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カルロ・ロヴェッリ 『時間は存在しない』読書メモ

・ジョン・マクタガート の 時間 に関する 有名 な 論文(『 時間 の 非 実在性』[永井 均 訳、 講談社]) の 専門 用語 に よる と、 これ は A 系列(「 過去、 現在、 未来」 という よう に 時 を 組織 だ て る こと)が 現実 で ある こと を 否定 する のに 等しい。 この とき 時間 的 な 決定 の 意味 は、 B 系列(「~ の 前、 ~ の 後」 という ふう に 時間 を組織 だ て る こと) のみ に 還元 さ れる。 マクタガート にとって、 これ は 時間 の 実在 を 否定 する こと を 意味 する。

・わたしにいわせると、マクタガート の 視点 は 硬 すぎる。 わたし の 自動車 が、 想像 し た もの とも、 自分 の 頭 の なか で あらかじめ 定義 し た もの とも 異なる形 で 機能 し た という 事実 が ある からと いっ て、 わたし の 自動車 が 実在 し ない こと には なら ない。

【私見:客観的に実在するのかどうかは、無視(エポケー)して、わたしが、目の前にある自動車を、ありありと実在していると、感じていることは、疑いえないということに信憑性はある。】

・プランク 時間 は ひじょうに 短い。 今日 実際 の 時計 で 計り 得る 時間 より はるか に 短く、 ここ まで 小さな 規模 に なる と、 もはや 時間 の 概念 が あてはまら なく とも 驚く には 当たら ない。

【私見:プランク時間は5.391x10のマイナス44秒という、とてつもなく短い時間である。プランク長さは、その時間に光が進む距離1.616x10のマイナス35乗mであり、この長さ以下には、分解不可能な無の領域といわれているので、プランク時間以下の時間は存在しないと感じるのは当然だろう。】


・この 世界 は 物 では なく、 出来事 の 集まり なので ある。物 と 出来事 の 違い、 それ は 前者 が 時間 を どこ までも 貫く の に対して、 後者 は 継続 時間 に 限り が ある という点にある。

・物理 世界 が 物、 つまり 実体 で 構成 さ れ て いる とは 思え ない。 それでは うまくいか ない の だ。   これ に対して、 この 世界 を 出来事 の ネットワーク、 単純 な 出来事 や 複雑 な 出来事─ ─ それら はより 単純 な 出来事 に 分解 できる ─ ─ が 織りなす ネットワーク だ と 考えれ ば うまく いく。

・現代 の ほとんど の 言語 では、 動詞 に「 過去」、「 現在」、「 未来」 の 活用 が ある。 だが この よう な 語法 は、 この 世界 の 現実 の 時間 構造 について 語る には 不向き なの だ。 なぜ なら 現実 は、 もっと 複雑 だ から。 この よう な 語法 は、 わたし たち の 限ら れ た 経験 を もと に し て 作ら れ た ─ ─ 自分 たち の 作っ て いる もの が 正確さに 欠け、 この 世界 の 豊か な 構造 を 把握 し きれ ない という こと に 気づく 前 に 作ら れ た の だ。

【私見:時間を、糸のように線状で綴られているものと、解釈すると、その糸を切断すれば、今は無くなってしまう。このように、現実を糸のような単純なものと見なすと、複雑な現実を把握することに、正確さに欠けることになると思われる。】

・客観的 で 普遍的 な 現在 は 存在 し ない、 という 発見 を 掘り下げよ うと し た とき に わたし たち が 戸惑う のは、 ひとえに 過去、 現在、 未来 という 絶対的 な 区別 に もとづい て つくら れ た 語法 に 従っ て いる から だ。 この よう な 区別 は、じつは ある程度 までしか 有効 で ない。 自分 たち の すぐ そば の「 ここ」 において のみ 有効 なの だ。


・自分 たち の 時間 経験 を 理解 する 際 には、 自分 たち が この 世界 の 内側 に いる という 認識 が 欠か せない。 早い 話 が、「 外側 から 見 た」 世界 の なか に ある 時間 構造 と、 自分 たち が 観察 し て いる この 世界の 性質、 自分 たち が その なか に い て その 一部 で ある こと の 影響 を 受け て いる この 世界 の 性質 とを 混同してはならないのだ。

【私見:何かに夢中になっているときの時間と、退屈なときの時間は、ヒトの内心で感じる感覚は明らかに違う。創造的なことに費やしている人と、単なるルーチンワークをこなしているだけと思いながら仕事している人では、時間の感覚はまるで違ってしまう、ということになる。】

・力学 的 な エネルギー だろ う と、 化学的 な もの で あろ う と、 電気 的 だろ う と、 位置 的 で あろ う と、 すべての エネルギー は 熱 エネルギー、 つまり 熱 に 形 を 変え て、 冷たい もの の なか に 入る。

・世界 を 動かし て いる のは エネルギー 資源 では なく、 低い エントロピー の 資源 なの だ。 低い エントロピーが なけれ ば、 エネルギー は 薄まっ て 一様 な 熱 となり、 この 世界 は 熱平衡 状態 に なっ て 眠り に つく。

・地球 に 熱い 光子 が 一つ 届く と、 それ に対して 冷たい 光子 が 10個 放出 さ れる。 なぜ なら 太陽 から 来る熱い 光子 が、 地球 が 放出 する 冷たい 光子 10 個 分 の エネルギー を 持っ て いる から だ。 ところが、(熱い) 光子 一つ の 配置 の 数 は( 冷たい) 光子 10個 の 配置 の 数 より 少ない から、 熱い 光子 一つ のほう が 冷たい 光子 10個 より エントロピー が 小さい。 したがって わたし たち から する と、 太陽 は 低いエントロピー の 途切れる こと の ない 豊か な 源 なので ある。

【私見:太陽のエネルギーのみで、生命を維持している植物は、エントロピーが低いがゆえに、生命が長いのだろう。それに対して、ヒトは、わずかに太陽光発電を利用しているのみだから、生命も短いのは当然だと思える。】

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