ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ 『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂病』(12)読書メモ

第三章 第七節 野蛮な表象あるいは帝国の表象

帝国的組織体において、近親相姦は、置き換えられた表象内容であることをやめ、抑圧する表象作用そのものとなる。というのも、疑いなく、近親相姦を犯しそれを可能にする専制君主の仕方は、抑制ー抑圧の装置を廃業するものではないからだ。

それどころか、専制君主の仕方はこの装置の一部をなし、ただ装置の部品を変えているにすぎない。そしてあいかわらず、置き換えられた表象内容として、近親相姦はいまや抑圧する表象作用の位置を占めることになる。

王 に ふさわしい野蛮な近親相姦は、単に欲望の流れを超コード化する手段にすぎないのであって、決して欲望の流れを解放するものではない。おお、カリギュラ。おお、ヘリオガバルス・おお、消えていった皇帝たちの狂気の記憶よ。近親相姦は決して欲望であったのではなくて、単に欲望の置き換えられた表象内容であり、抑圧の結果にすぎないのだ。

エクリチュール を作りだすのは専制君主であり、書体をもって、厳密な意味でのエクリチュールとするのは帝国組織体である。立法、官僚機構、経理、徴税、国家の独占、帝国の正義、官吏の活動、史料の編纂、これらすべてが、専制君主のしたがえる行列において書かれる。

ルロワ・グーランの分析によって浮かび上がったパラドックスに戻ることに使用。すなわち、原始社会が口承を用いるのは、この社会が書体を欠いているからではなくて、逆にここでは、書体が声から独立して、身体の上にもろもろの記号を刻印しているからである。

これらの記号は、声に応答し、声に反応するものではあるが、しかし自律的で、声に同調しない。これとは逆に、野蛮な文明において文字が書かれるのは、この文明が声を失ったからではない。

そうではなくて、書体のシシテムが独立性と固有の次元を失い、声に同調し、声に従属したからである。こうして書体のシシテムは、脱領土化した抽象的な流れを声から抽出し、エクリチュールの線型的コードの中にこの流れを保存し共鳴させることになる。

要するに、同一 の 運動 において、一方で書体は声に依存し始めるとともに、他方でこの書体は、天上あるいは彼岸の無言の声を招きいれ、今度は逆にこの声が書体に依存し始める。エクリチュールが声にとって代わるのは、声に従属することによってなのである。

ジャック・デリダが、あらゆる言語は起源的なエクリチュールを前提としているというのは正しい。ただし、彼がこの起源的なエクリチュールというものによって、何らかの書体(広い意味でのエクリチュール)の存在や接続を意味しているならば、である。

また彼が、狭い意味のエクリチュールにおいては、絵文字や表意文字や表音文字んどの手法の間に区別を確立することはできないといっていることも正しい。つまり、常に、またすでに、声の代用(代補)と同時に、声への同調が存在している。

「音素組織は決して全能ではなくて、つねにすでに無声のシニフィアンを働かせ始めていたのである。」 デリダが、さらにエクリチュールを近親相姦に、神秘的に結びつけていることも正しい。

しかしだからといって、象形文字によっても、また音素によっても同じように作動する書体機械の様式において、抑圧装置が常に存在すると結論するための理由を、ここに見いだすことはできないのだ。

というのも、狭い意味のエクリチュールと広い意味のエクリチュールとの間には、まさしく表象の世界においてすべてを変えるような断絶が存在するからである。つまりこの二つのエクリチュールは、まったく異なる二つの登記体制なのである。

①支配的な声に接続されながら、この声から独立することによって、この声を残存させる書体である。

②もろもろの手順で声に依存し従属することによって、逆にこの声を支配し、あるいはこれにとって代わる書体である。

原始的 大地 的 記号 は、ひたすらそれ自身にとって価値をもつものであり、多様な接続において欲望を措定するのである。この記号は、記号の記号ではないし、欲望の欲望ではない。

この記号は、線型的な従属も、相互的な従属も知らない。この記号は、絵文字でもなければ表意文字でもなく、リズムであって形ではない。ジグザグであって、線ではない。制作物であって、観念ではない。生産であって、表現ではない。

大地的表象は、二つの異質な要素、つまり声と書体から成っている。

①いわば側方的縁組の中で構成された語の表象である。

②いわば延長された出自の中に設定された事物の(身体の)表象である。

近親相姦とは、境界から中心部にいたるまで、専制君主の支配するあらゆる領土を連鎖の両端において超コード化する操作そのものである。この操作によって、縁組の負債はすべて、新しい縁組の無限の負債に変換され、延長された出自は直接的な出自によって包摂されることになる。したがって、近親相姦あるいは王の三位一体は、超コード化を進行させるものとして、抑圧的表象作用の全体をなす。

【専制君主が、普通の人間には許されない近親相姦という稀有な行為を通して帝国を創設し、自らの血統と人々の血統を繋ぎ、包摂します。(仲正昌樹『アンチ・オイディプス入門講義より)】

専制君主自身は声のシニフィアンとなり、二つのシニフィエ〔姉妹と母〕とともにあらゆる連鎖の超 コード化を操作する。 近親相姦を不可能にしていた事態 すなわち私たちが(母や姉妹という) 呼 称を獲得しているとき、私たちはその呼称で呼ばれる人物を、 またはその身体を獲得することができ なかった。

【専制君主が「声のシニフィアン」であるというのは、もはや人々に直接的に聞こえてこない、音として聞こえても理解できない「声」を示しているということでしょう。(仲正昌樹『アンチ・オイディプス入門講義より)】

私たちが身体を獲得することができたときには、つまり私たちがその呼称にまつわる禁止 を犯すならたちまち、その呼称はすぐさま滑り落ちていった――こうした事態はもはや存在しなくな ったのである。近親相姦は、親族の身体と親族の呼称とが結ばれ、シニフィアンとそのシニフィエと が合体する中で可能となったのである。

しかし、ここですべての部品は国家の歯車機構として働いている。 欲望は、もちろん息子、母、父の 間で働いているのではない。欲望は国家機械のリビドー備給を行い、国家機械はもろもろの大地機械 を超コード化し、補助的な締めつけによって欲望機械を抑圧する。 近親相姦はこの備給に由来するも のであって、この備給が近親相姦からくるのではない。 近親相姦は、まず専制君主と姉妹と母を登場 させるだけだ。 それは超コード化し抑圧する表象なのである。

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