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『いない誰か』へ

これは、わたしのために書くnote。

阿部広太郎さんの著書「心をつかむ 超言葉術」にある言葉、

「書くのはまず、自分のためでいい。」

その言葉に後押しされて、ただ一人、自分のために、書いてみる。



芽吹かない心の種

Twitterで、毎日たくさんの言葉を眺める。

上手だな、怖れず発信できて、羨ましいな。

こんな感情も毎日のこと。


ときどき、湧き上がった感情を綴ろうと、140字の枠を開く。

はじめはさらさら書いていく。

でも途中から

「この言葉は別の意味に捉えられそう」とか

「これ自体が叶わない人がみたら傷つくだろうか」とか

「通りがかりの誰かにひどいことを言われるかもしれない」とか。

そんな考えが頭を支配して、勘違いされないように、誰も傷つかないようにと、保険の言葉を重ねていく。

140字じゃ足りない。

消して足してを繰り返し、10分、15分と時が流れていく。

するとさっきまで強烈なまでに熱を持っていた心の種は、芽を出さないまますっと消えていくのだった。



心の種から言の葉へ。

これまで「心の種」や「芽を出す」といった表現をしているが、これらは「超言葉術」からの引用である。(古今和歌集の引用でもあるが、わたしは阿部さんの言葉と捉えている)

たった一冊の本に、これだけぐっとくる言葉をいくつ詰め込むんだと、度肝を抜かれたが、

その中でも強烈に心が震えた第二章、「言葉の正体」にある。

「人の心を種にして、芽を出し、すくすくと伸び、言の葉が生い茂る。」

これを読んだ瞬間、わたしの頭には鮮やかな情景が浮かんでいた。

小さな種が柔らかな土に落とされ、芽吹き、やがて瑞々しい葉が豊かに生い茂る、ずっしりとした大木になる情景が。

背景には青い空。鳥のさえずりさえも聞こえてくる。

人の心があるから言葉は生まれる。

言葉で心を表現するんじゃない。心があるから言葉があるのだ。

この考えは、なぜ発信できずにいるのか、という疑問に答えをくれたようだった。


言葉のチカラ

「言葉のチカラ」これは誰もが感じているものだと思う。

だけど「言葉で伝えること」の大切さは、人よりもわかってきたつもりだった。


最初に必死になって言葉を伝えたのは、小学5年生のときだろうか。

転校生と仲良くする親友へのヤキモチから、ひどい言葉で傷つけた。仲直りできるまで、何度も何度も手紙を書いた。自分の想いが伝わるようにと、必死に、必死に言葉を選びながら。

そこから手紙はわたしにとって、得意な表現方法になった。

自分の想いに素直に向き合い、伝わるようにと言葉を選ぶ。

それでこそ言葉はチカラを発揮していくのだと、そう感じていた。

なのにTwitterではそれができなかった。なぜだろう。


阿部さんの本を読んで気づいた『いない誰か』

わたしは『特定の誰か』へ、想いを伝えるのがとても得意だ。

心で生まれた感情を種に、育った大木からこれぞと思う言葉を選ぶ。

それで想いが届かなかったことはなかったと思う。

ただし逆に言えば、『特定の誰か』がいない文章でも、誰かを想像しながら言葉を選ぼうとしてしまうのだ。

つまり私は、いない誰かを気にかけて、いない誰かを恐れていたのである。


「書くのはまず、自分のためでいい。」

阿部さんの紡ぐ言葉は、強く、優しい。

「頭によぎる、顔の見えない誰かなんていないのだ。存在しない。そんな誰かを気にする必要はないと、僕は思う」※

私はいつもモヤモヤしていた。

心にうずまく感情を、送り出せぬまま殺してしまう、息苦しさに。

発信する勇気のない、自分へのもどかしさに。


「書くのはまず、自分のためでいい。」

この言葉をみた時に、ふっ。と肩の力が抜けた気がした。

自分の心に耳を傾け、言葉で昇華させる時、『いない誰か』のことは考えなくていい。自分のために書けばいいのだ、と。


※(「と、僕は思う」のところに、他の考え方も重んじる優しさを感じる。他にも、企画生の名前をフルネームで記すところや、寄り添う言葉選びなど、優しさと誠実さが細部に宿っている。)


心の居場所

阿部さんはこうも言う。

でも、一つだけ決めていることがある。自分の気持ちを置き去りにはしない。それをしてしまったら、しんどくなるだけだ。
僕が書く意味がなくなってしまう。

私は『いない誰か』に届けようと言葉を探す過程で、自分の心を置き去りにしていた。

種を生み出してくれた感情を忘れて、『いない誰か』の顔色ばかり伺っていた。Twitterの140字と向き合うのが、とてもしんどかった。

発信する勇気がないことじゃない、自分の感情を殺し、心と繋がらない文章が出来上がるのがしんどかったのだ。


私が書く意味

もうひとつ、阿部さんの染みる言葉を載せよう。

自分の素直な感情をちゃんと抱きしめてあげること。そこから自分の色が生まれるし、温度のある言葉が生まれていく。

「自分の色」に、「温度のある言葉」。これらは誰かに手紙を書くとき無意識に、でも確かに大切にしていたことだ。


私には夢がある。

それは「幸せなひとを増やすこと」だ。

夢の話はまた違う時に書きたいが、この夢はわたしにたくさんの心の種を運んでくれる。

この先それらを言葉にして伝えようとするとき、決して自分の心を置き去りにすることがないよう、自分の想いと向き合いながら、ちゃんと完成させたい。

大切な誰かに手紙を書くように言葉を重ねたいと思う。



勇気をくれたキナリ杯

はじまりはTwitter。

読み進めていくと、1日に何回もマルチな人←に絡まれた話。

訪問営業の不快なトークも聞いてしまう、わたしの優しい親友が頭によぎった。(本人にもすぐにシェアした。)

noteの記事もみていくと、読みやすくておもしろくて。気づけば他の記事も読み進めていた。

そこで見かけた「キナリ杯」。ずっと発信を怖がっていた自分へのとてもいいきっかけに思えた。

さっきの親友も巻き込み、参加を決意したのは5月24日のことだった。


阿部広太郎さんの「超言葉術」との出会い

岸田奈美さんが、賞の解説とともに紹介していた多くの書籍たち。

文章作りのヒントになりそうなものを早速2冊ポチり。そのうちの一冊が阿部広太郎さんの「超言葉術」だった。

阿部さんとこの本に対する愛はまだ全然書き足りていないが、発信を恐れるすべての人に読んで欲しい、本当に温かい一冊だったとだけ言いたい。


最後に

発信するキッカケを与えてくれた岸田奈美さん、

発信する勇気を与えてくれた阿部広太郎さん、

本当にありがとうございます!

この想いが届くことを願うとともに、これからも発信をすることを誓って終わりにします。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!


#キナリ杯   #阿部広太郎

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