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柄谷行人著『日本精神分析』読書メモ

中国周縁 の 民族 は 漢字 を そのまま 受け入れ た。 それ が 去勢 だ と し たら、 日本 で 生じ た のは、 その よう な 去勢 の「 排除」 です。 それ が 他 の中国 周縁 の 文化 と 異なる 点 です。
(Kindle の位置No.979-980)

本居宣長は、漢意 や 仏 意 を 批判 し、 やまと 魂 を 称え まし た。 やまと 魂 と いう と、 何 か ファナティック で 観念 に とりつか れた もの と 思わ れ て い ます が、 その 逆 です。 観念的 な 原理 に しがみつく パラノイアック な 態度 こそ が 漢意 なの です。
(Kindle の位置No.984-987)

死ぬ のは たんに 悲しい、 と 宣 長 は 言い ます。 ラカン が 日本人 について 言う「 真実 を 語る」「 何 も 包み隠す こと が ない」 という こと はまさに この よう な もの です。 ここ から 見れ ば、 あらゆる 宗教 が 虚偽 で ある。 死 への 恐怖 を 克服 しよ う と する 意志 が 偽善・作為 だ と みなされる。 ついで に いえ ば、 宣長 は、 儒教 の 作為 性 を 否定 し ます が、 作為 を 否定 し て「 自然」 に 還れ という 老荘 も 否定 し ます。それこそ、もう一つの作為だからです。
(Kindle の位置No.1000-1005).

宣 長は 神道 を 否定 し まし た。 それ は 仏教 や 儒教 の 到来 の あと に、 それら に 対抗 し、 且つそれら を 借用 し て 作ら れ た もの で あり、 まさに 漢意 なの です。 一方、『 古事記』 に 書か れ て いる よう な「 古道」 は、 その よう な 観念 とは 異なる。それらは実際にあった人間の生き方です。
(Kindle の位置No.1006-1008).

宣長 が『 古事記』 を 読む 前 に『 源氏物語』 から 出発 する よう に 勧め た こと に 注意 し て ください。
(Kindle の位置No.1013).

東洋 でも、 感情 は、 知性 や 道徳性 から み て 低い もの と みなさ れ て い ます。 それ に対して、 宣長 は、 それ が 知性 や 道徳性 よりも、 深い もの となり うる と 考え た。 やまと 魂 とは そうした 細やか な 感情 を 尊重 する もの です。
(Kindle の位置No.1014-1016).

宣長 が 一八 世紀 後半 に 考え た こと は、 同じ 時期 に 西洋 で、 感性( 感情) の 意味 を 高めよ う と し た 美学が 出 て き た こと と 併行 し て いる の です。 そして、 それ が 近代 ナショナリズム に つながっ て いっ た こと においてにおいて も、 併行 し て い ます。   その 場合、 ネーション と 国家 を 区別 する 必要 が あり ます。 たとえば、 国家 に つながる ナショナリズムが 巨大 な 権力 や 栄光 を 目指す と し たら、 ネーション( 民族) に つながる ナショナリズム は、 小さな もの、 そして、 むしろ哀れなものの共同性を基盤とするものです。
(Kindle の位置No.1016-1021).

宣長 は、 仏教 や 儒教 の よう な 偉大 な 観念 が 日本にも あっ た などとは いわ ない の です。 むしろ 日本 には 知的・道徳的 な レベル では 何 も オリジナル な もの は なかっ た、 と 彼 は いう でしょう。 ただ、 知的・道徳的 原理 によって 否定 さ れ 隠蔽 さ れ て しまう 小さな 感情( もの の あはれ) を 大切 に する のが、 やまと 魂 だ という わけです。
(Kindle の位置No.1022-1025).

まず 宣教師 が 入っ た 後 に 弾圧 や 内戦 を 利用 し て 軍隊 が 入る という のは、 植民地 主義 的 支配 の 定石 です。 これ ほど キリスト教徒 が 弾圧 さ れ て いる なら ば、 それ を 口実 に し て 武力 的 に 介入 し ても よかっ た はず なのに、 そう し なかっ た のは、 たんに できなかっ た から です。  
一方、 徳川幕府 は、 キリスト 教 が どんなに 大衆 の 間 に 広がっ ても、 簡単 に それ を 斥ける こと が でき た。 キリシタン を 滅ぼし た のは、「 造り 変える 力」 などでは ない。 端的 に、 暴力 なの です。 なぜ 芥川 は、 そんな 自明 の 理 を 無視 しよ う と し た の でしょうか。  芥川 が『 神 神 の 微笑』 で 見 て いる のは、 一六 世紀 の 日本 では あり ませ ん。 まさに 彼 の 同時代 なの です。

実は、日本人 が 日本人 あるいは 日本 の 文化 について 熱心 に 語り 始め た のは、 大正 時代 から です。 大正 時代 は、 西洋 列強 の 下 で、 近代国家 として自己 確立 する ため に 懸命 で あっ た 日本人 が、 日露戦争 後 そうした 軍事 的 経済的 緊張 から 解放 さ れ、 また、 自ら 列強 の 中 に 入っ た という誇り から、 日本 の 文化的 独自 性 を いい はじめ た 時期 です。 しかし、 それ は 日露戦争 までの 日本人 の よう に、 世界 を 規定 し て いる 普遍的な「力」を忘れるということです。
(Kindle の位置No.1096-1105).

大正 期 に 始まっ た 日本人 と 日本 文化 への 問い に、 危機感 の 装い は あっ ても、 真に 危機感 は あり ませ ん。 本当に 危機 的 な 時代 には、 人は「 文化」 について 論じる 余裕 が あり ませ ん。 そして、 危機意識 なし に 語ら れる 文化 論 に 批評 性 は ない。 たんに 現在 の 合理化・正当化があるだけです。
(Kindle の位置No.1129-1132).

和 辻 が『 風土』( 一 九 三五 年) などで、 日本人 と 日本 文化 の 特異性 を 説明 しよ う と し た こと は よく 知ら れ て い ます。 一方、 芥川 が そうした 仕事 を し た という こと は、 ほとんど 知ら れ て い ない。 しかし、 すでに 明らか な よう に、 芥川 は 和 辻 よりも はるか に シャープ で、 且つ したたか です。 たとえば、 芥川 は 日本 が 優れ て いる という ような こと を けっして いい は し ない。 むしろ、 辛辣 に 自己 批評 的 です。 だが、 その こと によって、 まさに 日本 の 優位 を 暗に 示す の です。
(Kindle の位置No.1134-1138).

谷崎が「源氏物語」を好んだのは、「建築的美観」や「肉体的力量」をもっていたからです。
(Kindle の位置No.1182)

谷崎が「東洋への回帰」というのと対照的に、芥川は私小説の評価をしながら、それが「東洋への回帰」であると考えていなかった。芥川はそれを西洋におけるモダニズムの先端に匹敵する仕事だと考えていた。モダニズムの先端とは「話らしい話」を解体することです。ただし、芥川が日本の私小説にそのようなものを見たのは錯覚です。それは、話を構成する力のないものが、話を解体している者と似て見えることが時にはあるということです。(Kindle の位置No.1184-1189)

丸山真男は「日本の思想」の特質を、「古事記」の分析を通して古代的な「古層」に見出そうとした。それは作為・制作に対して生成を優位におく思考です。(Kindle の位置No.1201-1202)

ユダヤ-キリスト教の思考に出会う前の「古層」において、ゲルマンの諸部族はどうであったかといえば、それは当然、制作よりも生成を優位にあったでしょう。しかし、キリスト教が入った後には、それは完全に抑圧され、神とは偉大な建築家であるとみなされた。
(Kindle の位置No.1207-1208)

日本では、丸山真男がいう「古層」が「抑圧」されなかったのは、日本が海によって隔てられていたため、異民族に軍事的に征服されなかったからである。(Kindle の位置No.1215)

苛酷なのは、世界帝国による軍事的な征服と支配です。宗教はその教えの「力」だけで世界に広まるということはない。その証拠に、世界宗教は、旧世界帝国の範囲内にしか広がっていないのです。世界宗教は多数の部族や国家を制圧するために、世界宗教を必要とした。自らの部族神では、そうすることができないからです。
(Kindle の位置No.1219-1220)

律令制も漢字も廃止されることなく、形の上で存続したのです。これも、島国だから外圧を受けることがなかったからであり、日本に特に内在的な「力」あったからではない。同様に、天皇制が存続しえたのも、朝鮮半島があったため、一度も異民族に直接的に支配されずにすんだからである。(Kindle の位置No.1225-1230)

どの支配者も、自ら絶対的な権力を掌握する代わりに、権威をもつ天皇を積極的に仰ぐことによって自らの地歩を固めることを選んだ。ところが、後代からは、そのことが、天皇がゼロ記号として機能していた、あるいは「無の場所」(西田幾多郎)として働いていたかのように見えてくるのです。(Kindle の位置No.1240-1244)

皇室は政治的権力ではなく、そのために、交代する政治権力の背後に「無の有」としてありつづけた。明治憲法において絶対主義的な君主のごとくあらわれたけれども、西洋や中国の君主とちがって「無の有」であり、大東亜共栄圏においても、支配権力として君臨するのでなく、それぞれに自律的なアジア諸国を統合する無の場所としてある。と西田は言ったのです。戦後に、西田あるいは京都学派は、このような側面がまったく消去されて、「深遠な思想」ということになっています。(Kindle の位置No.1246-1251)

時枝は、西田言語学の日本語への機械的適用に反対して、国学者本居宣長の言語論を取り上げ、指示的な意味内容をもった「詞」と、助詞・助動詞などのように指示的な意味内容をもたないが、ある情動的な価値を表出する「辞」を区別しました。国学者は、テニヲハ(辞)を玉(詞」をつなぐ緒にたとえました。(Kindle の位置No.1265-1269)

時枝がいうように詞が辞に包み込まれるということは、文末において文全体が確定されるような日本語のシンタックスの特徴からのみ引き出されたのではありません。もしそうだとしたら、同じシンタックスをもった他のアルタイ系の言語、たとえば、朝鮮語からなぜ、それと同じような考えが出てこないのか。なぜなら、詞と辞の区別は、漢字を訓読みすることから始まっている。だから、それは基本的に、日本における漢字仮名の併用という歴史的出来事に由来する。(Kindle の位置No.1274-1277)

丸山真男は古代に書かれた歴史書に遡って、日本の古層を考えようとしたが、「古事記」の言葉を分析しながら「古事記」のエクリチュールそのものには、いささかも注意を払わなかった。表現された内容に注意したが、その表現形態そのものを問題にしなかったのです。

つまり、「歴史」がそれによって記述されるエクリチュールそのものの歴史性を問わなかった。万葉仮名で書かれた「古事記」は、実際は、漢文で書かれた「日本書紀」の後に書かれています。そもそも、歴史を書くという考えは、中国・朝鮮から来たものである。したがって、「古事記」はすでに漢文で書かれたものであり、それは漢字を表音的に使用した万葉仮名なしにありえなかった。
(Kindle の位置No.1279-1287)

日本で漢字を表音的に用いた万葉仮名が仮名に転化していったのは、一つには、日本語が母音も子音も少なく、また開音節(すべての音が母音で終わる)だったからです。朝鮮語では、子音も母音も数が多いため、子音と母音をアルファベットのように組み合わせる方式(ハングル)が考案されねばならなかった。(Kindle の位置No.1289-1292)

古代ギリシャから現在にいたる一貫した西洋の歴史という見方を疑いました。それは近代ヨーロッパが中世においてアラビア文明の存在なしにありえなかったことを抑圧しているだけではなくて、そのものが先進国エジプトの周縁にあった島国だったことを隠蔽しています。西洋思想の二大要素とされる、プラトン・アリストテレス的思考と、世界を創造した唯一神を信じるユダヤ教は、ともにエジプトに由来する。(Kindle の位置No.1300-1304)

サーミール・アミンの考えでは、エジプトのような帝国はそれが完成されているがゆえに硬直的で停滞的であるのに対して、その周縁にあって未完成な沿海の半島国家ギリシャではフレキシブルで自由に文化を発展させることができた。(Kindle の位置No.1307-1308)

朝鮮がたえず異民族の侵入に対して国家としての輪郭を作為的に保持しようとしてきたのに対して、日本は海という自然の境界を国家の境界と見なすことによって、国家と社会の区別があいまいなままでやってきた、「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、それは、この国では、構築と生成が厳密に存在しないということを意味します。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそうなる」(生成)というかたちをとる。(Kindle の位置No.1325-1330)

徳川幕府が公認のイデオロギーとして導入した朱子学は、実は朝鮮朱子学にほかならない。また、徳川時代を通じて、朝鮮から使節団として来日した学者が日本人にそれを教えていました。奇妙なことに、明治以後にはそのことが忘れられた。「日本政治思想史研究」において、徳川時代の朱子学から国学への弁証法」的展開を丸山真男さえも。そのことを無視していた。(Kindle の位置No.1354-1357)

議会とは、実質的に、官僚が立案したことを、国民が自分で決めたかのように思い込ませるための、手の込んだ手続きである。
(Kindle の位置1506-1507)

秘密選挙は、公開の場で自分の意見もいえないような弱い人間を守るためにこそあるのです。挙手、あるいは対面しあう場においては、個々人の意志を表明することは難しい。「言論の自由」といいますが、それを保証するのは、必ずしも全員が発言することではなくて、むしろ、黙っていられることです。しかし、単に黙っていたのでは、反対であることが分かってしまいます。

したがって、無記名(匿名)であることが、言論の自由を最終的に保証するものだということができます。SNSでも見られるように、匿名であるために貴重な発言が出てくると同時に、匿名であるために醜悪な心が無制限に解放されます。それがあまりにひどいからといって、制限すると、自由な発言も制限されてしまうという、ディレンマが匿名性につきまとう。
(Kindle の位置No.1523-1531)

ホッブスが言います。自然状態では、万人が万人にとって狼である。そこで、各人は自分の自然権(主権)を一人の人間に譲渡することによって、自分を守るほかない、そして、その一人の主権者が国家である。しかし、主権者である国家と国家は自然状態に留まる。(Kindle の位置No.1557-1558)

カール・シュミットは、自由主義的伝統の中で、ホッブスを例外的な人として評価しています。ところが、シュミットによれば、ホッブスはある「破れ目」を見せてしまった。たとえば、各人は宗教を信じていなくても、外見上信じている格好をしていればよいと、考えた。
(Kindle の位置No.1559-1562)

「レヴァイアサン」刊行からほどなく、この目立たない破れ目が最初の自由主義的ユダヤ人の目にとまり、彼は直ちにこれが、ホッブスの樹立した内外・公私の関係を逆転させる、近代自由主義をの巨大な突破口たりうることを看取した。(Kindle の位置No.1568-1569)

ホッブスの理論は、この匿名性を肯定した上で、それによる多数決の支配を根拠づけるものです。(Kindle の位置No.1582)

ホッブスは、無記名投票による多数決支配を「社会契約」として根拠づけているのです。
(Kindle の位置No.1603)

日本の1930年代の状況は、たんに軍部や右翼のせいにすることができません。コミンテルン(ロシア・マルクス主義)に盲従し、あげくに転向した左翼の有様を見ると、たんに情けない気持ちになるだけです。一方、きわめて少数の非転向者はソ連に依拠していただけですから、戦後は、非転向という権威をカサにきて、戦前と同じ誤りをくりかえしたのです。
(Kindle の位置No.1683-1686)

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