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天敵彼女 (39)

「鍵かけたらノック二回だよね?」

「うん、よろしく」

 俺は、奏を見送ると門扉を閉め道路に出た。ここは奏の家側の玄関前だ。

 いつもなら、学校から近いうちの玄関から奏と一緒に帰宅するのだが、鍵の開け閉めをしている時に元実習生が襲ってくるかもしれない事を想定し、今日はあえて別々の入り口から家に入るパターンを試してみる事にした。

 自分でもここまでする必要があるのかと疑問を持たない訳ではないが、警戒し過ぎて困ることはない。

 俺は、奏の家に背を向け、周囲を見回した。若干、通行人が怪訝そうにこちらを見ている気がしたが、今の俺に恥ずかしいものなどない。

 その内、後ろで奏が扉をたたく音がした。

 今の所、元実習生らしき人物を見かける事はないが、いつストーカーがぶり返すか分からない以上、一定の警戒はしておく必要がある。

 俺は、最後に家の周りを一周してから帰宅した。

 今日の食事当番は奏だが、まさか買い物に行かせるわけにはいかない。

 俺は、買い物リストを作ってくれれば、自分が行ってくるからと奏に言うつもりだった。

 とりあえず、部屋に戻って制服を着替え、リビングダイニングに向かった。

「峻、どうしたの?」

「ちょっとね……それより、奏は制服着替えないの?」

「後で着替えるよ。それより、買い物に行く前に冷蔵庫の中を見ときたいと思って」

「そっか……」

 俺は、楽し気に冷蔵庫を覗き込んでいる奏に、代わりに買い物に行く件を言い出せなくなった。

 我慢強い奏でも、ずっと家と学校の往復だけじゃ息が詰まってしまうだろう。

 元実習生の出方が分からない以上、長期戦も覚悟しないといけないし、今から余り奏の行動を縛り過ぎると逆効果になる可能性がある。

 要は、俺=うるさい人間というイメージが固定化して、いざという時奏が俺の言う事を聞いてくれなくなるという事だ。

 もちろん、奏はそれでも俺の指示に従ってくれると思う。でも、だからと言って奏に負担をかけていいという事にはならない。

 とにかく、過干渉は良くない。良くないのは、分かっているが……やっぱり心配だ。

 いっそ、内緒で奏の後をつけるか。

 でも、それじゃ何かあった時に対応が遅れるかもしれないし、やっぱり俺が行けば安心なんだが……。

 何だが頭の中がグチャグチャになりそうだった。

 これじゃ早坂の親父さんを笑えないと思った。

 とにかく、今は自重が必要だ。何もかも抱え込んじゃ駄目だ。優先順位をつけて、大切な順にこなしていくんだ。

 俺は、奏の気分転換も兼ねて、夕食の買い出しに行ってもらうことにした。

 まだ、元実習生がここを知っているかも分からない。そんな段階から余りに緊張を強いていると、どこかで無理が出てしまうだろう。

 それでなくとも、奏に言い寄ろうとする男は多い。耳の痛い事を言う人間よりも、チヤホヤしてくれる存在に人はなびきやすいものだ。

 相手がちゃんと奏の事を守ってくれるタイプならいい。俺は二人を見守るだけだ。

 でも、無責任に奏をそそのかすだけの人間に、散々に引っ掻き回されるのだけは勘弁してもらいたい。

 状況が複雑になり過ぎて対処できなくなる。

 そんな事にならない為にも、ガス抜きが必要だ。

 大丈夫。奏はしっかりしている。きっと大丈夫だ。たかが買い物じゃないか。ほんの数十分家をあけるだけだし、つい最近まで問題なくやれていたはずだ。

 奏が買い物に行くのはいい。俺が反対する事じゃない。

 でも……一人で行かせるのはやっぱり不安だ。

 どうすればいい? どう言えば不自然にならない?

 俺は、しばらく考えた後、奏の好きな言い方をすることにした。

「どう? 冷蔵庫にあるものだけで作れそう?」

「うーん、ちょっと無理かな……」

「買い物一緒に行く?」

「うんっ」

 奏は嬉しそうだった。冷蔵庫を閉め、ちょっと着替えてくると言い残すと、一度自分の家に戻った。

 その間、俺はリビングでテレビを見ていた。

 すぐ帰ってくるかと思ったが、奏はなかなか戻ってこなかった。

 そろそろメールでもしてみようかと思っていると、焦った様子で奏が帰って来た。

「ごめんね。色々時間がかかっちゃって」

「いいよ。それより何かあったの?」

 振り返ると、近所のスーパーに行くだけにしては、やたらと気合の入った格好をした奏がいた。

「どう?」

「うん、似合ってるよ」

「えへへ……じゃあ、行こっか?」

 俺達は、近所のスーパーに向かった。

 今日くらいは良いだろうと思い、俺は奏の隣を歩いた。

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