行って来てもいいかと言う。どこへ?ときくと「前橋大島駅」という。聞いたことがなかった。なんでそこ?と聞いたと思うが、彼がなんて答えただろうか、覚えていない。少し心配だったが彼なら大丈夫ではないかと思えた。電車賃を用意して「気を付けてね」と送り出した。とはいえ、夕方まで一日中気になり何も手につかなかった。帰ってくるなりどうだった?ときいたら「なにもなかった」といっていたのは覚えている。このことを作文に書いていたのでとっておいたのだが、これを読むと、両毛線に乗りたかったからこの駅にしたのだろうなあと思える。

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しかし私は両毛線がわからない。写真をみせてもらったら、あれ?高崎線や宇都宮線と同じ種類?それならすぐ近くの線路でよくみたではないか。いやいや、私が見れば同じようにみえても、息子からみれば同じだなんてとんでもないようであった。ましてや、今回乗りに行ったのは古いタイプのものらしい。オレンジ色と緑色が車体全体にコーティングされているものだ。そういえば昔よく見たけれど、いつのまにか見なくなったように思う。

彼はその後も古いタイプがどこで何時の便で乗る事ができるのか、調べては行ってみたいと話した。彼の電車に対する愛は、私には不思議に思うことばかりであった。



書き出したらここまでも長く、更にまだ長くなりそうで前編後編とさせていただきました。お読みいただきありがとうございます。よろしければ後半も読んでいただけたら嬉しいです。


息子の子鉄話を書いてみたいと思ったきっかけは下記に載せさせていただきました、若葉 都さんの作品です。お誕生日カードなのに、メッセージカードに書かれていたのは・・・鉄道が大好きだったトシくんのお話はとてもほほえましく、我が息子とは違ったタイプのお子さんではありますが、その情景や彼の様子が目に浮かぶようでした。是非皆さんもお楽しみください!

若葉さん、楽しいお話をありがとうございます。

また、やんさんのこちらの企画にお邪魔させていただきたく、ハッシュタグつけさせていただきました。

駅名は後編も出てくる予定です

よろしくお願いいたします





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