以前の投稿記事プログラミングと論理学でフレーゲが構想した論理主義はラッセルにより矛盾を指摘されて挫折したと記述しました。その矛盾は「ラッセルのパラドクス」と称されていた。
フレーゲは、自身が構築した述語論理を算術においても還元できるもの考えていたが、実は述語論理の体系だけでは不十分だった。
というのは、算術的命題をすべてカバーするだけの表現能力を獲得する必要があった。そのためには、命題関数に変項に個体だけでなく命題関数それ自体も入れなければならなかったからです。
たとえば、命題関数「xは動物である」のxに「xは猫である」をいれることとなり、この場合は、個体だけではなくて命題関数も変項の値を必要とする拡張を無限に続けることになる。こうした矛盾をラッセルは指摘したのでした。
プログラミングと論理学では、パラドクスの回避法は省いていますが、今回は三浦俊彦著『ラッセルのパラドクス』に基づいて表示します。
ラッセルは、自分が自分自身の規定に当てはまるかどうかを問うことは間違いのもとだと考えた。つまり「自己言及」を禁止することがパラドクス回避に道だとした。そこで「悪循環原理」を次のように定式化した。
悪循環原理とは、ある集まりが、その全体によってしか定義できない要素を含む場合、その集 まりは全体を持たないというものです。
「全体を持たない」とは、さしあたり「存在しない」ということなのだが、正確には、普通 の意味で「存在しない」とすら言えないということである。というのも、もし存在しないなら ば、無という全体を持つ(集合でいえば空集合をなす)ことになるが、それだと全体を持つこと になってしまうからです。
ところが、悪循環原理はおかしいのではないかという人も出てきた。たとえば次のような表現が意味をもたなくなりはしないか、と感じられるからです。
二〇〇五年四月現在の日本の首相
人類最初の宇宙飛行士
一番背の高いアメリカ人女性