カンタン・メイヤスー著『有限性の後で』について
現代思想である「思弁的的実在論」のリーダー的存在であるカンタン・メイヤスーの著書『有限性の後で』は「相関主義批判」となっている。
訳者の千葉雅也氏によれば、「カント以来(遡れば、バークリーの観念論以来)、近 現代哲学の基本的前提は久しく相関主義であり続けてきたが、これは自然科学とは根本的に相容れない ものだと見るべきである、ゆえに今こそ相関主義から脱出しなければならない、と大見得を切ってみせ る。この大見得の鮮烈さによって本書は、瞬く間に、世界中で言及される話題の書となった。」というのである。
本書は214頁ですので、薄目の書ではあるが、濃密に書かれているので、読み解くのに苦労しています。
相関とは、主観と外界にある事物との相互関係を意味している。カントはこの事物を、現象と「物自体」に分けて、現象は認識できるが、「物自体」は認識できないとしている。
そのため、メイヤスーは「物自体」も認識できるという証明を試みているのです。
メイヤスーは、相関主義を「弱い相関主義」、「強い相関主義」、「主観主義的形而上学」の三つにタイプに分けて、それぞれの欠点を指摘していく。
弱い相関主義としてはカント、強い相関主義はヴィトゲンシュタインやハイデガー、そして主観主義的形而上学はフッサールをあげている。
【私見:フッサールの現象学を主観主義的形而上学として定義づけている。そのため、竹田青嗣氏が言うように、「メイヤスーもまた、フッサール現象学が独自の方法で認識問題を解明し、そのことで形而上学と反独断論を退けて普遍認識の哲学的基礎づけを遂行したことを看過している」と思わざるをえない。】
その他、矛盾許容論理に属する非理由律や数学に属するカント―ルの無限集合論を駆使して、かなりアクロバティックな証明を試みている。
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